勝川STAND

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あなたの一票で決まる!春日井名物グルメ王座決定戦2018

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お花見シーズン真っ只中の2018年4月7日(土)・8日(日)に、第3回となる春日井名物グルメ王座決定戦が、春日井市・落合公園にて開催されます。

 

春日井名物グルメ王座決定戦

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平昌五輪が終わり、もうあと2年すると東京での熱狂がピークを迎える。前回の1964年の開催と今の日本が置かれた状況はまるで違う。当時は、高度成長期に向かってひたすら突き進む状況下での開催であり、あらゆる投資がその後のインフラ強化に役立った。今回は、成熟しきった状態での開催で、開催後のレガシーについていろいろな議論がある。その多くがマイナス要素であり、負の遺産を負わされる可能性も非常に高く、開催後のポスト2020に危険を感じている人は少なくない。

 

そして、この日本は世界でも類を見ない人口減少と同時に超少子高齢化に向かって突き進んでいます。世界経済のなかで、日本が力を取り戻すには課題先進国としてのプライオリティを持てるという前向きな見方もあるが、漂うのは悲壮感のほうが強い。このような状況になってしまったのは色々な問題があると思うが、結局は日本という国が手を打ってこなかったと言わざるを得ないが、国のせいだと思考停止せずに、そこに住む人たちが動き出している。

 

この問題は国単位だけでなく、自治体というコミュニティでも同様で、当然ながら僕たちの住む春日井も例外ではない。市に期待するだけではなく、そこに住む市民一人ひとりが春日井というコミュニティに対してコミットメントを高めていくことで、春日井の魅力が高まっていくことに繋がると思う。

 

その手段の一つとして、このイベントへ参加するということがある。

 

本イベントは、春日井に拠点を持つ飲食店が、落合公園に集結し、春日井名物グルメ王座となるべく競い合うイベント。出店者は、大手チェーンのような業態ではなく、インディペンデントなローカルで活躍する店舗であり、春日井で生まれ育ったり、何か縁があって春日井に出店し、春日井という街を良くすることに日々尽力されているソーシャルグッドなひとたち。

 

そんなローカルを盛り上げようとしているひとたちを他人事にせず、春日井の魅力を高めようとしているインディペンデントなひとたちを応援しに行きましょう。

 

ローカルを大事にしよう。

 

僕はここを応援しに行きます。

 

ライトニングファイヤー(勝川印度まぜそば

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第一回から3回続けての出店で、毎回僕はライトニングファイヤーに持っている全ての票を投じます。ご存知の方も多いかもしれませんが、昨年10月にTwitterでバズりまくって、大金をはたいてTVCMを投下することとは比べものにならないほどの大きな効果が生まれ、全国に名が知れ渡り、伝説となった店舗です。

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それまでも、他の店ではできない攻めるプロモーションを続けていました。

 

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このイベントは、春日井の名物を創り出すことが目的であるようです。

 

店主自身が春日井出身であり、食としても、人としても、春日井が生んだ名物として、全国に送りこめる逸材で、みなさんも一票を投じる価値はあると確信しています。

 

伝説をご存じ無い方はコチラ▼

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2018年4月7日(土)・8日(日)は、春日井インディペンデントによるローカルフードに会いにいこう!

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だいたい良いんじゃないですか?時代の『欲しいの本質』を学ぶ 

 

 日常的にも、欲しいものが何もないと言う人に出会うのは難しくない。ほとんどの事が満たされたこの世界では、とにかくそれが欲しいと思うことが少なくなった。それを筆者は「だいたい、良いんじゃないですか?の時代 」と表現されていて、それが自分のなかで凄くハマって、インサイトに関する体系化された実践知を得ることができるこちらの本を購入した。余談ですが、この「だいたい、良いんじゃないですか?の時代」というコピー、田端慎太郎さんの「オーケー認めよう、広告はもはや嫌われものなのだ」に匹敵するぐらいの破壊力だと個人的に感じました。

 

市場は成熟化し、コモディティ化、陳腐化とネガティブなワードをよく聞くようになった。問題がゴロゴロ転がっている時代は、その問題を解決するだけで結果を得ることができた。問題自体も簡単なもので、その分かりやすい問題に応えていさえすればモノが売れた。その結果、様々な顕在化されていた簡単な問題は解決され、だいたい、良いんじゃないですか?の時代に突入した。

 

インサイトは人を動かす隠れた心理で、消費者が普段意識していない心理、あるいは消費者自身も気付いていない無意識の領域のことで、脳科学的には5%の意識と95%の無意識のことを言う。本人も気づかない不満を解消できる価値を提供することが「だいたい良いんじゃない?」を超えられるイノベーションとなる。お客様の意見を聞いてもモノが売れる時代は、だいたい良くない時代。多くの人は、人に形を見せてもらうまでに、自分は何が欲しいのか分かっていない。インサイトを捉えれば、競争優位に立てるが、ニーズに応えるだけでは競争優位に立つことはできない。ニーズという言葉は既に浮かび上がっているものであり、潜在ニーズなんて言葉は日本語として誤っている。

 

インサイトを明らかにする行為は、意識の下に隠れている無意識にアプローチするということであり、発掘する、探り出すというような作業。フォードは、このように言ったという。

もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう。

 

企業が何をしたいかではなく、消費者が求めているものは何かを重視されるようになり、インサイトの重要性が高まり、それと共鳴するかたちでデザイン思考という潮流も勢いを増してきた。先入観にとらわれず、人間がもとめていることとは何かを見出すデザイン思考が注目されているのは、世の中にイノベーションが求められているからとも言える。デザインはアートやグラフィックだけではなく、体験も含まれ、シリコンバレーにおいてはUXデザイナーが重宝されている。

 

自分の関わるブランドやカテゴリーには、他の人も同じ熱量で興味を持っていて、ちゃんと考えてくれていると思いがちだが、そんなことはなく、しっかりと人間を見に行く必要がある。それは、自社の製品や市場から離れて、人間が求めているものを知るということで、アンケートから見えてくるものが真実とは限らない。既成概念の壁を乗り越え、イノベーションを伴うアイデアを創造するには、インサイトから発想するしかない。

 

本書では「だいたい、良いんじゃないですか?の時代 」で、頭ひとつ抜きん出るために必要な理論から、具体的なメソッドを知ることができる。停滞している成熟市場でヒット商品を生み出したいマーケティング、商品開発、事業開発担当者は、目は通しておくべき一冊と感じた。

 

 

時代を先読みし、チャンスを生みだす『未来予測の技法』をメタップス佐藤航陽さんに学ぶ

先日、西野亮廣さんの番組内でカラテカ入江さんがゲストとして登場されていた回で、佐藤航陽さんについての話が出た。お二人とも、IT界隈で活躍される人たちの交流が深く、特に印象深い人は誰だという話で、いろいろな優秀な人がいるなかでも、佐藤さんは何を言っているのか付いていけないほどの思考の持ち主であると言っていた。

 

『お金2.0』の興奮が冷めやらぬ中、もう新刊が発売になった。

 

 と思ったら、どうやら数年前に発売されていた『未来に先回りする思考法』に少し手を加えたものであり、Discover社による『お金2.0』のヒットの便乗商法とも感じるものであった。私は本を買う際、歴史的に読み継がれているものではない場合、発行された年を異常に気にする。やはり、自分が好んで読むジャンルの場合、数年前に発行されたものでは、未来を語っているものではなく、すでにそれは現実になっているものが多く、読むことで答え合わせはできても、優位性が生まれることは少ないと思っているから。という思考から、『未来に先回りする思考法』は以前から気になりながら読むことができていなかったため、いい機会にはなった。

  

パターンを見抜き、適切なタイミングを見極めれば、将来どうなっていくのかということの方向性を知ることは可能。
 
 
今の進んでいる道はそもそも本当に進むべき道かを真っ先に考え、変化に先回りしたもののみが生き残ることができる。現状の効率化を求め続けることは、目的地への近道を探すことを放棄した思考停止した状態。そのために、地図を捨てて、コンパスを持つ。大きなリターンを出すためには、適切なときに適切な場所にいれることが重要で、未来に向かう電車がくるタイミングまでに、自分が持っている手持ちのカードをきちんと把握し、電車が来るまでの残り時間の中で、足りないリソースを揃えて、駅のホームで待っていなければならない。また、ライフスタイルは生きてるうちに何度も変わり、今までやってきたことをやり続けることは、リスクが高い。
 
近い未来、データが人の感情すらパターンとして認識するようになると、誰でもこのパターンを利用可能となり、天才の希少性は失われ、駅のホームに早く並ばなければ、電車に乗ることすらできなくななる。それには、常に原理から考え、対象のシステムがどのような必要性を満たすために生まれたかを把握しようとする癖付けが必要がある。イノベーションは、テクノロジーの視点と社会の視点が重なった地点にあり、適切なタイミングで適切なことをすることで生まれる。
 
これからの未来で確実視されるのは、あらゆる物体に知性が宿るということ。IoTによって、物同士が繋がり、今後はそれぞれの物自体にAIなどのテクノロジーが実装される。近代は、顧客と売る側との情報の非対称性が前提であったが、インターネットによってそれは薄まり、情報の伝達は限りなくリアルタイムに、そして、コストは無料に近づいていっていて、分散型の社会システムへ変化しつつある。コンピュータやインターネットが拡張させる本質は、知性の拡張と言い換えれる。テクノロジーの進化によって、機械の人間化が進み、一方で人間の機械化が進む。そして、いつかどこかでそれらが交わる瞬間がやって来て、そのとき、どこまでを人間と呼び、どこまでを機械と呼ぶのか難しい問題となる。知性までも再現可能になったならば、人間を人間たらしめる独自性はない。
 
テクノロジーは、最終的に人間そのものと融合することが宿命づけられている。新しいテクノロジーが社会に普及されると、今度は私たちからそのテクノロジーに合わせて生活スタイルを適応させていくようになる。貨幣は物々交換の非効率を解決するために生み出されたテクノロジーだったが、いつしか逆に貨幣が私たちを教育し始めた。
 
テクノロジーが最後に行き着くのは宇宙で、テック企業は既にその準備を着々と進めている。インターネットは、近代に引かれた様々な境界線を溶かして、あらゆるサービスは価格競争の末、無料に近づいていく運命にあるが、それはインターネットに限られたことではない。時代とともに、何が当たり前かは移り変わり、Googleで行われている20%ルールは、企業側のリスクヘッジである。
 
自分の目の前の現実にどのようなパターンが隠されているか理解したいのであれば、感情という厄介者を一旦無視して、どんな結果が出ても、それを客観的なデータとして見る姿勢が必要となる。物事がうまくいかない場合、パターンを認識するために必要な試行回数が足りていないことがほとんど。ユーザーが望むニーズと、現在の技術で実現できることの接合点を突き詰めていけば、そこにバラエティはあまりなく、多くの場合その未来像は似たものにならざるを得ない。私たちにできることは、顕在化している問題をできるだけ早く解決する方法を見つけ、ひとつでも多くの不幸をなくすことぐらいであって、来るべき未来の到来を早めることが、その時代を生きる人に課せられた唯一の仕事である。
 
自分自身、自分にだけできることを見つけなければという思考があったが故に、そんなものなかなか見つからなく、結果的に何も動けないということがあった。佐藤航陽さんからもらった最後のメッセージは、私のような人間には非常に響く言葉であり、自分だけができることではなく、自分の得意なゾーンのなかで、自分が疑問や問題を感じたことを、可能な限り他の人よりも早く取り組み、解決へ向かわせることが重要であり、僕に課せられた唯一の使命なんだと記憶した。以前にも、感じたことがあると思い出したが、結果的に、できることをコツコツとやっていくことが自己実現への最適な技法なんだろう。

落合陽一『日本再興戦略』で希望の国のグランドデザインを学ぶ

2017年にLive Picksが始まって以来、落合陽一にハマっている。情弱な自分にとっては、そこで得るものは多く、これを見ているだけでも、相当自分の脳をアップデートすることができていることを実感する。未来感が半端ない。そんな中、本書がついに発売となった。

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

 

 内容的にはLive Picksで語られていたことのダイジェスト版的な内容になっており、Live Picksを日々見まくっていた自分としては、新たな発見や情報はあまり無かったが、改めて活字で読むことで、理解を深めることができたと思う。

 

タイトルからも想起させられる通り、本書では落合陽一が描く今後の日本のグランドデザインについて、様々な角度から記されていて、これからの未来を生きるうえでは、たくさんのヒントを得ることができる。

 

 

今の日本は自信を喪失している。現代の日本人は、西洋を真似するといった極端な方向に振れてしまっている。今こそ、欧米という幻想から抜け出し、日本の原点を見つめ直すタイミングだ。
 
日本は、これまで官僚がトップダウンでつくった国策で、一個人が自分の考えを明確に持つ必要無いよう、急激に近代化をしてきた。それ故、我々の教育は人に言われたことをやるのに特化しているため、新しいことをやるということには抵抗を感じる人種である。さらに、均一な教育を与えたうえで、住宅ローンで家計の自由を奪い、マスメディアによる世論操作を行って、新しい需要を喚起していくという戦略で、消費者購買行動をコントロールをしてきたが、それも景気後退や人口減少によって変わらざるを得ない状況となってきた。でも、これはネガティブではなく、課題先進国として稀有な大チャンスであると捉えるべき。
  
明治以降に、誤って押し付けられた西洋的人間性をどうやって超克して、決別し、更新し得るかが今後は重要であるが、最近よく聞かれるワークライフバランスというのは、そもそもワークとライフを二分法で分けること自体が、日本人の文化的に向いてなく、無理なく自然に働くワークアズライフという思考のほうが向いている 。仕事の中に生きて、ストレスなく生活と一致しているのが美しい。明治以降の日本人は、とにかく幸せでないといけないと信じ込むようになったことも問題のひとつ。企業の寿命は短くなるが、人の寿命は長くなっている。仕事とプライベートの境界線はグラデーションがあったほうが、人生のなかで得られるものは多い。
 
ハードの持つ重さが有利に働く時代は終わったことを理解し、今後は百姓的なライフスタイルを意識できるかで、その人間のプレゼンスが計られる。農の中心である百姓はマルチクリエイターであり、百姓こそ’多動力’と言える。士農工商というカーストは、トレンディドラマや拝金主義などを生んだマスメディアの功罪。マスメディアによって「結婚式は数百万もかけてやる」「婚約指輪は何ヶ月分の給料の値段」などというくだらない概念が作られ、いつまにか自分の中にその価値観がインストールされていることにすら、多くの人が気づけていない。日本人の多くは、マスメディアによって植え付けられた普通という概念に捉われすぎており、それによって内なる拝金主義が育てられたことは大きな問題。年収がいくらか気にするのではなく、評価されるのはお金よりも、価値をどれだけ社会に生み出したか。
 
インターネットは、技術をオープンソース化し、マスからパーソナライズ化が進み、今後は、人、bot、物質、バーチャルの区別がつかなくなる世界がやってくる。自動翻訳の技術も進み、英語を使えることだけで優位性があるという世界はなくなる。自動翻訳されるためには、正確な言語を操る必要があり、自動翻訳されない原因の多くは、元となる文の構造が間違ってたり、曖昧な単語や文脈に依存する言葉を多用しているから。人は考えながら言葉を発することが多く、それが原因のひとつであり、今後、自動翻訳できないことは、考えがまとまっておらず、コミュニケーションが下手ということと同義になるかもしれない。
 
何か知らないこと、経験がないこと、自分の常識には無いことに対して、頭ごなしに否定するのではなく、自分のマインドセットが今風ではないかもしれないと疑える人間の優位性は高まっていく。テクノロジーによってもたらされるコミュニケーションやコミュニティに恩恵を受けつつ、それらを批判するというチグハグな状況にあるテクノフォビア。これまでもゲームの世界で、コンピューターと対戦することは普通にあって、それを楽しんでいたはず。昨日より今日よりも良い状態を目指すようなテクノロジー社会では、人口減少と少子高齢化はネガテイブな問題ではない。ここ日本で言えば、人が減って仕事を機械化しても、ラッダイト運動ようなことが起こらない文化が根付いている。また、世界的にも高齢化が進む先進国は増加傾向にあり、高齢化ソリューションが逆タイムマシンビジネスになる見込みが高い。
 
日本人は、この日本がシリコンバレーの植民地状態であるということを認識できていない。それがあるから、日本はアメリカに国防を外部委託できているということなのかもしれないが、インターネットのなかにあるサービスの多くがシリコンバレーの企業によるもので、日本法人のサービスであっても、そのプラットフォームを介すのであれば、何割かは搾取されている。この状況を脱するためにも、ブロックチェーンという技術に期待する部分は大きい。ブロックチェーンの本質は、非中央集権化であり、コードによるガバナンスであり、受益者負担という考え方。投機的な側面が注目を集めているが、ビットコインを始めとする仮想通貨のベースとなるブロックチェーンという技術は、今後、プラットフォーマーを駆逐し、あらゆるビジネスモデルを変えることが期待されている。 だから、コインチェックの件を経て、マウントゴックスの時と同じように思考停止させている場合ではない。
 
今後、デジタルネイチャー社会を生きていくためには、ポートフォリオマネジメント能力と金融的投資能力の向上が必要不可欠になってくる。まずは専門性を掘り下げ、トップ・オブ・トップの人と話すに足る何かを探し、どこか一社に依存するのではなく、複数の職業の中で、どれをコストセンター、プロフィットセンターとするかをマネジメントする。そして、ただやむくもに貯金をするのではなく、お金にも働いてもらってお金を稼いでもらう。それをするためには、時代を読むことが必要で、時代感覚を掴む能力は、投資能力に直結する。
 
今やるべきことをやらないとだめで、機会を伺って動き出さないことは、ただの機会損失にしかならない。自分とは何かを考えるのではなく、まずは今ある選択肢の中でどれができるかをやる。その選択肢には、自分がそれをしたいのか、それができるのか、するべきなのかの区別は必要。収入の1,000倍の格差はそうはないけど、本を読んだ冊数などの格差は普通にあって、それがモチベーションの格差に繋がる。悩んでいないで、まずやってみて、その繰り返しにオリジナリティが生まれてくる。
 
最後のこのメッセージに深みを感じた。
 
画一的な基準を捨て、あらゆることにトキメキ、あらゆるものに絶望して、期待をせずに生きよう。
 
自分たちが持つ常識を世界の常識と考えず、ダイバーシティな世の中であることを意識して、様々なことに自分なりの角度で興味を持ちながら、その先の未来に見返りを期待したり、予測するのではなく、自分が今やれることをやり続けよう。

 

『トップ1%の人だけが知っている「仮想通貨の真実』で仮想通貨との付き合い方を学ぶ

なんども言いますが、これほどまでにアゲインストである風潮であるからこそ、遅いだのなんだの言って思考停止するのではなく、理解を深める必要があると思っています。理解も何もない中で何か言うのは、食べたことがないのに、あーだこーだ言っている人と同義だと思う。

 

まだまだ落ち着きそうにないコインチェック

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マウントゴックスや本件を経て、どのように仮想通貨を管理すべきかを学ぶきっかけを与えられ、また僕たちはひとつ賢くなっただけで、仮想通貨自体の信頼は全く揺らいでいない。あくまで、取引所の問題。上記の記事にもあったが、仮想通貨をマネーゲームで終わらせてはいけないと考えている人たちは山ほどいるし、これで息絶えるものではない。実際に、取引所はこれからのも含めて名だたるIT企業が参入を発表している。その事実を考えると、大暴落したことや、今回の事件のことなどは、一過性のもので、悲観することではない。週末にテレビで少しコインチェック事件に触れているものを見たが、ひどい構成だった。明らかに頭の悪そうな実家暮らしの人が、この件で貯金全てが無くなったと言っていたが、内容を聞くと、ただ普通の判断ができずに、一番高騰しているタイミングでぶっ込み、それが半値以下になってしまったという話。普通の人ならやらない。それを大きく大げさに報道することで視聴率が稼げている。やっぱりテレビは、自分から情報を取りに行くことができない人のためのもので、電通が言うようなB層向けのメディアなんだなと改めて感じた。

 

トップ1%の人だけが知っている「仮想通貨の真実」

トップ1%の人だけが知っている「仮想通貨の真実」

 

 

本書は先ほど貯金が全てなくなったというような人が読むべき本で、仮想通貨との今後の付き合い方について、比較的文字数が少なく述べられていたので、読書が苦手な人でもすぐに読めてしまうと思う。

 

本来、仮想通貨は非中央集権的なものが多いが、それ故、中央集権的な権力者がその流れを拒む。みずほ銀行が主体で進めている仮想通貨'Jコイン構想'でベースとなると思われる有力な候補がリップルリップルのシステムはもともと銀行が使うことを想定しているため、親和性があるが、中央集権的な要素が強いことから、ビットコイン支持者には良く写っていない。反逆的なビットコインは保守的な金融業界とはなじみにくいいため、国際銀行間通信協会リップルを採用することになった。

 

通貨発行権という国にとっての最大の既得権益が、仮想通貨によって脅かされているが、一度起きてしまった革命は後戻りすることはできない。世の中に変革をもたらす商品の普及が10%を超えた時、つまりキャズムを超えたときに、その商品は一気にブレイクするという通説を理解しておく必要があり、それが近い将来やってくる。
 
先ほどのテレビの報道と同じく、本書でも世の中の仮想通貨に対する投機的な側面に警鐘を鳴らしています。お金を増やすルールは、いかに儲けるかではなく、いかに負けないようにするかであり、そして、お金を稼ぐのではなく、お金を殖やすというマインドセットが必要。また、一つの投資に集中するのではなく、分散させるハイブリッド・クワドラントという思考を持つことが負けないための手段の一つ。浪費は過去、消費は現在、投資は未来のためのものであり、それをひとつずつ記録していく。仮想通貨投資はあくまでポートフォリオのなかの一つであり、全てではない。
 
インターネットが普及したが、ほとんどの人がインターネットの使い方を勉強することなく、使い易いものなるように、インターネットの方向から近づいてきた。仮想通貨も、法的な環境整備が整えば、企業によるユーザーフレンドリーが進み、ユーザーも簡単に利便性を手に入れることができるようになる。しかし、先行者有利という言葉の通り、世の中はめんどくさいことを勉強して、率先してやった人間こそ有利になるという現実がある。
 
仮想通貨は、FXの歴史と同じような動きが予想され、これから益々ハードフォークにかこつけた詐欺が横行することも気をつけなければならないが、自分自身で働くだけでなく、自分の持っているお金にも働いてもらうという感覚を持って、100年人生の資金を計画的に調達するために投資リテラシーを高め、理解も何も無いなか食わず嫌いをするのではなく、手段の一つとして仮想通貨とも良い関係を築こうと思うことが必要と感じる。

日本実業界の父・渋沢栄一『論語と算盤』で日本人が帰るべき原点を学ぶ

本を読むことの必要性を感じ始めたのは、子供が5歳を過ぎたあたりぐらいのこと。これぐらいになると、テレビやYouTubeなどからも情報を得れるようになり、良くも悪くも、大人の話が多少は理解できるようになる。

 

最近強烈に思うのは、自分の常識だけを押し付けるような人間は、この先の成長は難しいということ。30歳を迎える前は、実際に力があるということではなく、自分に自信があって、それ故、特定の人間の話しか聞かないタイプだった。当時の立場を考えれば、それはそれで良かったと思うけど、 この先、まだ70年近く生きていくことや、子供を育てていくということにおいては、改めるべきポイントと感じ出すのは当然の流れだ。

 

本を読むことで、自分自身を高める以外にも、子育てにおけるヒントを得ることができる。それは、子育てについて語られている本だけでなく、自己啓発の部類に入るもの全てで、そう思う。子育ては、子供の立場になって、その状況に置かれている気持ちを考え尊重したうえで、そのタイミングに必要な言葉を投げかけてあげなくてはならない。その言葉は、自分の人生で得てきた経験だけがベースであれば、結局、自分と同じような人間になってしまう。それ自体そんなに悪いこととも思わないが、生きている時代背景の違いを考えれば、少し生きづらい部分もあるだろうと思う。だから、先人や、時には年の上下関係なく、著者の人生が詰まった本から生きる術を学びとり、それをできるだけインストールして、必要なタイミングに備えておくことが、親としてやれる数少ないことの一つだと思う。

 

いま、小2になる娘は算盤教室に通っている。算盤は、現代社会を生きてくうえで、必要なものではない。算盤を使って計算をするという行為が発生することは、今もなければ、この先も恐らくない。通うきっかけは本人の意思によるものであり、生きるために必要か否かではなく、意思を尊重するために通うことになった。その算盤教室では、論語についても、教育をしてくれる。当初、教養がない自分にとっては、論語と算盤を教育してくれるなんて、随分特異な先生だなと思うに止まるレベルだった。

 

以前、グロービスの動画で、渋沢栄一の孫にあたる方が登壇されているセッションを見て、存在を知った。そして、今年のLive Picksで佐々木紀彦さんと落合陽一さんとの話のなかで、本書の薦めがあった。

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

 

 ここで初めて、「論語」と「算盤」の関係性を理解し、娘がその算盤教室に通う必要性について腹落ちした。渋沢栄一は、明治維新後の資本主義制度を設計し、約470社の設立や約500以上の慈善事業に関与し、日本実業界の父と呼ばれている。そんな人が、どんな生き方をすべきかと考えたときにベースとした古典が論語だ。

 

読み進めると、時代背景が違いながらも、今言われても違和感のない部分が多くあったことに驚きを感じた。当時はまだ高度成長期前夜と言えるような時代であり、いまのような飽和した状態ではなかったはず。それなのに、当時においても知識教育で良しとしているために、似たり寄ったりの人材ばかり生まれると危惧されており、時代をリードする人が感じることは、今も昔も変わらないんだと感じると同時に、なぜそれが変わらない問題であり続けるのか不思議に感じた。

 

いろいろな宗教で崇められている偉人たちには必ずと言っていいほど、現実には起こり得ない伝説のような話があるが、孔子にはそれがなく、それも渋沢栄一論語を信用するひとつの要素であるという。前述のLive Picksのなかでも述べられていたが、「僕たちはどう生きるか」がヒットしているように、今の時代だからこそ「論語と算盤」が流行るんじゃないかと言われていたのも頷ける。 

 

教育に対して、単に知識を授けるというだけに重点を置きすぎていて、道徳を育む方向性が欠けていると指摘されているように、本書では論語を基軸とした道徳を論じている。これからの時代は知識はAIによって補完できる可能性があるが、道徳的な側面はどうだろうか。本来のターゲットは経営者であるかもしれないが、僕らのような子育て世代が本書から学ぶべきことは多い。

 

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

 

仮想通貨が遅いと言っている人の多くが、仮想通貨のことをなんも知らん人

年を重ねる毎に、時間の使い方について疑問を感じて、習慣が変わる。最近はいろんな習慣を変えることができていて、これが数年続けば、少しはマシな大人になるかなと期待している。

 

まずは、通勤時間。

 

電車に乗れば、スマホをイジっていない人を見つけるほうが難しいほど、みんながスマホをイジっている。それは自分も含めてだが、これって結構な異常なことのような気がしてきた。というか、気持ち悪い。効率的なことではあるのだけれども、みんなが手のひらのそれを頭を下に傾けながら見ている光景は気持ち悪いと思うようになった。個人的には、その多くがゲームをしていると感じている。気分転換であったり、脳の活性化とかそういうこともあるかもしれないが、気持ち悪い。いい大人がゲームに心を奪われているのを見ると、他にやることねーのかよって思う。自分も電車ではスマホをイジっていたが、同質化している自分も気持ち悪いので、電車では本を読むようにした。そうすると月に3冊程度は読めるようになってきた。

 

あと、音楽を聴く時間を、動画を聴く時間に変えた。

 

通勤時間で往復1.5時間、営業での車で2時間、計3.5時間/日ほど音楽やラジオを聞いていた。音楽を聴くのは、基本的には’ながら’が多いわけだが、’ながら’にしても、もったいないので、この時間を動画を聴くという時間に変えた。始めた当初は、中小企業診断士の講座を聴いていて、気分転換程度に、YouTubePodcastで経済や自己啓発的な要素の強いものを聴くようになった。そのなかに、Live Picksがあった。

 

Live PicksはNews Picksの経済ニュース番組。

newspicks.com

 

ここにあるアーカイブを聴くようになった。

www.houdoukyoku.jp

 

これを続けると視点が変わり、見えることや、感じることがいろいろ変わってくる。そして、恐らくほとんどの人が落合陽一にハマる。

 

知識の広さと深さの双方が半端ない。話の全てに未来感があって、それでいて歴史もインプットしていて、今の時代からの視点だけではなく、歴史的背景を把握して、そのうえで未来を語っている。この人の話を聴いているだけでも、これからやってくる今の常識では考え難い未来についての心の準備ができると思う。

 

落合陽一は毎週木曜に登場していて、毎週違うテーマのジャンルについて30分ほど語る。毎週おもしろい。そして、毎週ビットコインについて語られる「Weekly Bitcoin」というコーナーがある。自分の興味というか、これは自分には関係無いと自分事化できてなくて、このコーナーは約半年間ただ聴いているだけだった。それだけでも、知識レベルは多少上がっていた。

 

というなか「お金2.0」を読んだ。

win-river-stand.hatenablog.com

 

この本以外でも聞くことはあったが、仮想通貨に使われている技術のブロックチェーンの世の中に与えるインパクトは、自分が考える以上に大きく、インターネットが世の中に登場したときの感じと似ているという。インターネットが登場した時も、国のいろんな規制や、情報漏洩の問題など、まだ見ぬ世界に期待よりも不安が先走る感があったよう。それが今はこういう世界。5Gになれば、また見たことの無い世界がやってくる。

 

今、仮想通貨という言葉を発すれば、イコールBitcoinとなり、今更遅い的な発言が返ってくることが多い。しかし、その人の多くが仮想通貨を全く保持していない。それはBitcoinイコール投機・投資という頭になってしまっているからだと思う。今更遅いというのは、’早くは無い’ということであり、’遅い’わけではないと思う。遅いというのは、この期に及んでも、言葉を知っただけで理解したつもりになって、なぜか上から目線で語り、行動に移さず、未来を迎えることだと思う。

 

落合陽一さんは、ある回で、仮想通貨についての視聴者の知識レベルが低すぎると嘆いていた。投機・投資をしている人でも、本質的なことを理解していないことが多いと。

 

www.nikkei.com

 

先日起きたこの事件を見て、マウントゴックスの時、やっぱり危ないものなんだと思考停止させたことを思い出した。今回も、ほとんどの人が、やっぱり危ないからヤメておこうと感じたと思う。だから、ある意味チャンスだと思う。今回も仮想通貨自体の問題ではなく、取引所の問題。仮想通貨の流通は、被害を受ける既得権受益者は多い。それ故、偏重した報道も多いということも理解したほうがいい。

 

マンガでわかるビットコインと仮想通貨

マンガでわかるビットコインと仮想通貨

 

 

とりあえず、この辺りの本で、LivePicksで言われていた単語などの答え合わせてをして、Twitterやブログで情報収集を始めた。仮想通貨はこれからのものであり、完成されたものではない。どんなことでも、問題が起きて、それをアップデートして、より便利なものになっていく。年明けからの大暴落や、コインチェックの件は、間違いなくチャンス。今更遅いなんてことは、ほとんどの事がそうで、それを言い出したら、何もできない。別に投機・投資目的ではなく、こういうことは、もう遅いからやめとこう、ではなく、これ以上周回遅れにならないようにしよう、と思えることが大事だと思う。