勝川STAND

勝川STANDは、個人事業主様・フリーランス・小規模店舗経営者様に、無料ツールを使って、撮影から制作までリーズナブルにクリエイティブを提供します。

ピョートル『ニューエリート』で楽しんで仕事をした者勝ちの世界を学ぶ

最近は本を読むようになったおかげで、良い意味でバイアスがかかってきた。

 

先日、Voicyで新R25の編集長の渡辺さんが言っていた話で「バイアスを選ぶ」というのがあった。わざわざ説明するまでもないが、現代人が1日に受け取る情報は平安時代の一生分、江戸時代の1年分もあり、記憶することが難しいレベルで情報が溢れている。そのため、テレビやラジオなど発信者の都合の良い情報しか発信しない、なんとなく見るメディアの情報を極力控え、自分から情報を取得しにいくメディアで、さらに自分がベンチマークしている人種からのみ情報を受け取るように自分はなっている。対象となる人種に違いはあれど、スマートフォンを使って大多数の方がそうしていると思う。そうなれば、選好することで、自然と偏りが出てくるため、それ故「バイアスを選ぶ」ということになっている。それを自分で理解しているかは非常に大きく、自分の偏りを、世界の常識や日本の常識を捉えている人によく出会う。所謂「普通、そうだよね」のような、主観を世の中の常識と捉え、そこから外れる人間を否定する。

 

今回、こちらの本を読んだ。

ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち

ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち

 

 

自分のなかでのバイアスのおかげ、本書でピョートルさんが言っていることは、ほとんどが腹落ちし、多くのことを頷きながらメモを取ることが多かった。これからの「楽しんで仕事をした者勝ちの世界」を生き抜くために有効な言葉をたくさんもらうことができた。

 

今自分がどのステージにいるかではなく、持続的に成長し続けているのかを常に頭のなかで意識していくことが重要。お金は人々が価値をやり取りする手段のひとつに過ぎず、ステージは給料などの尺度で測るものでもない。これからの時代をリードするのは、ポスト資本主義の世界の仕組みを作る人たちで、面白いからやる、やりたいから勝手にやる、自分がやらなくては、というスタンスを持つ人種である。変わること、変わり続けることは、常に次の可能性に備えておくということ。今の環境が永遠に続くというのは幻想でしかなく、いつでもクビになる準備をする必要がある。

 

主流技術とは全く違う技術によって、従来のビジネスが壊滅的なダメージを受ける破壊的イノベーションは大昔から起きている。現代はマネタイズから思考しないという新しい行動パターンがメインストリームを創っている。また知識をどれだけ持っているかのようなナレッジエコノミーから、何を創り出せるかのクリエイティブエコノミーの時代になった。デジタル化による民主化が進むと個人の力で動いていくことが、ますます必要不可欠になる。新しい価値を生み出すには、初心者のマインドセットが必要

 

自己実現することこそが生きる意味。自分自身を深く理解し、それを周囲の人たちに開示していく。自己実現とは、他者貢献とも置き換えられる。自己実現を重視する人たちは、スキルを磨き、ビジョン、ミッションを持ち、それを実現するためのパッションを発揮し、どうやって身につけて、どのように発揮するかを日々考えている。仕事で自分が出しているアウトプットにプライドがあるか、そして、アウトプットを出すまでのプロセスを楽しんでいるか。日本には、文化的な活動を収入に繋げるだけのマーケットが存在している。今の仕事に不満があるのなら、今の仕事のやり方を変えるのか、仕事そのものを変えるのかで、問題は解決できる。不満を抱えながら何も行動しないならば、何も変わらない。

 

シェアリングエコノミーは単なる消費活動ではなく、誰かと分かち合う幸せを感じられるインフラである。今の時代の成功は、持続的に成長していることに加え、選択肢を持てるかも重要なファクターで、もらう価値よりも、もたらす価値を大きくすることで、成功に近づく。例えば、3割ぐらいをマネタイズに、7割ぐらいを将来の土台作りの投資に当てる。自分をブランディングしながら、ちょっとした縁を大事にしていると、さらに大きな縁に恵まれる。また、師匠を限定しないことで学びのアンテナの感度は増し、挫折経験もパフォーマンスに大きな影響を与える。自分では意図しない物の中にブランディングのヒントが隠されている。意図的にブランディングを測るのも重要だが、周囲の反応から自分のブランドになり得るものに気づくセンスはもっと重要。

 

何も行動しないまま時間が過ぎていくことに恐れを感じるべき。具体的に計画して行動している人は、自由な働き方を手に入れ、一方、行動しない人たちのキャリアが閉ざされ、二極化に拍車がかかる。成長ができて、やりたいことを楽しみながら仕事にできるレベルが理想的な働き方で、仕事や趣味というカテゴリーを横断して、行動ができる人が活躍する時代。流行りそうなことで活躍をするよりも、誰もやってないこと、自分にしかできないこと、自分が何をやりたいかというwillを持って始め、経験からいち早く学んで、新しい環境のもとで遊びを活かして成果を出す。日本人の多くが自己肯定感が低く、苦痛を感じながら働くことが目的化している。

 

今日は何をして、何を感じて、何を学んだか。今の仕事で何が楽しくて、何が楽しくないか。自分は仕事を通じて何を得たいんだろう?なぜそれを得たいんだろう?何をしたときに良い仕事をしたと思うのだろう?いい仕事をするためには何が足りないんだろう?

 

自己実現は、自分のレガシーを残すこと。目標を設定して、その目標に近づく行動をとる。決めた目標を持ち続けることに固執するのではなく、状況や心境に応じて、目標は見直し、常に変わり続けるということが重要。これは仕事というよりも、100年時代の人生設計に必要なマインドセットであり、残りの人生がより多い子どもたちにも投げかけるべき言葉だと感じる。

 

伊藤穣一「教養としてのテクノロジー」で『いま』に生きる意味を見つける

昨年、「9プリンシプルズ」が書店に並んでいるのを見て、伊藤穣一さんという存在を知った。以前、茂木健一郎さんのラジオに出演されていたとき、日本人は特に権威に弱く、それによって突然態度を変えるということが多い人種であると言っていたが、まさに自分もその類で、MITメディアラボの所長であると聞き、一気に興味が湧いた。

 

日本人がMITメディアラボの所長であるという事実に、日本人ということに誇りを感じたが、経歴を聞くと、確かに日本人ではあるが、キャリアのほとんどをアメリカで過ごしてきている。アスリートにも多いが、今結果を出している日本人のなかで、日本人と言いながら、日本で生まれながら海外で過ごし、海外の空気に触れることで、良い意味で日本人らしさを失った成功者は多い。やはり、多様性のなかで生活をするということで磨かれるものは大きいと感じる。

 

 

テクノロジーの進化に対して、まだ自分たちには関係ないと思っている人が多いが、それは誤り。また、技術そのものではなく、その背景にある考え方、フィロソフィーを理解する必要があり、本書では、経済、社会、日本の3つのパートに分けて語られている。

 

シリコンバレーのIT企業は「スケール・イズ・エブリシング(規模こそ全て)」という思考から始まることが多く、それ故、巨大になりすぎたことで競争が失われた。たくさんの組織やサービスに分散させた方が、レジリエンスは高いはずだが、一つに集中させてしまっている実情がある。コンピュータの性能が18ヶ月ごとに2倍になっていくと言われるムーアの法則。これによって僕たちの環境は大きく変わり、働くということを改めて再定義する必要がある。働くことイコールお金では無いように、世の中にはお金ではないが価値のあるものや、お金では決して買えないものも存在する。人間が働くこと全てお金の価値に還元して、例えばGDPのように、経済の指標にするという発想があるが、今後の社会で不必要な指標になるかもしれない。また、UBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)でお金のためだけに働かないミーニング・オブ・ライフが重要になる。生活のためにお金を稼ぐ経済効率のためというロジックは自己目的化しやすく、それ自体にあまり考えるという必要はない。自分の生き方の価値を高めるには、どう働けばいいかというセンシビリティを考えるに面白い時期に入ってきた。

 

未来を語るうえでは、仮想通貨にも触れる必要がある。伊藤穣一さんは1990年代から仮想通貨に対して取り組んできた歴史上の証人である。仮想通貨は、国家を信用しない暗号化された電子取引であり、リバタリアンの理想が生み出したもの。インターネットが生まれたことも、ディセントラリゼーション(脱中心)が起源であり、経済や通貨もそこに向かい始めたということ。経済を有機体として見たとき、一つの金融装置、一つの基準のままでは、どこかで経済がクラッシュし、機能しなくなるリスクがある。そもそも、紙幣も仮想的な通貨である。その国がその紙きれに価値があると認定し、それをみんなが信じているだけ。仮想通貨は、ただデジタルなだけで、いま流通している円やドルもバーチャル。今後は、ブロックチェーンによって自然界のものも管理され、やがて自然通貨として、今よりも価値を持つものが出てくる。

 

お金持ちは、お金で買うことのできない「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」をいま以上に考える必要があり、お金は持ってないけど、ある特定の価値観やコミュニティを持っている人については、どんな価値をお金に交換して生活していくかを真剣に検討していかなければならない。ダニエル・カーネマンの研究によれば、お金によって得られる幸せは、年収850円までという結果がある。無限にお金を稼いでも幸せにならなく、必要以上にお金を得ても幸せになれないのであれば、何のためにお金は存在するのか。お金に換算できないからこそ価値があるものもある。人間関係も同じで、すべてバランシートに落とし込むようなことは無意味。

 

テクノロジーの発展によって、人間拡張、人間と機械が融合され、人間の果たす役割や意味が変わる。トランスヒューマニズムは、科学技術を使って人間の身体や認知能力を進化させ、人間を前例のない状態まで向上させる思想。テクノロジーの進化によって、やがてパラリンピックが、障害者の競技から、拡張者の競技に変わり、新しい倫理が作られていく。

 

日本の教育システムは、ロボットのような人間を育てている。高度成長期のなかで、画一的な教育で国力を上げてきたのかもしれないが、この不確実な未来を生きていくなかでは、改めて考え直す必要がある。これ以上ロボットを育てても意味がない。アメリカでは、学校教育に頼らず、学校そのものが存在しないかのように育てる「アンスクーリング」というムーブメントがある。「セルフディレクティット・ラーニング(自発的な学習)」という哲学がベースになっており、自分が何を学びたいか全て自分で決めて、どのように学ぶかも決める。競争に勝つことではなく、人とテクノロジーを使って、どうやってコラボレーションしながら知識を得られるのか、疑問やアイデアを解決するには知識が必要と感じるところからスタートする。違いを持つコミュニティで自分と他者との違いを感じ、自分のことを知り、どうやって人と繋がれば良いのかを自分で考え、学ぶ。日本の教育は、’今’ではなく、’未来’を生きることを目的としたものが多いが、子どもが経済を支える人間ではなく、自分の中にどのように幸せを見つけられるかのメソッドを知ることのほうが重要。イノベーションは、いま身の回りで起きていることに心を開き注意を払うことから始まるため、フューチャーリスト(未来志向者)ではなく、ナウイスト(現在志向者)になるべき。そして、大人は子どもたちが持つ知恵を知る必要があって、大人と子どもがお互いから学べるものがあることも理解すべきだ。

 

パンクムーブメントが起こった1970年代は「ノーフューチャー・ジェネレーション(未来のない世代)」と言われていた。インターネットという場は、年々ネガテイブなものになっており、ネガテイブな方が繋がりやすくなった。#metooがその例。本来、ムーブメントにはハッピーが必要で、やりたいことをいきいきとやるということが重要。この先の未来、何かを閉ざしたまま、ベルトコンベアに乗っていればいいという思考では生き抜くことはできない。ムーブメントは1人で引っ張って起こすのではなく、起きようとしている兆しに気づく事が大事で、繋がっていない波を、繋げるにはどうしたらいいかを考え、『いま』に生きる意味を見つけよう。何かに迷って停滞している時間はない。

 

『欲望する「ことば」』で「社会記号」とマーケティングを学ぶ

僕は広告業界のなかで、嶋浩一郎さんが好きだ。広告業界では、デザイナーが主役になることが多いなか、嶋さんは肩書きには一切こだわってはいないとは思うが、そのプロモーションにおける重要人物として挙げられることが多いマーケター。これまでの実績をいろいろなメディアで紹介されているが、どれもロジカルで、感覚的で説明ができないものは、見た記憶はない。

 

欲望する「ことば」 「社会記号」とマーケティング (集英社新書)

欲望する「ことば」 「社会記号」とマーケティング (集英社新書)

 

 

本書では、潜在的欲望をあぶり出し、世の中を構築し直す「社会記号」のダイナミクスについて語られている。

 

新語は日々生まれるが、定着するものとしないものがあり、その定着したもののなかに社会記号はある。社会記号とは、言葉が生まれたときには辞書には載っていないが、社会的に広く知られている言葉。例えば「女子力」「加齢臭」「美魔女」などで、最近で言えば「インスタ映え」などが該当する。社会記号が定着するプロセスの中で、新しい文化や市場までもが生まれる。社会記号は人々の生き方や社会の構造が変化していくときに、世の中の端っこに現れる予兆のようなものであり、社会記号がサーチライトとなり、それまで見えていなかったものが見えるようになる。以前「癒し」や「癒し系」という言葉が社会記号となったが、そもそも「癒し」よりも「癒す」という使われ方が一般的であったものが、求めるという、より受け身な構図がこの時代に成立したということを示しており、その時代における人々のニーズが色濃く反映される。言葉には、物事を対象化して、類型化して、匿名化する役割があり、私たちの経験を抽象化させて、解釈を方向付ける強制力がある。カテゴリーは、無数にある商品世界に秩序を与え、ラベリングすることで思考が節約され、アタマを使わずに済ますことができることも、社会記号が果たす大きな役割。

 

自社製品が、社会記号の限られた指定席に座ることができれば、社会記号と商品の結びつきが寡占化され、情報発信しなくとも、ずっと取材され続けるという大きなメリットがある。コトバにはモノを売る力があり、モノを売るにはコトバも売らなければならない。社会記号には人々の欲望の暗黙知が反映されており、隠された欲望であるインサイトを捉えることは、企画に携わる人にとって最も重要な作業である。自分の欲望に自覚的な人は多くはなく、欲望は自存するものでなく、それを満たすものが目の前に出現したときに発動するもの。人間の欲望は簡単に言語化できなく、そのくせとんでもなく都合がいい。そのため、その欲望が表現された社会記号が現れたとき、一気に市場は動く。顧客の気持ちになり、顧客に憑依して、言葉を作る。消費者ニーズがあるところに言葉を作れば、社会記号が生まれる。

 

雑誌は社会記号を生み出すことが得意なメディア。雑誌編集者の多くは、読者の潜在的な欲望を言語化して、提示することで新たなファンを獲得できることを知っている。雑誌はターゲットが絞られているが故に世界観に同意した人向けのワードを使うことができるのが大きな強み。大衆の時代から分衆の時代となり、分衆をターゲットにする雑誌が人々の新しい欲望を捉える装置として機能し、社会記号を生み出すメインプライヤーになった。

 

昨今、ビッグデータに対する期待度が高まっているが、インサイトまでは掴めないだろう。ビッグデータはあくまで、それまでの集積であり、今や未来の情報の集積ではない。データになっている時点で、既存の欲望の整理整頓をしているだけ。消費者は、言語化した欲望に応えてくれるプレイヤーには、あまり感謝しなくなり、実はコレが欲しかったというインサイトに応えてくれるプレイヤーに魅力を感じ、はるかに価値が高い。欲望は、自覚できないから言語化できないが、それでも文句を言うことはできる。日常に潜む違和感に目を向けることで、生活者のインサイトに近づくことができ、書店に入って情報のシャワーを浴びることも一つの手段。感覚を敏感にしないと、あっさり見過ごしてしまうような些細な違和感にヒントがあり、若者の欲望を体現する文化は、いつも社会の端っこから生まれる。

 

社会記号がサーチライトであるということは、新しい概念が誕生する。そして、社会記号が生まれると、これまで見えてこなかったものが見えるようになるが、何かに光を当てることで、同時に何かが影になって見えなくなる。マーケターとしては、社会記号を作り出すというレベルに達しないまでも、その社会記号の誕生によって、その背景では、何が見えなくなったのかを意識することが重要。また、「巨人の肩の上に立つ」というマインドセットを持つことで、先人の積み重ねてきた発見の上に自分はあるという謙虚な姿勢で、それらをうまく使いきることで、社会記号をよりクリティカルに捉えることができる。買うという背後には、買ってもらうためのマーケティングがあり、そのマーケティングのなかで社会記号のプレゼンスは大きいということを理解したうえで、クライアントと接していきたい。

 

波頭亮『AIとBIはいかに人間を変えるのか』で働く必要のない世界での生き方を学ぶ

BIについては、ピンと来ない人はまだまだ多いかもしれない。BIはBasic Incomeの略称で、国民全員に生活できるだけの現金を無条件で給付すること。それだけを聞くと「んなこと実現するわけないじゃん、普通」と感じる人が多いと思う。でも、これからAIが凄まじい勢いで成長していけば、僕たちの多くの仕事がAIに奪われ、新たな仕事を生み、BIが実現するということは決して夢物語で終わらない。本書では人類史上初となる、「労働」から解放された社会で、どのようなマインドセットを持って生きていく必要があるのかを説いている。

 

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

 

 

AIもBIもどちらも桁違いのマグニチュードで社会に大きなインパクトを与える。それは社会のあり方を覆してしまったルネサンスに匹敵するほどのインパクト。得体の知れないことの重大さが、世の中のあちこちで話題になってきた理由として、知的労働の価値の暴落と、感情労働の価値の向上が挙げられ、インテリジェンスから感性へと世の中がシフトしているとも言える。人間は食うため、生きるための労働から解放される。しかし、働かなくてもいい世界は苦悩の淵と隣り合わせであり、人間はどう生きれば豊かな人生を送れるのかを改めて考え直す必要がある。

 

人間には心や感情があり、それらに裏付けられて身体を使うからこそできるものがある。人間は無意識的に経緯に基づいた情報の選別判断をしており、AIは何を考慮の対象とするのかを人間のように瞬時に判断することができない。そこで、近年AIが劇的に発展することになったディープラーニングが登場した。ディープラーニングで、コンピュターは目を持ち、捨てることを覚えた。人間の分かるというプロセスは、何かと比べて違いを認識することで、判断に重要なポイントだけを用いるのは、人間のヒューリスティックパターン認識に近い。

 

AIの発展は機械学習ディープラーニングといった情報処理プログラムだけではなく、ハードウェアの性能向上、ビッグデータの活用によってブレイクスルーが実現した。AIにはまだまだ問題があって、アルファ碁で言えば、人間の1200人分の電力がかかっており、人間の知能を代替するためのコストはまだまだ実用するには時間がかかる。能力的にも問題がある。AIはあくまで人工の知能であって、人間の能力は知能だけではない。むしろ知能以外の能力が知能と相まって、AIを遥かに超えた様々なことができるのが人間であると考えるべき。AIは相関関係の判断が得意である一方、因果関係の判断は苦手であり、解がひとつに定まらない、もしくは、そもそも正解がないものなど、不確実性が高い状況の判断には向いていない。AIはデータから学ぶが、人間は失敗から学ぶもの。人間特有の本音と建て前のギャップや声色、表情といった曖昧な、そして包含する意味内容が状況によって都度変わるような対象を読み解くことは、AIにとっては非常に難しい問題である。人間がものを分かるというプロセスにおいて、論理以外の様々なファクターを用いており、また、人によって最適解が異なる。合理性が求められるタスクでは実力を発揮できるものの、論理的・統計的合理性から切り離されたタスクではあまり力を発揮できない。

 

AIが進化し、技術革新で無くなる職業がある一方、生まれてくる職業もある。AIが苦手とするのは、身体性ベースのマルチタスク要素、直観直感の要素、クリエイティブ要素などの分野。マルチタスクとう意味ではコンビニ店員などはAIを実装してもロボットには対応が難しい。クリエイティブにおいてもAIのそれは、創造ではなく、まだまだ模倣というレベルであり、本当の意味でクリエイティブというには程遠い。

 

 

BIに似たもので、生活保護というものがあるが、それにかかるコストは対象者に支払うもの以外にも、運用面で非常に効率が悪いお金の使い方をしているが、一方BIはシンプルで運用コストも小さい。たびたびBIによって、働くインセンティブが削がれることを懸念する声が聞かれるが、実際には心配する必要がないというデータも出ている。企業側にも、終身雇用や福利厚生などの保証の体力を軽減するメリットがあり、働き方改革が更に加速し、社会全体が活性化する期待もできる。民主主義社会において、大きく三つの思想があるが、コミュニタリアンリバタリアンネオリベラリストの三者がBIを評価しているという他に類を見ない非常に合理的な仕組みであると言える。

 

BIによって、単に食べるため、生き延びるためにではなく、生活を豊かにするため、仕事自体を楽しむためなど、個々人の人生の目的や価値観に応じて仕事内容や働き方を選択できるようになり、人にとっての仕事の意味や人生における仕事の位置付けは変化する。個人の存在意義と価値は、社会的コミュニティの中で規定されるが、仕事はその人の社会的座標を与えてくれるであり、社会と有機的に繋がることで、自分自身が何者であるかを認識できる。

 

AIは人間の持つ知的パワーを代替するが、そのパワーに人間が敵わなくなれば、価値を生産するための活動に人間が関わる必要性がなくなる。AIは摩擦的失業の解消が追いつかないほどのパワーを持っており、究極的には全ての生産活動がAIだけで賄われるぐらいのインパクトであり、そのような社会になったとき、人間が生きていくために必需的に求められる財・サービスの生産は圧倒的に効率化され、実質的なコストも小さくなり、その生産物を消費することが人間の経済的役割になる。

 

仕事は、労働(Labor)、仕事(work)、活動(action)に分けられるが、AIとBIによって人間が生きるために働くことから解放されて、生きるための労働以外の活動を行うために生きる社会になることで、生きるために仕方なくやらされる労働(Labor)は無くなり、労働を提供して対価を得るのではなく、自己実現や社会貢献をしようとする活動(action)が増えてくるだろう。AI + BIの世の中で豊かに生きるためには、やりたいことを自ら持たなければならなく、そのためにはやりたいことを見出す能力が必要。これからは何をやっても良い状態で、何をやるのかを自発的に決める必要がある。身体的にも、知的にも、感情的にも、備わっている能力を、フルに発揮できることが快いと感じる感覚のメカニズムを持つ。本来持っている能力を十分に発揮できない生活は、心身の健康を壊す。心身ともにポテンシャルをフルに働かせて経験と修練を積むことで、楽しく豊かだと感じられる人生をおくることができる。

 

これまで人口増によって経済成長してきたが、現在起きている経済が豊かであるのに人口が減少するという事実は、人類が新しいステージへシフトするシグナルと言える。答えを自ら考えるより、すでにある答えを検索するほうが効率的に見える社会風潮があり、現代人の考える力は低下している。この先、人間がAIに依存すれば人間の能力を下げることになり、結果的にシンギュラリティを早めることにも繋がる。何をやるのか自発的に決めることが今後必要不可欠となるというが、実際にはそれができない人間のほうが圧倒的に多い。人に人生を決めてもらっても、これまで以上に生き辛い世の中になっていく。人は生まれた瞬間が一番好奇心に溢れていて、その後の成長過程で親や教育機関によって押さえつけられ、大人になっていく。子どもたちには、自分が何が好きで、何をやりたいのか、自分の意志を持つということの大切さを伝え、親としてやれる限りのことをやっていきたいと改めて感じた。

 

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

 

 

あなたの一票で決まる!春日井名物グルメ王座決定戦2018

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お花見シーズン真っ只中の2018年4月7日(土)・8日(日)に、第3回となる春日井名物グルメ王座決定戦が、春日井市・落合公園にて開催されます。

 

春日井名物グルメ王座決定戦

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www.instagram.com

 

平昌五輪が終わり、もうあと2年すると東京での熱狂がピークを迎える。前回の1964年の開催と今の日本が置かれた状況はまるで違う。当時は、高度成長期に向かってひたすら突き進む状況下での開催であり、あらゆる投資がその後のインフラ強化に役立った。今回は、成熟しきった状態での開催で、開催後のレガシーについていろいろな議論がある。その多くがマイナス要素であり、負の遺産を負わされる可能性も非常に高く、開催後のポスト2020に危険を感じている人は少なくない。

 

そして、この日本は世界でも類を見ない人口減少と同時に超少子高齢化に向かって突き進んでいます。世界経済のなかで、日本が力を取り戻すには課題先進国としてのプライオリティを持てるという前向きな見方もあるが、漂うのは悲壮感のほうが強い。このような状況になってしまったのは色々な問題があると思うが、結局は日本という国が手を打ってこなかったと言わざるを得ないが、国のせいだと思考停止せずに、そこに住む人たちが動き出している。

 

この問題は国単位だけでなく、自治体というコミュニティでも同様で、当然ながら僕たちの住む春日井も例外ではない。市に期待するだけではなく、そこに住む市民一人ひとりが春日井というコミュニティに対してコミットメントを高めていくことで、春日井の魅力が高まっていくことに繋がると思う。

 

その手段の一つとして、このイベントへ参加するということがある。

 

本イベントは、春日井に拠点を持つ飲食店が、落合公園に集結し、春日井名物グルメ王座となるべく競い合うイベント。出店者は、大手チェーンのような業態ではなく、インディペンデントなローカルで活躍する店舗であり、春日井で生まれ育ったり、何か縁があって春日井に出店し、春日井という街を良くすることに日々尽力されているソーシャルグッドなひとたち。

 

そんなローカルを盛り上げようとしているひとたちを他人事にせず、春日井の魅力を高めようとしているインディペンデントなひとたちを応援しに行きましょう。

 

ローカルを大事にしよう。

 

僕はここを応援しに行きます。

 

ライトニングファイヤー(勝川印度まぜそば

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第一回から3回続けての出店で、毎回僕はライトニングファイヤーに持っている全ての票を投じます。ご存知の方も多いかもしれませんが、昨年10月にTwitterでバズりまくって、大金をはたいてTVCMを投下することとは比べものにならないほどの大きな効果が生まれ、全国に名が知れ渡り、伝説となった店舗です。

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それまでも、他の店ではできない攻めるプロモーションを続けていました。

 

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このイベントは、春日井の名物を創り出すことが目的であるようです。

 

店主自身が春日井出身であり、食としても、人としても、春日井が生んだ名物として、全国に送りこめる逸材で、みなさんも一票を投じる価値はあると確信しています。

 

伝説をご存じ無い方はコチラ▼

win-river-stand.hatenablog.com

 

 

2018年4月7日(土)・8日(日)は、春日井インディペンデントによるローカルフードに会いにいこう!

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だいたい良いんじゃないですか?時代の『欲しいの本質』を学ぶ 

 

 日常的にも、欲しいものが何もないと言う人に出会うのは難しくない。ほとんどの事が満たされたこの世界では、とにかくそれが欲しいと思うことが少なくなった。それを筆者は「だいたい、良いんじゃないですか?の時代 」と表現されていて、それが自分のなかで凄くハマって、インサイトに関する体系化された実践知を得ることができるこちらの本を購入した。余談ですが、この「だいたい、良いんじゃないですか?の時代」というコピー、田端慎太郎さんの「オーケー認めよう、広告はもはや嫌われものなのだ」に匹敵するぐらいの破壊力だと個人的に感じました。

 

市場は成熟化し、コモディティ化、陳腐化とネガティブなワードをよく聞くようになった。問題がゴロゴロ転がっている時代は、その問題を解決するだけで結果を得ることができた。問題自体も簡単なもので、その分かりやすい問題に応えていさえすればモノが売れた。その結果、様々な顕在化されていた簡単な問題は解決され、だいたい、良いんじゃないですか?の時代に突入した。

 

インサイトは人を動かす隠れた心理で、消費者が普段意識していない心理、あるいは消費者自身も気付いていない無意識の領域のことで、脳科学的には5%の意識と95%の無意識のことを言う。本人も気づかない不満を解消できる価値を提供することが「だいたい良いんじゃない?」を超えられるイノベーションとなる。お客様の意見を聞いてもモノが売れる時代は、だいたい良くない時代。多くの人は、人に形を見せてもらうまでに、自分は何が欲しいのか分かっていない。インサイトを捉えれば、競争優位に立てるが、ニーズに応えるだけでは競争優位に立つことはできない。ニーズという言葉は既に浮かび上がっているものであり、潜在ニーズなんて言葉は日本語として誤っている。

 

インサイトを明らかにする行為は、意識の下に隠れている無意識にアプローチするということであり、発掘する、探り出すというような作業。フォードは、このように言ったという。

もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう。

 

企業が何をしたいかではなく、消費者が求めているものは何かを重視されるようになり、インサイトの重要性が高まり、それと共鳴するかたちでデザイン思考という潮流も勢いを増してきた。先入観にとらわれず、人間がもとめていることとは何かを見出すデザイン思考が注目されているのは、世の中にイノベーションが求められているからとも言える。デザインはアートやグラフィックだけではなく、体験も含まれ、シリコンバレーにおいてはUXデザイナーが重宝されている。

 

自分の関わるブランドやカテゴリーには、他の人も同じ熱量で興味を持っていて、ちゃんと考えてくれていると思いがちだが、そんなことはなく、しっかりと人間を見に行く必要がある。それは、自社の製品や市場から離れて、人間が求めているものを知るということで、アンケートから見えてくるものが真実とは限らない。既成概念の壁を乗り越え、イノベーションを伴うアイデアを創造するには、インサイトから発想するしかない。

 

本書では「だいたい、良いんじゃないですか?の時代 」で、頭ひとつ抜きん出るために必要な理論から、具体的なメソッドを知ることができる。停滞している成熟市場でヒット商品を生み出したいマーケティング、商品開発、事業開発担当者は、目は通しておくべき一冊と感じた。

 

 

時代を先読みし、チャンスを生みだす『未来予測の技法』をメタップス佐藤航陽さんに学ぶ

先日、西野亮廣さんの番組内でカラテカ入江さんがゲストとして登場されていた回で、佐藤航陽さんについての話が出た。お二人とも、IT界隈で活躍される人たちの交流が深く、特に印象深い人は誰だという話で、いろいろな優秀な人がいるなかでも、佐藤さんは何を言っているのか付いていけないほどの思考の持ち主であると言っていた。

 

『お金2.0』の興奮が冷めやらぬ中、もう新刊が発売になった。

 

 と思ったら、どうやら数年前に発売されていた『未来に先回りする思考法』に少し手を加えたものであり、Discover社による『お金2.0』のヒットの便乗商法とも感じるものであった。私は本を買う際、歴史的に読み継がれているものではない場合、発行された年を異常に気にする。やはり、自分が好んで読むジャンルの場合、数年前に発行されたものでは、未来を語っているものではなく、すでにそれは現実になっているものが多く、読むことで答え合わせはできても、優位性が生まれることは少ないと思っているから。という思考から、『未来に先回りする思考法』は以前から気になりながら読むことができていなかったため、いい機会にはなった。

  

パターンを見抜き、適切なタイミングを見極めれば、将来どうなっていくのかということの方向性を知ることは可能。
 
 
今の進んでいる道はそもそも本当に進むべき道かを真っ先に考え、変化に先回りしたもののみが生き残ることができる。現状の効率化を求め続けることは、目的地への近道を探すことを放棄した思考停止した状態。そのために、地図を捨てて、コンパスを持つ。大きなリターンを出すためには、適切なときに適切な場所にいれることが重要で、未来に向かう電車がくるタイミングまでに、自分が持っている手持ちのカードをきちんと把握し、電車が来るまでの残り時間の中で、足りないリソースを揃えて、駅のホームで待っていなければならない。また、ライフスタイルは生きてるうちに何度も変わり、今までやってきたことをやり続けることは、リスクが高い。
 
近い未来、データが人の感情すらパターンとして認識するようになると、誰でもこのパターンを利用可能となり、天才の希少性は失われ、駅のホームに早く並ばなければ、電車に乗ることすらできなくななる。それには、常に原理から考え、対象のシステムがどのような必要性を満たすために生まれたかを把握しようとする癖付けが必要がある。イノベーションは、テクノロジーの視点と社会の視点が重なった地点にあり、適切なタイミングで適切なことをすることで生まれる。
 
これからの未来で確実視されるのは、あらゆる物体に知性が宿るということ。IoTによって、物同士が繋がり、今後はそれぞれの物自体にAIなどのテクノロジーが実装される。近代は、顧客と売る側との情報の非対称性が前提であったが、インターネットによってそれは薄まり、情報の伝達は限りなくリアルタイムに、そして、コストは無料に近づいていっていて、分散型の社会システムへ変化しつつある。コンピュータやインターネットが拡張させる本質は、知性の拡張と言い換えれる。テクノロジーの進化によって、機械の人間化が進み、一方で人間の機械化が進む。そして、いつかどこかでそれらが交わる瞬間がやって来て、そのとき、どこまでを人間と呼び、どこまでを機械と呼ぶのか難しい問題となる。知性までも再現可能になったならば、人間を人間たらしめる独自性はない。
 
テクノロジーは、最終的に人間そのものと融合することが宿命づけられている。新しいテクノロジーが社会に普及されると、今度は私たちからそのテクノロジーに合わせて生活スタイルを適応させていくようになる。貨幣は物々交換の非効率を解決するために生み出されたテクノロジーだったが、いつしか逆に貨幣が私たちを教育し始めた。
 
テクノロジーが最後に行き着くのは宇宙で、テック企業は既にその準備を着々と進めている。インターネットは、近代に引かれた様々な境界線を溶かして、あらゆるサービスは価格競争の末、無料に近づいていく運命にあるが、それはインターネットに限られたことではない。時代とともに、何が当たり前かは移り変わり、Googleで行われている20%ルールは、企業側のリスクヘッジである。
 
自分の目の前の現実にどのようなパターンが隠されているか理解したいのであれば、感情という厄介者を一旦無視して、どんな結果が出ても、それを客観的なデータとして見る姿勢が必要となる。物事がうまくいかない場合、パターンを認識するために必要な試行回数が足りていないことがほとんど。ユーザーが望むニーズと、現在の技術で実現できることの接合点を突き詰めていけば、そこにバラエティはあまりなく、多くの場合その未来像は似たものにならざるを得ない。私たちにできることは、顕在化している問題をできるだけ早く解決する方法を見つけ、ひとつでも多くの不幸をなくすことぐらいであって、来るべき未来の到来を早めることが、その時代を生きる人に課せられた唯一の仕事である。
 
自分自身、自分にだけできることを見つけなければという思考があったが故に、そんなものなかなか見つからなく、結果的に何も動けないということがあった。佐藤航陽さんからもらった最後のメッセージは、私のような人間には非常に響く言葉であり、自分だけができることではなく、自分の得意なゾーンのなかで、自分が疑問や問題を感じたことを、可能な限り他の人よりも早く取り組み、解決へ向かわせることが重要であり、僕に課せられた唯一の使命なんだと記憶した。以前にも、感じたことがあると思い出したが、結果的に、できることをコツコツとやっていくことが自己実現への最適な技法なんだろう。