勝川STAND

勝川STANDは、個人事業主様・フリーランス・小規模店舗経営者様に、無料ツールを使って、撮影から制作までリーズナブルにクリエイティブを提供します。

CDは買わないけどフェスは行く。大事なのは『物語と体験 STORY AND EXPERIENCE』。

マーケティングのことに興味を持っている人なら、耳タコだと思いますが、モノやコトを提供する側が、近代で最も考えるべきことは、そのモノやコトを提供することによって、顧客が何を体験することができるのかであるUXであると言われています。

 

ゆー・えっくす?ってなってる人は、特に意味があと思いますし、そうなってない元々理解している人でも、より体系的に学ぶという意味で、有意義な書籍を紹介させていただきます。

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これは東急エージェンシーのクリエイティブチーム”TOTB”の方々による、広告を作らず、社会現象をつくるための、悩める広告人の新しい指南書です。

www.totb.jp

 

広告はモノやコトを売るためには、大企業であろうが個人であろうが非常に大事なことだと思ってます。最近もVoicyでサウザーさんも言ってましたが、モノやコトが売れない場合、広告のやり方に問題があり、それを放置しているだけのケースがあると言っていたことに、超絶アグリーという感じです。

 

言わずもがなですが、商品に魅力があるのは当然のことです。でも、魅力があれば商品が売れるということではない時代だと思います。何を選んで良いか分からないほどモノに溢れている時代では、この魅力のあるモノの存在を届けるのが、以前に増して重要というか、それをしないと存在を知らしめることができなく、存在を知らないということは、もはやそれは世の中に存在していないということと同義でになってしまいます。

 

だから、広く告げるということなしでは、モノは売れない。そして、商品の魅力を伝える上で、何が重要になってくるかというのが「物語」と「体験」。

 

 

市場には代替可能な商品に溢れる。その状況下では、物語が無いブランドは、存在し得ないもので、存在に意味がなく無価値なものになってしまう。物語が無ければ、知ることも、理解することも、記憶することもできない。物語の担い手は、企業だけでなく、顧客もまた重要な物語の担い手であり、語り手となる。コーラとベプシは飲み物としての違いは小さいが、情緒的価値が違い、飲む人の気持ちが違う。ブランドが提供する価値であるブランドエクイエティは4Pの上に立つもの であって、ブランドは統合された人格を持つ存在となるべく、核となるアイデンティティを持ち、信じられる存在になる必要がある。

 

マーケティング1.0から3.0までは、約100年間という時間軸であったのに対して、3.0から4.0はわずかに7年。急速なアップデートを強いられたのは、テクノロジーの急激な進化。スマホによって、移動性と接続性がもたらされ、オンライン交流とオフライン交流の一体化、ブランドの本物の個性の重要性がポイントになった。ブランドの本物の個性がかつてないほどに重要になり、オーセンティシティが貴重な財産となる。数打てばいいわけではなく、感動する接触が必要で、その感動を与えるのが体験である。マーケティングの主導権は企業から顧客へ、顧客から社会へとシフトし、価値は機能的価値から情緒的価値、精神的価値へと、より観念的なものにシフトしている。これまで物語はテレビなどの注目されるメディアで、言いたいことをきっちりつくって何度も言うことによって形成されていった。物語は、体験によって具現化、実体化される。一方通行の美しい嘘ではなく、人間の本物の体験を核とした新しいコミュニケーションを通して、物語を形づくっていく。顧客に愛してもらうためには、顧客にとっての物語でもある必要があります。物語は、社会、顧客、ブランドの3つの視点から生み出される。

 

社会課題という敵の登場で、顧客とブランドは巨大な敵に立ち向かう協働関係になり得る。男性神話として、居心地のいいところからの脱却→仲間を見つけ、冒険をし、壁を越える→宝物を持って帰る、というのがが男性に特に好かれる物語と言われている。物語が真ん中にあることで、企画は強くなり、マーケティング的に機能し、関わる人やチームを巻き込んで推進していくことができる。ブランドからのわずか一瞬の予期せぬ感動ある物語に基づいて、顧客が主役として能動的に参加するための場をブランドがつくり、その場で生まれた体験をコンテンツ化して広めていく。従来の広告と同じだが、あくまで主役の座は顧客に譲り、アンコントローラブルな状況も受け入れ、その場において生まれる生身の人間のナマな反応や感情そのものをコンテンツとしていくことによって、物語は実践的なものとなり得る。企業側からの一方的な押し付けの物語ではなく、生活者を主人公としたファクトベースの物語とし、受け手を主体にして、広告を民主化する。

 

メディアはその内容よりも、メディアそのものにメッセージ性があり、今後、広告はさらにクリエティブで社会意義がある仕事になる。ビジュアルをデザインするのではなく、文化的アイコンをデザインする。以前は、虚構の世界観でも、たくさん回数を訴求すれば、なんとなくは伝わったが、広告で大事なのはテレビCMを作ることではなくて、課題を解決すること。今までオマケ扱いだったSPなどの非マスが急激なデジタル化で力を持ち始めた。ただ、そうは言ってもテレビという装置は、非マスとは比べものにならないくらい強制的なリーチがあることは忘れてはならない。

 

広告は商品の広告だけでなく、社会問題の解決というフィールドに概念主張することが重要で、今後、拡散狙いはオモシロ系じゃなく、自己実現の支援・社会問題の解決でするものになる。クライアントが求めていなくても、社会現象にすることを目指すのがネオ・プロモーション。体験は緩めに、してもしなくてもいいという空気感で顧客アプローチするのが最適で、送り手と受け手の対等な関係として、押し付けじゃなくて自発的に盛り上がる場の運営と管理を行い、受け手に物語を完成させる。また、ゲーミフィケーションとSocial goodの相性はいい。

 

これまではとにかく顧客の開発が問われることが多かったが、あらゆる産業で成長が飽和化した現代社会では、顧客の維持が重要となる。新規獲得には、維持する場合の5〜10倍のコストがかかり、毎年10から20%の顧客を失うとも言われている。ブランド形成に必要なのは、人間のような人格を与えるブランドパーソナリティと、その意思であるブランドビジョン。何もかも追いかけているようであれば、結局何もモノにはできない。

 

 

このような本を見ていると、モノが無かった時代とモノに溢れている時代とでは、商品開発と広告の重要度は全く異なることを感じる。モノが無い時代は、世の中の問題に対して開発されたそのモノ自体をただ知らしめるということだけで顧客は満足していたが、既にモノに溢れている時代においては、知らしめるだけでは、既に近い機能を持ったものがり、また、田端信太郎さんが言われていたが『オーケー、認めよう。広告はもはや「嫌われもの」なのだ』時代になっていることからも、ただ広告するだけでは全く響かなくなった。そこで差別化するに『物語と体験』を軸に顧客アプローチする。自分はすごく腹落ちしました。ブランドを選ぶとき、ブランド創設者のパーソナリティや、どこからの派生なのか、なにを問題としてローンチされたのかなど、個人的にはそのバックグラウンドを結構気にします。そして、そのブランドを選ぶことで、どんな体験が得られるのかを想像する。日常的に感じていたことを、根拠を持って改めてレクチャーされたことで、より理解が深まりました。広告クリエイターは、いろんな世の中にあるものを見つけて、それを自分のフィルターに通して、上手にクリエイティブをしていくエディターであるという言葉ありました。そうなれるように、日々情報をストックして、来るべきときに備えていきたい。

 

神様コトラーの最終講義『マーケティング4.0』でスマホ時代の究極法則を学ぶ

どの業界においてもレジェンドと呼ばれるような人がいて、マーケティングという文脈においては、間違いなくこのコトラー先生がそれに該当するかと思います(正確にはリビング・レジェンドですが)。マーケティングは、時代によってその手法が大きく異なるわけですが、今回は現代のスマートフォン時代におけるマーケティングの究極法則について書かれているこちらの本を読みました。そこまで小難しく書いてありませんし、モノ・コトを売るひとは、業界問わず読んでおいたほうがいいと思います。

 

コトラーのマーケティング4.0 スマートフォン時代の究極法則

コトラーのマーケティング4.0 スマートフォン時代の究極法則

 

 

いろんな人が言っていますが、みんなの手元にあるスマートフォンの出現によって、僕らの生活は激変し、それによってマーケティングも劇的に変化をする必要性が出た。それはそれで、マーケティングが急激に進化するというこの数年になったことを、コトラー先生は喜んでいます。

 

僕らの生活の変化でよく言われるのが、情報量の変化。どのような調べ方なのか分かりませんが、現代人が一日に得ることができる情報は、平安時代に生きた人の一生分、江戸時代に生きた人の一年分と言われているほどで、もう誰もが受け取った情報の全てを処理することができないレベルになっている。だから、スマニューやグノシー、まとめサイトやキュレーションサイトを自然と求めるようになった。

 

そして、SNSによって人が簡単に繋がるようになり、人々の連鎖や、趣向までもが可視化されるようになった。これまでは、誰と誰が繋がり、誰がどんなものを好むなんてことを知ることができないため、顧客をマスとしてみることしかできなかったが、今は違う。また、情報がスピーディに拡散されることで、情報の非対称性が薄まり、さらには発信力を手に入れることで、売る側と買う側の関係性は対等になりつつある。

 

半世紀以上続いてきたムーアの法則がそろそろ限界に近づいているとも言われますが、ここ数年の技術の革新は目覚ましいものがある。それらの融合によって、シェリング・エコノミー、ナウ・エコノミー、オムニチャネル・インテグレーション、コンテンツ・マーケティング、ソーシャルCRMなどの新しいトレンドが生まれています。また、デジタル領域の拡張によって、ハイテクな世界になればなるほど、人間的な触れ合いも求められるようになり、本書ではそれを「ハイタッチを求める」と表現されていた。この言い方は、なんかアメリカっぽくてカッコイイ表現だなって感じます。

 

生活に接続性と透明性をもたらしたインターネットが、パワーシフトに大きな役割を果たし、マクロレベルの世界の覇権は、多国分散型の権力構造に移行している。新しい製品が新興市場国で開発、発売され、その後他国で販売されるというリバース・イノベーションも目にするようになってきた。顧客や競合の関係性にも変化が現れ、顧客コミュニティやパートナーと繋がって共創したり、競争相手と繋がって協力するほうが、高い競争力を保持できるはずで、縦より横へのイノベーションが世界で活発になってきている。Procter&Gambleは、社内イノベーションの限界を感じ、外部からアイデアを募り、それを社内の能力を使って商品化するコネクト・アンド・ディベロップと呼ばれるモデルに切り替え、成功を収めている。

 

顧客の趣向も、大量に売れるメインストリームよりも、少量のニッチ・ブランドに移行しており、双方をラインナップすることで売り上げ・差益をあげることができるロングテール理論が注目されるようになってきた。また、これまでのように同業界だけに競合がいるというバイアスは捨てて、潜在的な競争相手に気づく必要があって、顧客の目的から出発して、その目的を達成する代替製品は何かと考える。

 

スマホ時代においては、企業の側で必死に頭を使って考え抜いたマーケティング・コミュニケーションよりも、Fファクターが信頼されるということを理解しなければならない。

 

Fファクターとは…
・Friend
・Families
・(Facebook) Fans
・(Twitter) Followers

 

顧客は、日々広告に爆撃され続けた結果、広告を信用しなくなり、Fファクターというこれまでクチコミと言われていたものしか信じないようになった。これからは、ブランドと顧客の関係は、縦ではなく横であり、顧客はブランドではなく仲間、友達と見なされるべき。スマホによって、探求心と知識レベルが向上しても、何を買いたいかは自分でコントロールできなく、これまでも購買における意思決定は、個人の選好だけでなく社会的同調欲求に動かされてきたが、顧客は集合知を利用して、より良い購買決定ができるようになってきた。中でも、デジタルネイティブはインターネットを自在に使いこなしながら、物事を実際に体験することも好み、極めて接続性が高い人種と言える。モバイル・コネクティビティの次のレベルは、経験の接続性であり、顧客とブランドのタッチポイントにおける優れた顧客経験を伝え、ソーシャル・コネクティビティに繋げると予想されており、カスタマージャーニー全体に渡って、オンラインのニュー・ウェーブ・マーケティングと、オフラインのレガシー・マーケティングの両者が共存し、融合する顧客体験を作り上げることが今後重要となる。

 

ブランドに対する態度は、ネットプロモータースコアとして、推奨するプロモーター、中立的なパッシブ、推奨するとは思えないデトラクターの三つに分けられ、言うまでもなくプロモーターとうまく付き合っていくことが、クチコミを味方につけることができる。なかでも、デジタル時代における最も影響力のあるセグメントであるYWNと略される若者(Youth)、女性(Women)、ネティズン(netizen)に注力するのが得策。ほとんどのサブカルチャーはYWNから生まれている。これからyouthは増え続けるが、90%が開発途上国に住むため、ここ日本においてはそのまま受け取ってしまうのは、違うのかもしれない。若者はナウ・ジェネレーションであり、トレンド・セッターであり、ゲーム・チェンジャー。女性はインフォメーション・コレクターであり、ホリスティック・ショッパー(全体を見て判断する買い物客)であり、ハウス・ホールド・マネージャー(家庭管理者)である。ネティズンは、常に繋がって貢献したいソーシャル・コネクターであり、熱烈な伝道師であり、コンテンツ投稿者のこと。

 

マーケティング4.0とは、企業と顧客のオンライン交流とオフライン交流を一体化させるマーケティング・アプローチ。デジタル社会では、顧客はコミュニティの横のネットワークの中で互いに社会的に繋がっている。顧客に何を提供するのか、どのようにして提供するかを計画するマーケティング・ミックスの4Pが最適に設計され、連携がとれていると、顧客はその価値提案に引き寄せられ、販売へと結びつきやすくなり、接続された世界では4Cが必要となる。

 

4Cとは…

Co-creation 共創

Currency 通貨

Communal activation 共同活性化

Conversation カンバセーション

 

顧客との交流のスタートは伝統的なマーケティングから始まり、交流が進み、顧客が企業とより密接な関係を求めるとデジタル・マーケティングが重要となる。スマホによって、移動性と接続性の高まり、話がうますぎる広告メッセージに混乱した顧客は、それらを無視して、信頼できる情報、すなわち友人や家族などの社会集団に頼るようになった。これからのカスタマージャーニーは5Aを通して、Oゾーンの影響に左右される。

 

5Aとは…

A1 Aware 認知→
A2 Appeal 訴求→
A3 Ask 調査→
A4 Action 行動→
A5 Advocate 推奨
 

Oゾーンとは…

Own 自分自身の影響
Others 他者の影響
Outer 外的影響

 

ブランドがどれだけ努力しても、他者の影響の結果を管理したりコントロールすることは難しく、もしできるとしたら、コミュニティ・マーケティングがこれからの唯一の方法。顧客は、マーケティングに影響されることを理解していて、自分の立場を強くするためにコミュニティを形成する。個人的選好、クチコミ、広告によってバイアスをかけられ、それらの影響によって、ブランドの中で一番初めに想起されるトップ・オブ・マインドに成長していく。接続性の最大の利点は、顧客間のカンバセーションによって、認知率を高めるチャンスがあり、レバレッジが効くということ。

 

期待しているときに、実際に経験することとの間に、最適レベルの乖離があるときに最も強い好奇心を抱くもので、このタイミングに魅力的な知識を適量与えることで、好奇心を生み出すコンテンツ・マーケティングというアプローチが、近年は特に使われることが多い。顧客のコミットメントを強化するためのものとして、オムニチャネル・マーケティングがある。そして何よりデジタル時代には、人間らしさのあるブランドが最も魅力的になる。顧客と対等な友人として、インタラクションできるブランドが求められる。経験を重視し、ある種のライフスタイル運動を象徴するブランドにも、顧客は惹きつけられる。英雄的なミッションひ関する素晴らしいストーリーを語ることで、顧客を傾倒させることができる。

 

モノが溢れに溢れているスマホ時代においては、かつてのように顧客を下に見て、みんなに同じタイミングに、同じ内容でアプローチしたところで、期待するような効果は生まれない。スマホによって手に入れた接続性で、顧客同士は繋がり合い、コミュニティを形成することさえも容易になってきている。デジタルデバイスで便利さを手に入れる一方で、逆に、リアルな世界でのハイタッチが貴重な体験となり、人間的性格を持つことが最も差別化され、競争優位に立つために必要なファクターとなった。 伝統的CRMが企業主導であるのに対し、ソーシャルCRMは顧客指導で、自動化は不可能で、社会力学が作用するため、問題を封じ込めたり隔離することはできない。ワオの瞬間は偶然に生まれることはなく、ワオを意図的につくり出し、顧客を認知から推奨へ建設的に導き、顧客とのインタラクションを、喜びから経験へ、さらにエンゲージメントへと、創造的に高めていく。言葉で言うのは簡単で、頭にあっても実践することが難しい。今回学んだことで既に体験としてあったこともあり、それを体系的に学んだことで、より理解を深めることができたと思う。これからも、やれることをやっていこう。

 

コトラーのマーケティング4.0 スマートフォン時代の究極法則

コトラーのマーケティング4.0 スマートフォン時代の究極法則

 

 

ピョートル『ニューエリート』で楽しんで仕事をした者勝ちの世界を学ぶ

最近は本を読むようになったおかげで、良い意味でバイアスがかかってきた。

 

先日、Voicyで新R25の編集長の渡辺さんが言っていた話で「バイアスを選ぶ」というのがあった。わざわざ説明するまでもないが、現代人が1日に受け取る情報は平安時代の一生分、江戸時代の1年分もあり、記憶することが難しいレベルで情報が溢れている。そのため、テレビやラジオなど発信者の都合の良い情報しか発信しない、なんとなく見るメディアの情報を極力控え、自分から情報を取得しにいくメディアで、さらに自分がベンチマークしている人種からのみ情報を受け取るように自分はなっている。対象となる人種に違いはあれど、スマートフォンを使って大多数の方がそうしていると思う。そうなれば、選好することで、自然と偏りが出てくるため、それ故「バイアスを選ぶ」ということになっている。それを自分で理解しているかは非常に大きく、自分の偏りを、世界の常識や日本の常識を捉えている人によく出会う。所謂「普通、そうだよね」のような、主観を世の中の常識と捉え、そこから外れる人間を否定する。

 

今回、こちらの本を読んだ。

ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち

ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち

 

 

自分のなかでのバイアスのおかげ、本書でピョートルさんが言っていることは、ほとんどが腹落ちし、多くのことを頷きながらメモを取ることが多かった。これからの「楽しんで仕事をした者勝ちの世界」を生き抜くために有効な言葉をたくさんもらうことができた。

 

今自分がどのステージにいるかではなく、持続的に成長し続けているのかを常に頭のなかで意識していくことが重要。お金は人々が価値をやり取りする手段のひとつに過ぎず、ステージは給料などの尺度で測るものでもない。これからの時代をリードするのは、ポスト資本主義の世界の仕組みを作る人たちで、面白いからやる、やりたいから勝手にやる、自分がやらなくては、というスタンスを持つ人種である。変わること、変わり続けることは、常に次の可能性に備えておくということ。今の環境が永遠に続くというのは幻想でしかなく、いつでもクビになる準備をする必要がある。

 

主流技術とは全く違う技術によって、従来のビジネスが壊滅的なダメージを受ける破壊的イノベーションは大昔から起きている。現代はマネタイズから思考しないという新しい行動パターンがメインストリームを創っている。また知識をどれだけ持っているかのようなナレッジエコノミーから、何を創り出せるかのクリエイティブエコノミーの時代になった。デジタル化による民主化が進むと個人の力で動いていくことが、ますます必要不可欠になる。新しい価値を生み出すには、初心者のマインドセットが必要

 

自己実現することこそが生きる意味。自分自身を深く理解し、それを周囲の人たちに開示していく。自己実現とは、他者貢献とも置き換えられる。自己実現を重視する人たちは、スキルを磨き、ビジョン、ミッションを持ち、それを実現するためのパッションを発揮し、どうやって身につけて、どのように発揮するかを日々考えている。仕事で自分が出しているアウトプットにプライドがあるか、そして、アウトプットを出すまでのプロセスを楽しんでいるか。日本には、文化的な活動を収入に繋げるだけのマーケットが存在している。今の仕事に不満があるのなら、今の仕事のやり方を変えるのか、仕事そのものを変えるのかで、問題は解決できる。不満を抱えながら何も行動しないならば、何も変わらない。

 

シェアリングエコノミーは単なる消費活動ではなく、誰かと分かち合う幸せを感じられるインフラである。今の時代の成功は、持続的に成長していることに加え、選択肢を持てるかも重要なファクターで、もらう価値よりも、もたらす価値を大きくすることで、成功に近づく。例えば、3割ぐらいをマネタイズに、7割ぐらいを将来の土台作りの投資に当てる。自分をブランディングしながら、ちょっとした縁を大事にしていると、さらに大きな縁に恵まれる。また、師匠を限定しないことで学びのアンテナの感度は増し、挫折経験もパフォーマンスに大きな影響を与える。自分では意図しない物の中にブランディングのヒントが隠されている。意図的にブランディングを測るのも重要だが、周囲の反応から自分のブランドになり得るものに気づくセンスはもっと重要。

 

何も行動しないまま時間が過ぎていくことに恐れを感じるべき。具体的に計画して行動している人は、自由な働き方を手に入れ、一方、行動しない人たちのキャリアが閉ざされ、二極化に拍車がかかる。成長ができて、やりたいことを楽しみながら仕事にできるレベルが理想的な働き方で、仕事や趣味というカテゴリーを横断して、行動ができる人が活躍する時代。流行りそうなことで活躍をするよりも、誰もやってないこと、自分にしかできないこと、自分が何をやりたいかというwillを持って始め、経験からいち早く学んで、新しい環境のもとで遊びを活かして成果を出す。日本人の多くが自己肯定感が低く、苦痛を感じながら働くことが目的化している。

 

今日は何をして、何を感じて、何を学んだか。今の仕事で何が楽しくて、何が楽しくないか。自分は仕事を通じて何を得たいんだろう?なぜそれを得たいんだろう?何をしたときに良い仕事をしたと思うのだろう?いい仕事をするためには何が足りないんだろう?

 

自己実現は、自分のレガシーを残すこと。目標を設定して、その目標に近づく行動をとる。決めた目標を持ち続けることに固執するのではなく、状況や心境に応じて、目標は見直し、常に変わり続けるということが重要。これは仕事というよりも、100年時代の人生設計に必要なマインドセットであり、残りの人生がより多い子どもたちにも投げかけるべき言葉だと感じる。

 

伊藤穣一「教養としてのテクノロジー」で『いま』に生きる意味を見つける

昨年、「9プリンシプルズ」が書店に並んでいるのを見て、伊藤穣一さんという存在を知った。以前、茂木健一郎さんのラジオに出演されていたとき、日本人は特に権威に弱く、それによって突然態度を変えるということが多い人種であると言っていたが、まさに自分もその類で、MITメディアラボの所長であると聞き、一気に興味が湧いた。

 

日本人がMITメディアラボの所長であるという事実に、日本人ということに誇りを感じたが、経歴を聞くと、確かに日本人ではあるが、キャリアのほとんどをアメリカで過ごしてきている。アスリートにも多いが、今結果を出している日本人のなかで、日本人と言いながら、日本で生まれながら海外で過ごし、海外の空気に触れることで、良い意味で日本人らしさを失った成功者は多い。やはり、多様性のなかで生活をするということで磨かれるものは大きいと感じる。

 

 

テクノロジーの進化に対して、まだ自分たちには関係ないと思っている人が多いが、それは誤り。また、技術そのものではなく、その背景にある考え方、フィロソフィーを理解する必要があり、本書では、経済、社会、日本の3つのパートに分けて語られている。

 

シリコンバレーのIT企業は「スケール・イズ・エブリシング(規模こそ全て)」という思考から始まることが多く、それ故、巨大になりすぎたことで競争が失われた。たくさんの組織やサービスに分散させた方が、レジリエンスは高いはずだが、一つに集中させてしまっている実情がある。コンピュータの性能が18ヶ月ごとに2倍になっていくと言われるムーアの法則。これによって僕たちの環境は大きく変わり、働くということを改めて再定義する必要がある。働くことイコールお金では無いように、世の中にはお金ではないが価値のあるものや、お金では決して買えないものも存在する。人間が働くこと全てお金の価値に還元して、例えばGDPのように、経済の指標にするという発想があるが、今後の社会で不必要な指標になるかもしれない。また、UBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)でお金のためだけに働かないミーニング・オブ・ライフが重要になる。生活のためにお金を稼ぐ経済効率のためというロジックは自己目的化しやすく、それ自体にあまり考えるという必要はない。自分の生き方の価値を高めるには、どう働けばいいかというセンシビリティを考えるに面白い時期に入ってきた。

 

未来を語るうえでは、仮想通貨にも触れる必要がある。伊藤穣一さんは1990年代から仮想通貨に対して取り組んできた歴史上の証人である。仮想通貨は、国家を信用しない暗号化された電子取引であり、リバタリアンの理想が生み出したもの。インターネットが生まれたことも、ディセントラリゼーション(脱中心)が起源であり、経済や通貨もそこに向かい始めたということ。経済を有機体として見たとき、一つの金融装置、一つの基準のままでは、どこかで経済がクラッシュし、機能しなくなるリスクがある。そもそも、紙幣も仮想的な通貨である。その国がその紙きれに価値があると認定し、それをみんなが信じているだけ。仮想通貨は、ただデジタルなだけで、いま流通している円やドルもバーチャル。今後は、ブロックチェーンによって自然界のものも管理され、やがて自然通貨として、今よりも価値を持つものが出てくる。

 

お金持ちは、お金で買うことのできない「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」をいま以上に考える必要があり、お金は持ってないけど、ある特定の価値観やコミュニティを持っている人については、どんな価値をお金に交換して生活していくかを真剣に検討していかなければならない。ダニエル・カーネマンの研究によれば、お金によって得られる幸せは、年収850円までという結果がある。無限にお金を稼いでも幸せにならなく、必要以上にお金を得ても幸せになれないのであれば、何のためにお金は存在するのか。お金に換算できないからこそ価値があるものもある。人間関係も同じで、すべてバランシートに落とし込むようなことは無意味。

 

テクノロジーの発展によって、人間拡張、人間と機械が融合され、人間の果たす役割や意味が変わる。トランスヒューマニズムは、科学技術を使って人間の身体や認知能力を進化させ、人間を前例のない状態まで向上させる思想。テクノロジーの進化によって、やがてパラリンピックが、障害者の競技から、拡張者の競技に変わり、新しい倫理が作られていく。

 

日本の教育システムは、ロボットのような人間を育てている。高度成長期のなかで、画一的な教育で国力を上げてきたのかもしれないが、この不確実な未来を生きていくなかでは、改めて考え直す必要がある。これ以上ロボットを育てても意味がない。アメリカでは、学校教育に頼らず、学校そのものが存在しないかのように育てる「アンスクーリング」というムーブメントがある。「セルフディレクティット・ラーニング(自発的な学習)」という哲学がベースになっており、自分が何を学びたいか全て自分で決めて、どのように学ぶかも決める。競争に勝つことではなく、人とテクノロジーを使って、どうやってコラボレーションしながら知識を得られるのか、疑問やアイデアを解決するには知識が必要と感じるところからスタートする。違いを持つコミュニティで自分と他者との違いを感じ、自分のことを知り、どうやって人と繋がれば良いのかを自分で考え、学ぶ。日本の教育は、’今’ではなく、’未来’を生きることを目的としたものが多いが、子どもが経済を支える人間ではなく、自分の中にどのように幸せを見つけられるかのメソッドを知ることのほうが重要。イノベーションは、いま身の回りで起きていることに心を開き注意を払うことから始まるため、フューチャーリスト(未来志向者)ではなく、ナウイスト(現在志向者)になるべき。そして、大人は子どもたちが持つ知恵を知る必要があって、大人と子どもがお互いから学べるものがあることも理解すべきだ。

 

パンクムーブメントが起こった1970年代は「ノーフューチャー・ジェネレーション(未来のない世代)」と言われていた。インターネットという場は、年々ネガテイブなものになっており、ネガテイブな方が繋がりやすくなった。#metooがその例。本来、ムーブメントにはハッピーが必要で、やりたいことをいきいきとやるということが重要。この先の未来、何かを閉ざしたまま、ベルトコンベアに乗っていればいいという思考では生き抜くことはできない。ムーブメントは1人で引っ張って起こすのではなく、起きようとしている兆しに気づく事が大事で、繋がっていない波を、繋げるにはどうしたらいいかを考え、『いま』に生きる意味を見つけよう。何かに迷って停滞している時間はない。

 

『欲望する「ことば」』で「社会記号」とマーケティングを学ぶ

僕は広告業界のなかで、嶋浩一郎さんが好きだ。広告業界では、デザイナーが主役になることが多いなか、嶋さんは肩書きには一切こだわってはいないとは思うが、そのプロモーションにおける重要人物として挙げられることが多いマーケター。これまでの実績をいろいろなメディアで紹介されているが、どれもロジカルで、感覚的で説明ができないものは、見た記憶はない。

 

欲望する「ことば」 「社会記号」とマーケティング (集英社新書)

欲望する「ことば」 「社会記号」とマーケティング (集英社新書)

 

 

本書では、潜在的欲望をあぶり出し、世の中を構築し直す「社会記号」のダイナミクスについて語られている。

 

新語は日々生まれるが、定着するものとしないものがあり、その定着したもののなかに社会記号はある。社会記号とは、言葉が生まれたときには辞書には載っていないが、社会的に広く知られている言葉。例えば「女子力」「加齢臭」「美魔女」などで、最近で言えば「インスタ映え」などが該当する。社会記号が定着するプロセスの中で、新しい文化や市場までもが生まれる。社会記号は人々の生き方や社会の構造が変化していくときに、世の中の端っこに現れる予兆のようなものであり、社会記号がサーチライトとなり、それまで見えていなかったものが見えるようになる。以前「癒し」や「癒し系」という言葉が社会記号となったが、そもそも「癒し」よりも「癒す」という使われ方が一般的であったものが、求めるという、より受け身な構図がこの時代に成立したということを示しており、その時代における人々のニーズが色濃く反映される。言葉には、物事を対象化して、類型化して、匿名化する役割があり、私たちの経験を抽象化させて、解釈を方向付ける強制力がある。カテゴリーは、無数にある商品世界に秩序を与え、ラベリングすることで思考が節約され、アタマを使わずに済ますことができることも、社会記号が果たす大きな役割。

 

自社製品が、社会記号の限られた指定席に座ることができれば、社会記号と商品の結びつきが寡占化され、情報発信しなくとも、ずっと取材され続けるという大きなメリットがある。コトバにはモノを売る力があり、モノを売るにはコトバも売らなければならない。社会記号には人々の欲望の暗黙知が反映されており、隠された欲望であるインサイトを捉えることは、企画に携わる人にとって最も重要な作業である。自分の欲望に自覚的な人は多くはなく、欲望は自存するものでなく、それを満たすものが目の前に出現したときに発動するもの。人間の欲望は簡単に言語化できなく、そのくせとんでもなく都合がいい。そのため、その欲望が表現された社会記号が現れたとき、一気に市場は動く。顧客の気持ちになり、顧客に憑依して、言葉を作る。消費者ニーズがあるところに言葉を作れば、社会記号が生まれる。

 

雑誌は社会記号を生み出すことが得意なメディア。雑誌編集者の多くは、読者の潜在的な欲望を言語化して、提示することで新たなファンを獲得できることを知っている。雑誌はターゲットが絞られているが故に世界観に同意した人向けのワードを使うことができるのが大きな強み。大衆の時代から分衆の時代となり、分衆をターゲットにする雑誌が人々の新しい欲望を捉える装置として機能し、社会記号を生み出すメインプライヤーになった。

 

昨今、ビッグデータに対する期待度が高まっているが、インサイトまでは掴めないだろう。ビッグデータはあくまで、それまでの集積であり、今や未来の情報の集積ではない。データになっている時点で、既存の欲望の整理整頓をしているだけ。消費者は、言語化した欲望に応えてくれるプレイヤーには、あまり感謝しなくなり、実はコレが欲しかったというインサイトに応えてくれるプレイヤーに魅力を感じ、はるかに価値が高い。欲望は、自覚できないから言語化できないが、それでも文句を言うことはできる。日常に潜む違和感に目を向けることで、生活者のインサイトに近づくことができ、書店に入って情報のシャワーを浴びることも一つの手段。感覚を敏感にしないと、あっさり見過ごしてしまうような些細な違和感にヒントがあり、若者の欲望を体現する文化は、いつも社会の端っこから生まれる。

 

社会記号がサーチライトであるということは、新しい概念が誕生する。そして、社会記号が生まれると、これまで見えてこなかったものが見えるようになるが、何かに光を当てることで、同時に何かが影になって見えなくなる。マーケターとしては、社会記号を作り出すというレベルに達しないまでも、その社会記号の誕生によって、その背景では、何が見えなくなったのかを意識することが重要。また、「巨人の肩の上に立つ」というマインドセットを持つことで、先人の積み重ねてきた発見の上に自分はあるという謙虚な姿勢で、それらをうまく使いきることで、社会記号をよりクリティカルに捉えることができる。買うという背後には、買ってもらうためのマーケティングがあり、そのマーケティングのなかで社会記号のプレゼンスは大きいということを理解したうえで、クライアントと接していきたい。

 

波頭亮『AIとBIはいかに人間を変えるのか』で働く必要のない世界での生き方を学ぶ

BIについては、ピンと来ない人はまだまだ多いかもしれない。BIはBasic Incomeの略称で、国民全員に生活できるだけの現金を無条件で給付すること。それだけを聞くと「んなこと実現するわけないじゃん、普通」と感じる人が多いと思う。でも、これからAIが凄まじい勢いで成長していけば、僕たちの多くの仕事がAIに奪われ、新たな仕事を生み、BIが実現するということは決して夢物語で終わらない。本書では人類史上初となる、「労働」から解放された社会で、どのようなマインドセットを持って生きていく必要があるのかを説いている。

 

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

 

 

AIもBIもどちらも桁違いのマグニチュードで社会に大きなインパクトを与える。それは社会のあり方を覆してしまったルネサンスに匹敵するほどのインパクト。得体の知れないことの重大さが、世の中のあちこちで話題になってきた理由として、知的労働の価値の暴落と、感情労働の価値の向上が挙げられ、インテリジェンスから感性へと世の中がシフトしているとも言える。人間は食うため、生きるための労働から解放される。しかし、働かなくてもいい世界は苦悩の淵と隣り合わせであり、人間はどう生きれば豊かな人生を送れるのかを改めて考え直す必要がある。

 

人間には心や感情があり、それらに裏付けられて身体を使うからこそできるものがある。人間は無意識的に経緯に基づいた情報の選別判断をしており、AIは何を考慮の対象とするのかを人間のように瞬時に判断することができない。そこで、近年AIが劇的に発展することになったディープラーニングが登場した。ディープラーニングで、コンピュターは目を持ち、捨てることを覚えた。人間の分かるというプロセスは、何かと比べて違いを認識することで、判断に重要なポイントだけを用いるのは、人間のヒューリスティックパターン認識に近い。

 

AIの発展は機械学習ディープラーニングといった情報処理プログラムだけではなく、ハードウェアの性能向上、ビッグデータの活用によってブレイクスルーが実現した。AIにはまだまだ問題があって、アルファ碁で言えば、人間の1200人分の電力がかかっており、人間の知能を代替するためのコストはまだまだ実用するには時間がかかる。能力的にも問題がある。AIはあくまで人工の知能であって、人間の能力は知能だけではない。むしろ知能以外の能力が知能と相まって、AIを遥かに超えた様々なことができるのが人間であると考えるべき。AIは相関関係の判断が得意である一方、因果関係の判断は苦手であり、解がひとつに定まらない、もしくは、そもそも正解がないものなど、不確実性が高い状況の判断には向いていない。AIはデータから学ぶが、人間は失敗から学ぶもの。人間特有の本音と建て前のギャップや声色、表情といった曖昧な、そして包含する意味内容が状況によって都度変わるような対象を読み解くことは、AIにとっては非常に難しい問題である。人間がものを分かるというプロセスにおいて、論理以外の様々なファクターを用いており、また、人によって最適解が異なる。合理性が求められるタスクでは実力を発揮できるものの、論理的・統計的合理性から切り離されたタスクではあまり力を発揮できない。

 

AIが進化し、技術革新で無くなる職業がある一方、生まれてくる職業もある。AIが苦手とするのは、身体性ベースのマルチタスク要素、直観直感の要素、クリエイティブ要素などの分野。マルチタスクとう意味ではコンビニ店員などはAIを実装してもロボットには対応が難しい。クリエイティブにおいてもAIのそれは、創造ではなく、まだまだ模倣というレベルであり、本当の意味でクリエイティブというには程遠い。

 

 

BIに似たもので、生活保護というものがあるが、それにかかるコストは対象者に支払うもの以外にも、運用面で非常に効率が悪いお金の使い方をしているが、一方BIはシンプルで運用コストも小さい。たびたびBIによって、働くインセンティブが削がれることを懸念する声が聞かれるが、実際には心配する必要がないというデータも出ている。企業側にも、終身雇用や福利厚生などの保証の体力を軽減するメリットがあり、働き方改革が更に加速し、社会全体が活性化する期待もできる。民主主義社会において、大きく三つの思想があるが、コミュニタリアンリバタリアンネオリベラリストの三者がBIを評価しているという他に類を見ない非常に合理的な仕組みであると言える。

 

BIによって、単に食べるため、生き延びるためにではなく、生活を豊かにするため、仕事自体を楽しむためなど、個々人の人生の目的や価値観に応じて仕事内容や働き方を選択できるようになり、人にとっての仕事の意味や人生における仕事の位置付けは変化する。個人の存在意義と価値は、社会的コミュニティの中で規定されるが、仕事はその人の社会的座標を与えてくれるであり、社会と有機的に繋がることで、自分自身が何者であるかを認識できる。

 

AIは人間の持つ知的パワーを代替するが、そのパワーに人間が敵わなくなれば、価値を生産するための活動に人間が関わる必要性がなくなる。AIは摩擦的失業の解消が追いつかないほどのパワーを持っており、究極的には全ての生産活動がAIだけで賄われるぐらいのインパクトであり、そのような社会になったとき、人間が生きていくために必需的に求められる財・サービスの生産は圧倒的に効率化され、実質的なコストも小さくなり、その生産物を消費することが人間の経済的役割になる。

 

仕事は、労働(Labor)、仕事(work)、活動(action)に分けられるが、AIとBIによって人間が生きるために働くことから解放されて、生きるための労働以外の活動を行うために生きる社会になることで、生きるために仕方なくやらされる労働(Labor)は無くなり、労働を提供して対価を得るのではなく、自己実現や社会貢献をしようとする活動(action)が増えてくるだろう。AI + BIの世の中で豊かに生きるためには、やりたいことを自ら持たなければならなく、そのためにはやりたいことを見出す能力が必要。これからは何をやっても良い状態で、何をやるのかを自発的に決める必要がある。身体的にも、知的にも、感情的にも、備わっている能力を、フルに発揮できることが快いと感じる感覚のメカニズムを持つ。本来持っている能力を十分に発揮できない生活は、心身の健康を壊す。心身ともにポテンシャルをフルに働かせて経験と修練を積むことで、楽しく豊かだと感じられる人生をおくることができる。

 

これまで人口増によって経済成長してきたが、現在起きている経済が豊かであるのに人口が減少するという事実は、人類が新しいステージへシフトするシグナルと言える。答えを自ら考えるより、すでにある答えを検索するほうが効率的に見える社会風潮があり、現代人の考える力は低下している。この先、人間がAIに依存すれば人間の能力を下げることになり、結果的にシンギュラリティを早めることにも繋がる。何をやるのか自発的に決めることが今後必要不可欠となるというが、実際にはそれができない人間のほうが圧倒的に多い。人に人生を決めてもらっても、これまで以上に生き辛い世の中になっていく。人は生まれた瞬間が一番好奇心に溢れていて、その後の成長過程で親や教育機関によって押さえつけられ、大人になっていく。子どもたちには、自分が何が好きで、何をやりたいのか、自分の意志を持つということの大切さを伝え、親としてやれる限りのことをやっていきたいと改めて感じた。

 

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

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あなたの一票で決まる!春日井名物グルメ王座決定戦2018

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お花見シーズン真っ只中の2018年4月7日(土)・8日(日)に、第3回となる春日井名物グルメ王座決定戦が、春日井市・落合公園にて開催されます。

 

春日井名物グルメ王座決定戦

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www.instagram.com

 

平昌五輪が終わり、もうあと2年すると東京での熱狂がピークを迎える。前回の1964年の開催と今の日本が置かれた状況はまるで違う。当時は、高度成長期に向かってひたすら突き進む状況下での開催であり、あらゆる投資がその後のインフラ強化に役立った。今回は、成熟しきった状態での開催で、開催後のレガシーについていろいろな議論がある。その多くがマイナス要素であり、負の遺産を負わされる可能性も非常に高く、開催後のポスト2020に危険を感じている人は少なくない。

 

そして、この日本は世界でも類を見ない人口減少と同時に超少子高齢化に向かって突き進んでいます。世界経済のなかで、日本が力を取り戻すには課題先進国としてのプライオリティを持てるという前向きな見方もあるが、漂うのは悲壮感のほうが強い。このような状況になってしまったのは色々な問題があると思うが、結局は日本という国が手を打ってこなかったと言わざるを得ないが、国のせいだと思考停止せずに、そこに住む人たちが動き出している。

 

この問題は国単位だけでなく、自治体というコミュニティでも同様で、当然ながら僕たちの住む春日井も例外ではない。市に期待するだけではなく、そこに住む市民一人ひとりが春日井というコミュニティに対してコミットメントを高めていくことで、春日井の魅力が高まっていくことに繋がると思う。

 

その手段の一つとして、このイベントへ参加するということがある。

 

本イベントは、春日井に拠点を持つ飲食店が、落合公園に集結し、春日井名物グルメ王座となるべく競い合うイベント。出店者は、大手チェーンのような業態ではなく、インディペンデントなローカルで活躍する店舗であり、春日井で生まれ育ったり、何か縁があって春日井に出店し、春日井という街を良くすることに日々尽力されているソーシャルグッドなひとたち。

 

そんなローカルを盛り上げようとしているひとたちを他人事にせず、春日井の魅力を高めようとしているインディペンデントなひとたちを応援しに行きましょう。

 

ローカルを大事にしよう。

 

僕はここを応援しに行きます。

 

ライトニングファイヤー(勝川印度まぜそば

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第一回から3回続けての出店で、毎回僕はライトニングファイヤーに持っている全ての票を投じます。ご存知の方も多いかもしれませんが、昨年10月にTwitterでバズりまくって、大金をはたいてTVCMを投下することとは比べものにならないほどの大きな効果が生まれ、全国に名が知れ渡り、伝説となった店舗です。

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それまでも、他の店ではできない攻めるプロモーションを続けていました。

 

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このイベントは、春日井の名物を創り出すことが目的であるようです。

 

店主自身が春日井出身であり、食としても、人としても、春日井が生んだ名物として、全国に送りこめる逸材で、みなさんも一票を投じる価値はあると確信しています。

 

伝説をご存じ無い方はコチラ▼

win-river-stand.hatenablog.com

 

 

2018年4月7日(土)・8日(日)は、春日井インディペンデントによるローカルフードに会いにいこう!

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