勝川STAND

勝川STANDは、個人事業主様・フリーランス・小規模店舗経営者様に、無料ツールを使って、撮影から制作までリーズナブルにクリエイティブを提供します。

田中元子さん『マイパブリックとグランドレベル』で受動機会に飽きた人たちのまちづくりを学ぶ

なぜか明確にわからないけど、コミュニティという文脈に昔から興味があった。自分自身、まちづくりとか建築とか、そのようなことの見識はまったくなく、ただ漠然と、一人では生きていけないというか、人と一緒にいることが楽しく感じる機会が多くあったからなのか。とにかく、コミュニティには興味がある。

 

そのため、以前からコミュニティ絡みの本を読むことはあったわけですが、今回読んだ本が一番同意できる部分が多く、それゆえ、自分のなかに無かった思考に対して、このひとが言うのだからと腹落ちしながら読み進めることができました。

 

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

 

 

「マイパブリック」と「グランドレベル」。聞いたことあるようで、聞いたことのない言葉。著者である田中元子さんの造語で思考を一言で表したような。まずは本書に出会う前に、田中元子さんのお店に行きました。

 

喫茶ランドリー

https://www.instagram.com/p/BlevhvvhF10/

半地下と小上がりとコンセプトがすごくいい感じだった😍🍺『マイパブリックとグランドレベル』を読み進めよう📕#喫茶ランドリー #喫茶 #ランドリー #コミュニティ #マイパブリックとグランドレベル

 

kissalaundry.com

 

別に自分を褒めるわけじゃないけど、感度の高いひとはご存知かと思います。最近特にメディア露出も多くなってます。でも、たまたま見たテレビ番組では、お店の雰囲気は掴めても、このお店のバックグランドについては一切触れられてなく、その側面は確かにあるのですが、あくまでオシャレなカフェ、みたいな取り上げ方だけに感じました。バエるよ、みたいな。

 

取り上げるモノコトは同じでも、接続するメディアによって得られる情報は全く異なるなと改めて感じた。僕は、この記事をきっかけに興味が深くなり、出張を兼ねてではありますが、名古屋からお店のある両国まで行きました。

 

kurashicom.jp

 

それが普通なのかもしれないけど、ご本人が普通にお店にいらっしゃったので、自分にとってはびっくりで萎縮してしまい、本書を買って、サインください、と言うのがギリギリでした。

 

今後のために、読んだことを忘れないように、自分なりに本書について以下にまとめてみます。

 

「マイパブリック」とは、自分で作る公共。公共は、みんなのものであるがために、個性のない、つまらないものになってしまう。それはもう仕方がないことで、これに文句を言ってるだけでは何も変わらない。自分が理想とするパブリックがあるのであれば、それは誰かに期待するのではなく、自分で作っちゃう。やりたいからやる。

 

誰かをもてなすことにワクワクするタイプなのであれば、なおさらやってしまえばいい。他者が存在することでスイッチがオンになることもあるから、誰かを巻き込んでしまってもいい。

 

コトを始めるにあたっては、収益に固執するのではなく、やりたいことをやるというモチベーションで始める。お金をとらないから得られるものもあるということを理解したほうがいい。お金をとらないことで、堂々と素人でいられる。これによってコミュニケーションは円滑になる。お金の姿を見ないことで得られる解放感は計り知れず、そもそも自分が何かを提供する場合、対価で精算しなければならないことはない。それがコミュケーションでも、モノの交換でも、相手がお金を使わずに提供できるサービスでもいい。お金をもらうということで、体温が少し下がる。

 

個人で、ダイレクトに街にコミットしてしまおう。自分の好きなことを外に出てやれば、趣味と社会との交点を探すことができる。会う、話すなどのダイレクトなコミュニケーションが無くても、そこに誰かいるという可能性のある箱に人々は吸い込まれるもの。高級感や物質的なものではなく、自分が自分のままでそこにいてもいい、そして、その状態を他人と許容しあうという、ゆるくてやさしい居心地が現代社会には求められている。

 

社会貢献は、貧しい人、かわいそうな人に、お金や労働で何らかを施すことではない。能動的に行動することが、自分自身を幸せにする。欲しいものがないは、決して幸せとは言い切れない。現代に生きるひとたちは、決してモノに飽きたのでなく、モノとコトの二項対立でもなく、受動機会に飽きた。人は、受動がうまくなるように飼い慣らされてきて、それがだんだん嫌になってきた。

 

都会にはパブリックが足りてない。それは、誰かのクレームが出ないように配慮されているから。いつか自分が好ましいと思える社会というものに出会うために、そこで得られると想像される幸せの感触を得るために、人は必死になってお金を稼いでいるけど、稼ぐだけでは、向こうからやって来ない。だから、自分で作るしかない。社会のため、まちのため、人のためじゃなく、自分がやりたいこと楽しめることを作る。

 

まず、振る舞うものを用意して第三者との接点を自分からつくる。高額なことや、高尚なことではなく、目の前のグランドレベルを良くしていけばいい。まちに暮らしながら、私たちとまちの間には、いつのまにか結構な距離ができた。インターネットで注文すれば、何でもすぐに送られくる時代でも、生活基盤となるまちのグランドレベルから逃れて生きることはできない。

 

一階は、プライベートとパブリックの交差点という特殊領域であり、まちの一部。開かれたグランドレベルが続く分だけ、まちの活力が続く。グランドレベルの充実度で幸福度が変わるのはデンマークポートランド台北が証明している。デンマークは、禁止主導ではなく、自由主導というルールでまちをつくっている。

 

グランドレベルの視点を持つことは、社会そのものを串刺しにする視点を持つのと同義。少子高齢化や貧困など、さまざまな問題が集積する日本社会の再生は、グランドレベルから変えることが必要で、以下の3つ要素を持つと、多様な人で溢れ、ずっといたくなるような美しい風景をつくる。

①人とグランドレベルが出会う「からまりしろ」

②人とまちが一体化する「かかわりしろ」

③画的な一体感をつくる「つながりしろ」

 

人は、真っ白なキャンバスをもらっても書き方が分からない。でも、綿密に計算されたうっすら下絵や補助線があると一気に活性化する。例えば、ベンチ。ベンチはある地点に人を滞留させる魔法の装置。このような仕組みを考えて、設計していく。

 

喫茶ランドリーは食べ物と飲み物を売ってはいるけど、持ち込みもOKにしている。それは食べ物や飲み物だけでなく、あらゆるものが許容されている。まさに公共施設のような、誰にでもフラットな環境になっている。そこでセミナーも開催されるし、なんとか教室とか、髪を切るひとが登場したり、その幅はものすごく広い。これは、いずれも受動機会に飽きた人々から自発的に行われているもの。このような場所を必要としているひとは、多いと思う。すごく参考になった。ただ、どうやってマネタイズするのか。本書を読むと、田中元子さんの収益源は喫茶ランドリーではなく、別でお金を調達して生活ができていると感じる。喫茶ランドリーは、オフィスとしてがメインで、それを開放しているような感覚。このようなお店を持つことを目指すのであれば、パラレルキャリアというワークスタイルを築く必要もあると改めて強く感じた。

 

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

 

山口周さんに学ぶ、経営における「アート」と「サイエンス」(世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?)

最近になってWEEKLY OCHIAIで山口周さんがゲストの回を見ました。そこで言われていた「正解のコモディティ化」という言葉がすごくハマって、周回遅れでしたがこのたび本書を読みました。

 

昨年のLive Picksでも佐々木紀彦さんがおもしろい本だと紹介されていて、 以前から売れているのはよく知ってましたが、特に自分自身エリートになりたいわけではないし、デザインには興味あるけど、アートと言われるまでのリテラシーもないので、本書のタイトルからは自分事ができずにいましたが、結果的に勘違いでした。

 

どんなことが書いてあるかというと、それは本書の最初にある「忙しい読者のために」を読めばそれで完結します。そこに伝えたい結論が書いてありますので、それを読めば理解できるかと思いますが、自分自身の復習のために、以下に要約させていただきます。

 

近年、MBAの出願数が減少傾向にあるなか、10年ほど前からアートスクールに多くのグローバル企業の幹部が送り込まれている。それはサイエンス重視の意思決定では、今日の不安定な世界のビジネスの舵取りはできなくなり、これまでの論理的・理性的スキルに加え、直感的・感性的スキルの獲得が期待されているから。

 

論理的なものが好まれる結果、差別化される要素が減り、正解のコモディティ化が起き、論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈されつつある。他人と同じ正解を出すことで、差別化が消失している。

 

世界中の消費が、自己実現的消費へと向かっている。承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が重要となり、全ての消費ビジネスがファッション化しつつある。 これまでは、日本企業の経営に関わる人たちの美意識がほとんど問われてこなった結果、計測可能な指標だけをひたすら伸ばしていくゲームのような状態に陥っている。私たちは世界という作品の制作に、集合的に関わるアーティストであるからこそ、この世界をどうしたいかというビジョンを持って生活を送る必要がある。個々人が社会彫刻に、集合的に参画するアーティストであると自覚する。ウォークマンの商品化、iMacの五色展開、いずれもマーケット調査での論理的理性的なアプローチでなく、経営者の直感的感性的な意思決定によるもの。

 

論理的にシロクロつかない問題は、最終的に個人の美意識に頼るしかない。正解を出せる人が少ない時代は、正解に高い値段が付いた。他人と戦略が同じだったため、日本企業はスピードとコストで差別化してきたが、その強みは失われつつあり、歴史上初めて、本当の意味での差別化を求められている。

 

経営はアート、サイエンス、クラフトが混ざり合ったものだが、アートの良し悪しについては根拠を説明するのが非常に難しい。サイエンスに特化する判断であれば、経営コンセプトとビジネスケースを大量に記憶した人工知能にやらせればいいが、ワクワクするようなビジョンや、人の創造性を大きく開花させるようなイノベーションは生まれない。

 

プランはアート型人材、ドゥーはクラフト型人材、チェックをサイエンス型人材が行うことでバランスの良い経営が実行できる。ディズニーは、革新的なビジョンを生み出すウォルトと、元銀行員で財務面リーガル面で支えた兄のロイ。強烈なビジョンを掲げてアートで組織を牽引するトップを、サイエンスやクラフトで強みを持つ側近が支えるという図式。デザインと経営は、エッセンスをすくい取って後は切り捨てるという共通点があって、強い会社は選択が強いのではなく、捨てることに長けているからと言える。直感を信じるには、優れた美意識が必要になる。

 

現代社会における消費とは、最終的に自己実現的消費に行き着かざるを得なく、ファッション的側面で競争せざるを得ない。ファクトベースのコンサルティングアプローチをするマッキンゼーでさえ、クリエイティブ会社を買収した。アップルの強みはイノベーションではなく、ブランドに付随するストーリーと世界観にある。デザインとテクノロジーはコピーできるが、ストーリーと世界観はコピーが難しい。優れたイノベーションであればあるほどコピーの対象となるが、言語化できるものは全てコピーされてしまう。デザインとテクノロジーだけでは一時的に勝つことができても、勝ち続けることは難しい。

 

 

会社という狭い常識が、社会という広い世間の常識と異なることに気づけない。自分が所属している狭い世間の掟を見抜けるだけの異文化体験を持つことで突破できる。美意識を持つということは、目の前にまかり通っているルールや評価基準を、相対比較できる知性を持つこととも言える。変化の厳しい時代においても成果を出し続けるリーダーは、セルフウェアネス=自己認識能力が長けており、マインドフルネスでその能力を高めることができることが脳科学的にも実証されている。悪とはシステムを無批判に受け入れることで、システムの要求に適合しながら、一方でシステムを批判的に見ることが重要。批判的に疑いの目を向けるという意味で、哲学とロックの思想は近い。

 

 

私は、自分の考えやアイデアに自信を持つことが得意ではない。アカウンタビリティを持つサイエンスによる結論を相手に提示することが多い。そのほうが相手も自分も判断がしやすい。けれど、今後ますます自己承認社会が加速していったとき、それだけで説明していくのには限界がある。美意識を鍛えると言うと難しいことに感じるので、まずは何事においても、美しいか否かということの判断を持つことから始めようと思う。

 

 

『小売再生』リアル店舗はメディアになり、今売っている商品が無料になることを想像する。

 今回はもともと本屋で見て気になっていたなか、「Voicy」の”風呂敷畳み人ラジオ”でNews Picksの最所あさみさんが紹介していたことが決め手になって、本書を読みました。Twitter見ていても、同じ動機の方、結構いました。

 

小売再生 ―リアル店舗はメディアになる

小売再生 ―リアル店舗はメディアになる

 

 

何年後とか具体的なものはありませんが、自分は将来的に店舗を構えるということに強い興味があります。ですが、単純に現状世の中に溢れる業態、例えば飲食店を普通にやるということには疑問があります。体のつくりが強いわけではない自分が、店頭で汗水垂らしてやれる自信がないということと、飲食の提供だけでビジネスとして成り立つのか疑問があります。なので、どうしたら新しいかたちの店舗がデザインできるのか、それについて常に頭のどこかではヒントを探しています。そんな自分にとっては、すごく刺激的な本でした。

 

今の経済は、ありふれたものばかりのコモディティ化と、経験経済への移行が複雑に絡み合っている。マーケティングの肝は経験にある。体験や商品を、消費者個人の趣味嗜好に合わせるほど、消費者を惹きつけ、強く印象に残すことができる。今も未来も、現実こそが、最高に充実した体験を生み出す源泉である。しかし、テクノロジーが進化したのに、小売という概念や在り方は、ほとんど変化していない。小売は崩壊に向いつつも、驚くべき産業が生まれようとしている。

 

店舗の脅威は間違いなくAmazonAmazonが強くなったのは、業界の競合他社が目の前の脅威を意地でも認めようとしなかったから。発明は、長い間周囲に理解してもらわなくても構わないという覚悟があれば、実現に近づく。Amazonの収益源は本業ではなく、クラウドサービスであるAWSが大きなウェイトを占める。売上自体は全体の9%であるものの、利益は全体の56%という驚異的なビジネスモデル。Amazonはとにかく便利な地上最上級のショッピング体験を目指すだけでなく、最上級のサードパーティロジティクスを目指し、また、他の小売が考えることができていない宇宙ビジネスにもいち早く着手している。明らかに競合とは見えている世界が違う。

 

昔はマスメディアは頼りになる存在で、消費者が購入に至る流れもシンプルで予測可能だった。アメリカ人は、未だに1日3・4時間テレビを見るものの、CMが流れる間に暇つぶしにスマホがある。広告費がSNSのデジタル広告へシフトしているが、どこまで届いているのか不透明感は否めなく、確かな効果が得られているという実感は薄い。広告主は罠に磨きをかけるが、消費者は罠を嫌う。広告という考え方自体、人々が目にしたくないもので、世の中を汚す行為。広告のあり方を再定義する必要がある。

 

手軽さや、利便性が売りのオンラインに対して、手間や過酷さがつきまとうオフラインショッピング。メディアと店がそれぞれ担っていた役割が入れ替わるという歴史的な転換期であり、メディアが実質的に店になろうとしている。メディアは最初の情報伝達を行い、店は最後の商品供給の場であったが、あらゆるネット系の広告から直接購入できる今、店こそがメディアになりつつある。

 

IoTの発展によって、今後、無能な無生物だった物体や場所が、通信可能な賢い存在となって、私たちの生活を支える可能性がある。ネットワーク接続された端末が集まって、AIの階層を生み出し、外部頭脳の役割を果たすようになる。今の人類は、人間の自然言語と機械の高度な知性が組み合わさる未知の領域の最先端に立っている。チャットボットやデジタルアシスタントの出現を受け、Eコマースから対話型のCコマースの時代に入る。消費者はより考えることなく、自分の欲しいものを簡単に買うことができる。没入感や臨場感の精度が高まるVRによって、より自宅で買い物することが簡単になる未来もすぐそこに見えている。

 

だが逆に、VRなどの技術が暮らしに入り込むにつれて、現実の店で買い物を楽しむことの価値は高まる。デジタルは世界を広げてくれるわけではなく、私たちが楽しいものを勧めてくれる結果、個人の世界は収縮に向かい、考えずに最短距離で目的に到達することで、セレンディピティが無くなる。ショッピングの本当の楽しみは、妥当性と偶発性の絶妙なバランスにある。人混みを嫌うのに、無意識に人混みを探すのが人間。素晴らしいショッピング体験を神経学的に見ると、コカインを吸引した時とほぼ同じ反応するという。脳内でドーパミンが最も放出されるのは、褒美そのものでなく、褒美への期待時。さらに、確実にもらえると保証されるよりも、骨折り損になるリスクがある場合のほうが、より放出される。一貫性と信頼性を大事にする一方で、自力で何かを発見する偶発性と、買いそびれの不安感も盛り込むことが小売に必要な戦略と言える。

 

アップルには実店舗があり、Amazonには実店舗はなく、故にAmazonはアップル並みにデジタル機器を浸透させることができていない。ミレニアル世代は、物資的な所有を避け、ハイブランドに興味を持たないデジタルネイティブで、モノよりもコトに消費する世代。しかし、若い世代ほど、実店舗に最も大きな愛着を感じている。それは、音楽がタダで手に入る時代に、フェスに人が集まるということが物語っている。インターネットから飛び出して、現実世界に逃避したいニーズが強い。ミレニアル世代は、リアル店舗を嫌っているのではなく、コモディティ化されたリアル店舗には、ろくな事がないと感じている。そもそも、どの世代においても、商品を購入する前に、手に取りたいという根本的なニーズがある。ナイキでは3Dプリンターを活用して、ネットでの注文のオーダーメードから、来店でのプリントに変わるだろう。3Dプリンターは間違いなく新しい産業革命であり、とりわけオンデマンド生産により、経済モデルとして大きなイノベーションの可能性を秘めている。

 

リアルとデジタルの絶妙なバランスを取るには、よく考え抜いた巧みな体験型デザインを導入することが第一歩。どの条件が整えば、物理的に関わり、没入してもらえるか探る。五感を刺激して、店を出た後も長らく印象に残るような体験をデザインする。小売は、同じ指標を追いかけるから、ショッピングモールに同じような店が並ぶ。これからの時代は、実店舗の目的はもはや商品を売ることではない可能性がある。体験をどうデザインし、どう実行し、どう評価すれば良いのかを考える。

 

ディズニーのテーマパークのデザインを作る上で欠かせないのがストーリー。ストーリーをショッピング体験の中核に据えた場を創り出すことが必要と言える。未来の小売スペースは、単に何かを取りに行くのではなく、ワークショップやデザインスタジオのように、何かを作るために行く場になる。リアル店舗こそが、最も強力で直接的な影響力を持つ極めて重要な存在になる。リアル店舗には、購買行動にあって当たり前になったレビューなど、ユーザーの手によるコンテンツのかけらもない。つまり、消費者脳はポスト・デジタルになっているのに、小売が付いていけてない。朝から晩までスマホを使う人たちを、その時だけ使わなくするのは無理筋。

 

今後、リアル店舗は消費者の購入プロセスの終着点ではなく、出発点になる。これまでの小売は、拡大を続ける都市部の市場をカバーしたいメーカーにとって必要な箱物だったが、消費者が販売員よりもGoogleを信用している今の時代、体験型の優れた劇場が必要。ポスト・デジタルの時代は、インターネットで欲しいものに一瞬で辿り着くことができるため、希少性は意味を持たない。何を売るかではなく、いかに売るかがこの上なく重要になる。独自性があり、鮮烈に記憶に残るような体験を生み出す。この新しい時代には、競争相手は従来の競合他社ではない。今のライバルに目を光らせるほど、創造的破壊者の襲来に気づかない死角が増える。誰かに息の根を止められる前に、自ら古い自分を捨て去れるかどうか。今売っている商品が無料になることを想像する。

 

テクノロジーに体験そのものはなく、あくまで体験が繰り広げられる土台にすぎない。デジタルありきでスタートするのではなく、もっと充実した体験はどうあるべきかを探ることから着手すべき。独自のブランドストーリーを効果的に目の前で訴求することこそが顧客体験。帝国の多くは、組織のエネルギーの大部分を帝国を維持するためだけに消費されていて、本来なら顧客に振り分けられるはずのエネルギーを枯渇させている。成功している小売は、体験のデザインから設計、作り込み、最終的な仕上げに至るまであらゆる面で徹底し、従業員に対して、ブランドの持つ意味や演出したい体験内容に関して厳しくする一方、顧客をどのように満足させるかは任せている。代表的な企業で言えば、リッツカールトンは舞台美術の発想で設計されている。体験とは、小さな瞬間の積み上げで、優れたサービスとは、突き詰めれば人であり、施設であり、五感である。

 

小売は死んだのではなく、概念が変貌している。

それに気づけるのかどうか。

今ある常識は、将来、必ず誰かの手で徹底的につくり直される。

そのときにどう準備するのか。

 

「九州バカ」村岡浩司さんに学ぶ、世界とつながる地元創生起業論

いま自分のなかで興味があるのが、マーケティング、コミュニティ、地方創生。

 

見事にこの三つの要素が入っている本に出会った。

九州バカ 世界とつながる地元創生起業論

九州バカ 世界とつながる地元創生起業論

 

 

以前から九州エリアの地方創生には興味を惹かれるニュースをよく眼にしていて、本書を見つけたとき、そのような背景を深く知ることができるんじゃないかという期待が高まりました。

 

商店街の発展と市民の購買意欲が重なっていた大量消費の時代が終わり、何をもって活性化と呼ぶのか難しくなってきたけど、他人のせいにして解決できる問題などなく、黙って見過ごすことはできない。ふるさとの定義を広め、地元の魅力を発信するための「ローカルブランド」から、「リージョナルブランド」という思考にシフトしたことが「九州パンケーキ」の開発のスタート。ローカルでも、世界とダイレクトに繋がる可能性を証明したいという意思も強い。

 

地方創生の主語は、東京になっていて、東京から見た地方みたいな図式にも違和感を覚えていたそう。産業を生み出し、県外から外貨を稼ぎ、その利益を地元の活性化のために還元するエコシステムを構築する。地域に必要なのは、雇用ではなく、社会問題の新たな解決方法を提示して実行する人をソーシャル・アントレプレナーの創出。どうしたら地元をもっと楽しくできるだろうと考え、自分の住んでいる土地を徹底的に学び、特徴、強み、魅力、課題を知ることから始める。常に地元志向で考え、地域全体へと意識を拡げて行動しながら、グローバルで勝てる強みを見つけ、一点突破でレバレッジを効かせてビジネスを拡大する。

 

ブランドは発信する側ではなく、受け取る側で醸成されるもの。決して、発信側の理屈でバズることはない。キャラクターをはっきりさせ、差別化を図り、戦略的に発信し続ける。世界の中での地元を意識して、本質的な価値を背骨にした持続可能なブランディングを進める。そこに住む人たちが、当たり前と感じている豊かさを可視化することが地域ブランディングのおもしろさ。豊かさの基準はお金だけじゃない。ブランドは最初から存在するわけではなく、長年をかけて醸成され、理由がある。サービスや売り方の前に、どんなメッセージを伝えたいのか、どんな価値を届けたいのか。HowよりもWillが重要。

 

知らない業界に飛び込むとき、素人であることをネガティブに捉えるのではなく、アドバンテージと考える。業界人はこれまでの流れからの常識をベースに思考するけど、素人にはそのような常識がなく、フラットにものを考えることができる。リスクや責任を、誰かに押し付けるのではなく、すべて自分で引き受けた人だけが、夢を叶えられる。まちづくりをしていると、慣習を重んじる人種を中心に、いろんな人が反対意見を言ってくるもの。

 

食文化は名称の変換を伴いながら社会に浸透し定着することがある。例えば、喫茶店からカフェ、コーヒー牛乳からカフェラテ、ホットケーキからパンケーキ。既存の流通形態から離れたところに新しいマーケットを発見できないと失敗する。少しでも安いものをという価格圧力に長年苦しみ、勇気を持って消費者に正しい価格を問いかけることを避けてきた。

 

豊かさを商業活性化に求める時代は終わり、先人たちから受け継いだ町並みの保存や再生、住民の暮らしや働き方、そして希薄になりつつある地域コミュニティを今一度繋ぎ直す核となる存在の再設定が必要。カフェという存在は経済合理性だけでは価値を測れなく、インフラ・インストラクチャーとしての役割を担う存在であり、コミュニティの最小単位になり得る。

 

 

まちづくりは、巨大な投資の果てにあるモノの完成がもたらす成果物から、生活者が主体となって地域のあり方を考え、関わっていくコトの中で、長い年月をかけて培われていくものへと変わった。これから猛烈な自己責任社会が到来し、更なる都心集中と、個性豊かな地方都市への大移動が進む。そのなかで価値が見えないことは、存在しないことと同義。世代、性別、立場、社会的地位やヒエラルキー、その他、ありとあらゆる背景を突破して、一歩先ではなく、トレンドと革新がほどよくバランスされた半歩先を意識することで、強いブランドが醸成される。過去の興奮は、数年経てばコモディティ化するもの。ベーシックな品質を保ちながら、絶えず次の時代、カルチャーを持ち込み、革新を繰り返すことで、ブランドは強くなり、存在し続けることができる。

 

九州バカ 世界とつながる地元創生起業論

九州バカ 世界とつながる地元創生起業論

 

 

一億総中流が生んだ『バカ格差』のくだらなさを学ぶ

この時代に、日本に生きていれば、ほとんどの人が格差を感じていると思う。

 

いま一番強烈に感じる格差は労働条件について。僕から見て、圧倒的に苦しいと感じさせる仕事をよく眼にする。なんでそんなことをしてお金を稼ぐのだろうと。一昔前はそれで思考停止していたけど、あ、それ自分も自分以外の人からは同じように見られてるなと思うようになった。旧態依然とした業界に身を置き続け、もがき苦しみ、耐えている。そんなに苦しいなら、外に出ればいいじゃん。僕とは違う次元に生きるひとからすれば、他にもっと魅力的な世界があるよって思われている。でも決断しない。悪いところもあるけど、良いところもある。例えば、背伸びしなくていい環境があるということ。この思考の時点で、ゴリゴリ働くマッチョなビジネスパーソンからすると、ダサいと思われるかもしれない。でも事実として、そう思う節はあって、それは思考の格差ではなく、ライフスタイルの多様性であり、働くということに対して、それぞれが、それぞれの考えを持ち、仕事に対して求めるものも変わるということ。比べる必要もないし、否定されても関係がない。

 

バカ格差 (ワニブックスPLUS新書)

バカ格差 (ワニブックスPLUS新書)

 

 

よく昔から言われる敷かれたレールを生きるというライフスタイル。その敷かれたレールに乗ったつまらない人生すら、今の日本では難しくなっている。日本にも、様々な格差が存在する時代になった。

 

欧州では、人間は人間らしい生活を送ることに重きを置き、人が富を得るのは自分が納得した生活を送るのであって、人に自慢することではないというスタンスのひとが多い。SNSは、基本的に幸せの絶頂を切り取った瞬間なのに、嫉妬を生む装置になっている。人と比べる嫉妬心はくだらなく、生きていくなかで全く必要のないものであって、例えばタワーマンションの階数格差は、現代日本人の思考の浅さの象徴と言える。実際に東京は魅力的な街で、学べる事も数多く存在するけど、なんでも東京が素晴らしいと思い込み、東京から何かを得るのではなく、東京に住むということが目的化してしまい、家賃を始めとする物価が高い環境で、低い生活レベルに甘んじている。なんでも欧米が優れているわけでもないけど、欧米のお金持ちほど、都心部から離れ、広大な土地が残る地方へ移り住むというケースが多い。

 

何を学んだかではなく、良い学校に入ることばかりを重視する教育にも問題ある。これは学校教育だけの問題ではなく、学歴を重視した採用を続けている企業に問題がある。確かに学歴は分かりやすい尺度で、採用する側もあまり考えずに、それなりの人材を確保できるから、便利といえば便利。でも、日常的に思うし、同感してくれるひとも多いと思うけど、学歴の高さと、仕事のパフォーマンスの高さは全く比例しない。結局こういった仕組みが、同じような人間を集めることになって、個人主義ではなく、集団主義的社会を構築するひとつの原因になっている。

 

そもそも、本来であれば、どこを卒業したかではなく、何を学んで何ができるのか、それを人に伝えれるかどうかが重要。一口に、どこどこ卒と言って評価されるのではなくて、何を考えて、何を学んで、それをどのように実践してきたのか。確かに人を見るということは非常に難しいことで、採用というのは、成功以上に失敗が多くなるということも想像はできる。だからこそ、人事部の採用担当は高次元の人種で構成することが求められるはずだけど、未来のプロフィットセンターと考える人は少なく、優秀な人材を集められていないと感じる。

 

肩書きとか会社名とかで競い合って、それがその人の人生にとって何の意味があるのか。会社の役職なんて、外に出れば使い物にならない。出世は運で、多くの好き嫌いで決まるもので、世界共通で通用するスキルで成り上がる人は少ない。それがバカげたことだと悟るには、属しているコミュニティから離れることが有効。違う価値観を知るということは、人生を豊かにする。

 

教育への投資は株よりもビットコインよりも安全で確実で、服やブランドなどの身分不相応の消費財にお金を使うよりも、投資する価値のあるものにお金を使う。節約すべきとこで節約し、使うところでは思いっきり使う。格差があっても、自分自身という軸があればいい。自分が信じるもの、自分が良いと評価するもの。一億総中流が続きすぎたために、格差という事実を受け入れられていない。

 

中国は急激な成長によって格差が拡大しているけど、それを是正しようとする動きはなく、このまま行けば国として形を維持することは難しいと言われている。自由の国であるはずのアメリカも、格差が激しく、階層移動も難しい。そいうった国々に比べれば、まだ日本は格差は少ないのかもしれないけど、日本にも格差が拡がっているということを認識はしておいてほうがいい。そして、その格差の多くが、くだらない独特の文化が生んだものということも認識しておかなければならない。ほとんどがバカげた格差。本来比べる必要のないところ比べて、嫉妬や不安が生まれている。他人と比べるということが、如何にくだらないことで、時間の無駄なのかを悟って生きていくことが、欧州人のような人間らしい生活に近づいていけるんだと。 

 

バカ格差 (ワニブックスPLUS新書)

バカ格差 (ワニブックスPLUS新書)

 

 

佐渡島庸平さんに学ぶ、現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ

昔から、コミュニティという文脈に対しては興味を持ち続けていた。それは、地域とかそういう意味でのコミュニティであって、佐渡島さんが言われているそれとは少し意味合いが違うけど、コミュニティの重要性は、現代社会においては避けて通れるものではなくなってきている。

 

Facebookも2017年に企業ミッションをこのように変えている。

 

コミュニティづくりを応援し、人と人がより身近になる世界を実現する。

 

今回は、佐渡島庸平さんの新刊である「WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ」を読んだ。

  

帯には、よくある誰かの推薦ではなく、こう書いてあります。

 

みんな居場所がない。

 

これを見て、どう思うのか。

僕は結構突き刺さりました。家族がいて、家があって、そういう居場所はあって、すごく幸せなんだけど、その外に出れば、僕の居場所はどこにあるかと思うことはある。さっき言っていた孤独感というのは、スマホが生まれていろんなことが便利になり、1日に享受する情報が爆発的に増え、今まで一握りの人しか知りえなかった情報が簡単に手に入るようになっている。そうすると、ここで生まれるのが情報の格差。以前はみんながテレビを見て、みんなでその話題をしていれば、なんとなく繋がれている感じがあった。でも今は、人それぞれが見ているものが違って、他人との共通の価値観を見出すのに、以前よりも苦労するようになっていて、ハマる時はハマるけど、ハマる確率はかなり下がってるんじゃないかと思ったりしてる。

 

スマホの登場で便利になったことは間違いないが、その一方で、大衆は分断され、その結果、モノの売り方が根本から変わり、より、同じ価値観でつながるコミュニティを作れるのかが、ビジネスにおいて成否を分ける要因になっている。

 

孤独というものは周りに人がいるかではなくて、心のつながりの問題。人は、地域、学校や会社など、意思と関係なくコミュニティに属していて、そのコミュニティに合わせることが一番大きな心理負担になっている。コミュニティが重要であることは、今に始まったわけではなく太古から自明だけど、現代社会においてその重要性が極めて高くなっている。孤独感は、肥満よりも深刻な脅威である可能性があり、社会的インパクトは無視できなくなってきていて、それは若年層でより深刻な状態となっている。社会的なつながりが現代人の最優先事項。人々が参加できるコミュニティをつくることが、メンタルヘルスを保つ一助となる。

 

現代社会におけるコミュニティを考えるとき、「安心」と「安全」がキーワードになる。SnapchatやInstagramのストーリーズなどは、ポリコレが求められ過ぎている今だからこそ、24時間で消えるという軽さが安心感を与えている。学校時代の友人とは、安心安全が確保された場所で、コミュニティ運営がされているから仲が深まる。高度成長期に生きた人々は、核家族の極小コミュニティと会社コミュニティに身を委ねたが、結婚しない、子供を産まない人が増え、終身雇用も崩壊し、以前とはルールが異なる社会においては、それらだけのコミュニテイに身を委ねることでは心は満たされることはない。コミュニティが、安心安全を確保した次に目指すべきは、信頼。信仰ではなく信頼。信仰は無条件で信じ続けることで、そんな独裁的なコミュニティは求められていない。信用とも違う。信用は過去の実績や成果物から評価することで、根拠になるのは過去の実績かもしれないけど、信頼は未来にベクトルが向いている。

 

価値基準そのものにアイデンティティが宿る現代社会において、コミュニティ・マネージャーは今後、何を持っているかではなく、何をやっている、なぜやっている理由が重要となる。安心安全を確保し、リアクション・役割を設計し、自分の物語を語れるようにする。コミュニティを運営することこそ編集。集めて、削って、並べ換えて、補足する。コミュニティの入口のハードルは高くして、出口のハードルは低くすることで、コミュニティの質を保つことができる。コミュニテイを活性化させるためには、人は第一歩が明確に見えないと立ち往生してしまうため、フラットな構造でありながら、ある程度指南し、余白を作っておきながら、共犯者にしてしまう。

 

 

自分の物語を語るうえで、アップデート主義という思考がある。一度で完璧な情報を伝えるのが納品主義で、不完全でもまずは伝達しそこから修正を加えるのがアップデート主義。まずは伝えるというスタートが大事。一回のコミュニケーションを完璧するよりも、不完全でも短いコミュニケーションを何度も繰り返す。情報量が多いことは、意思決定しなければならない量も多くなるため、より簡潔に思いを伝える。言葉が多くなれなればなるほど、理解に時間を要するとともに、その返事や返信も同様に言葉が多くなるもので、そうなれば意思疎通のスピードは遅くなり、結果、コミュニティが活発化することにも遅れが生じる。

 

今は誰が言っているのかがモノを言う時代。ネットの中で実績を積み重ねるほうが、キャリアとして安全。会社に属するかどうか関係なく、人間丸出しで世の中に出ていき、自分はこういう人間であるとネットの世界にさらけ出せるかが勝負。これからは、オリジナリティのある仕事、発想がものをいう仕事、コミュニケーションが重要な仕事、人の心を読む仕事の重要性がさらに高まる。コミュニティを作る興味は無いにしても、どんな人でも何かしらのコミュニティには属して生きていくことにはなるため、このような本で、コミュニティが持つ意味を理解するということは、ほとんどの人にとって有効だと思う。

 

こちらの動画でも佐渡島さんが考えるコミュニティについて、更に理解が深まりました。

globis.jp

 

 

横浜・日ノ出町『Tinys Yokohama Hinodecho(タイニーズ)』めっちゃいい

毎年、横浜赤レンガ倉庫で5月下旬に開催されるGreenroom Festival。今年は家族で行こうと思い、4月頃から宿を探していました。すると、こんないい感じのコチラの宿を発見しました。

 

Tinys Yokohama Hinodecho

tinys.life

 

できたばっかりで未知数なとこもあったり、赤レンガ倉庫から近いとは言えない環境でしたが、そんなネガティブ要素よりも期待感のほうが上回ったので、コチラでお世話になることにしました。

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が、Tinysに泊まると決めてから、日ノ出町は、かなりピンクい街だという噂をチラホラ、、

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ですが、実際にこの川を挟んで左側はピンク街でしたが、Tinysがある右側は全然大丈夫で、ノスタルジーな雰囲気と、アートな雰囲気が入り混じったステキな街でした。

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もうみなさんお気付きのように、Tinysは、けっこうヤバめです。期待してもらって桶です。

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こんな感じで車輪がついたタイニーハウスが3棟ありまして

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僕たち家族はこちらのタイニーハウスに泊まりました。

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それぞれ名前があって、こちらは「Silence」って言います。

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 Tinysは、日本初の高架下を利用したタイニーハウス複合施設なんです。

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 この鍵を開けて、柵のなかに入ります。

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 こんな感じで3棟並んでます。

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こうやって階段を登ってくと

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共用のデッキがあります。夜ご飯は近くのセブンでいろいろ買って、ここで家族でワイワイ食べました。

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靴を外に置いて、部屋に入ります。

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部屋の鍵も、このスタイルです。

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 部屋はこんな感じです。この2段ベッドが横並びって、ありそうでない感じ。ハンガーが掛かってる取手を引けば、間の仕切りが取れますので、ダブルベットの2段ベッドになって、まだ一人で眠れない子どもも安心です。

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 シングルで寝ても、圧迫感はないです。

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テーブルに置かれた洋書。すでに分かってると思います、運営者のセンスがコイサーなんです。

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コーヒーがインスタントじゃないところにもセンスを感じます。これもUXを意識した細かな配慮です。

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撮るのを忘れてしまいましたが、このタイニーハウスにはシャワールームとトイレもあります。行く前は共用かなーと思ってましたが、これも家族安心ポイントかと思います。

 

さて

 

ここからは併設されている、カフェラウンジの夜の顔をお届けします。

行くと分かるんですが、佇まいのオーラが、すごいんですよね。前を通るビジターらしき方々のほとんどが、ガン見しながら通ってかれます。

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この階段を登って、中へ入ります。

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そのまま真っ直ぐ進んで、オンキャッシュでこちらのカウンターでオーダーします。

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 表現が稚拙ですが、インスタ映え感はかなりあると思います。

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このスペースを使って、映画の上映とか、トークイベントとなどをやられて、地域活性化とかコミュニティとかそういう色の強さを感じます。

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このカウンターで開放感に浸りながら飲む酒は、その日の疲れを癒してくれました。僕は、横浜ビールのヴァイツェンをいただきました。

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この記事にたどり着いている方は、すでにTinysに興味を持っている方々だと思いますが、これで確信に変わったかと思います。

 

もうすでに伝わっていて、改めて言う必要もないかと思いますが

 

Tinys、かなり、いいです。

 

 

Tinys Yokohama Hinodecho

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