勝川STAND

勝川STANDは、個人事業主様・フリーランス・小規模店舗経営者様に、無料ツールを使って、撮影から制作までリーズナブルにクリエイティブを提供します。

朝倉祐介さんに学ぶ、未来を生き抜く武器となる『ファイナンス思考』

私は、いまの組織のなかで、自分のやれることをやり、自分の得意なことや、強みになると思えることを探し、それを伸ばす努力をしてきました。極力、やらされ仕事みたいなものは回避できるような環境作りをし、自分の意思で仕事をするということ意識してきました。そうすると、自分の居場所みたいなものができて、自分の進むべき道というのが何となく見えてきました。

 

でも、それができないという人種は山のようにいる。それは、いろんなことに対して疑問や問題だと思うことをあまりやってこず、ただ言われたことを遂行するということで対価を得るということが体に染み付いてしまっているから。

 

これはもうどうしようもない。心配して声をかけても、相手の常識を変えるということは難しく、言ったところでなかなか変化はない。最近は、それぞれの人生だから、放っておけばいいと思うようにしてる。

 

でも、マネージャーはそうはいかない、はず。そのような人間も束ねて、戦略を立て、実行し、計画を達成するというチームを作らなければならない。けれど、自分のいる組織では、そのような当たり前のことが起きない。

 

バブル世代の無能なマネージャーたち。

 

自分たちのいる業界がシュリンクしているのに、新たな市場を開拓したり、新たな戦略を立てるわけでもなく、ただただ前年比100+α%という計画を立てる。もちろん根拠のない計画だから、達成できるはずもない。

 

なぜ人口も減り、今までの市場が小さくなっていて、新たな市場を獲得していないのに前年を超える売上が達成できるのか。これは個に頼っていると言わざるを得ない。できるやつに、やらせておこう的な。

 

とにかく、ろくに自分の脳みそのアップデートもしないで、いまだに高度成長期の成功体験に固執する老人たちに、私たちの未来を委ねられないという気持ちは日々高まる。

 

著者である朝倉祐介さんは、何かの記事で、これで理論武装して戦ってもらえればという言葉を残されていた。

 

 

以前よりいろんなメディアで朝倉さんの言動には強い興味を持っており、Voicyも日頃から聞いていて、本書の言葉はスムーズに頭に入っていきました。

voicy.jp

 

日本経済停滞の原因は少子高齢化という社会構造が大きな変化を及ぼしているが、ビジネス当事者のファイナンス思考が欠如していることが問題。売上・利益が経営の目的というPL脳という病が蔓延している。ファイナンスは、お金を外部から調達し、投資や還元する活動のことで、「ファイナンス思考」は、将来に稼ぐと期待できるお金の総額を最大化しようとする発想であり、価値、長期、未来的な志向。答えのない時代を生き抜く武器となり、会社の戦略の組み立て方に必要となる。

 

日本は「失われた10年」から、20年、30年とまで言われるようになり、それは「国民総PL脳」が起因してる。終身雇用、年功序列、企業労働組合の三点が日本経営の特徴で、人口増、市場が拡大しているなかでは奏功していたが、いまの時代には合っているとは言えない。

 

良い会社の条件は誰の視点から見るかで変わるもの。GAFAは、ファイナンス思考に裏打ちされた活動がある。Amazonは多額の赤字を計上しながら、ビジネスを拡大してきた。主力だけでなく、複数事業による継続的な成長性が必要となる。会社の意思決定のなかには、目の前のPLを最大化することを目的とした近視眼的な内容が紛れている。

 

どんな業務であれ、ファイナンスで言う資金の創出に該当する。金を稼ごうと思ったら、金を使わなければならないものであり、資金をうまく活用し、より大きな富に繋げる資金の最適配分が経営者の腕の見せ所。PL脳は、高度成長期に最適化した思考形態。高度成長期に進捗度合を評価する基準として機能したのが昨対比。変化が乏しく、直線的に市場が成長する状況であれは有効。縮小する市場で事業を展開しながら、新たな市場を開拓する必要に迫られた局面では、非連続にジャンプする仕掛けが必要となる。マーケットの構造変化を把握したうえで、生産設備の構築や処分、投資回収を考えるべき。

 

PL脳で成長できる時代が終わったのは、ダイエーの破綻がそれを証明している。日本経営はネズミ講状態とも言える。新入社員は低い賃金に耐えて滅私奉公し、後になって給料を取り戻す。

 

終わりにこんなことが書かれていた。

 

成否を左右するものは「理」「心」「運」に因数分解することができ、その割合は1:4:5程度で影響を及ぼしているのではないか。

 

「理」とは頭で考える部分。「心」とは「理」から導きだされたものを実行しきる胆力。「運」とは十分条件であり、必要条件である理と心を準備できていないところには降りて来ないもの。ファイナンス思考はここで言う「理」に該当する。

 

目先の売上を確保することだけに固執するのではなく、未来を創るためには確実に投資が必要で、ファイナンス思考という志を、今の時点からインストールしておくことは、来るべき未来が来たときに、非常に意味があると思う。

  

『朝宮あかりナイト』について思うこと

2018年8月18日に、愛知県春日井市のケローナ通り・朝宮公園で「朝宮あかりナイト」が開催されました。「朝宮あかりナイト」は今年が初めてのイベントで、事前情報が少ないため、どのようなイベントか思いを馳せながら、楽しみにしていました。

 

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結論から言うと、老若男女問わず、素晴らしいと感じるイベントだったと思う。

 

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「キャンドルとイルミで ちょっと特別な夜を。」というキャッチコピーの通り、すごく気持ちのいい時間が過ごせて「あれ、ここ春日井でいいんだっけ?」という感覚さえ漂い、これまでも数多くのイベントが春日井で開催されてきているかと思いますが、それとは確実に一線を画すイベントであったと思います。

 

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このイベントは、いま世の中で起きているムーブメントの延長線上にあると感じるコトがいくつかありました。

 

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モノが溢れてしまっている現代は、物欲さえも薄れ、モノよりもコトに心が動かされ、誰もが体験を欲しがっている。なんとか映えなんていう言葉がそれを物語っている。写真を撮ってシェアすること自体でお金は生まない。それなのに、あんなに必死になって、いいね!を稼ぎにいったり、共感を得たいという欲望は、お金やモノ自体の価値が下がっていて、みんなで喜びをシェアしながら、自己承認欲求も満たされるということが原動力となっている。本イベントでも、スマホをかざしながら楽しむひとは、そこら中にいた。

 

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モノが溢れた結果、同じモノを持つ人たちが溢れ、いつしか「それ自分で所有する意味あるんだっけ?」とか「これまだ自分が持ってる必要あるの?」ということを感じる人が増え、シェアリングエコノミーが台頭し、いろんなジャンルで共有するという選択肢が増えてきている。まだ、日本ではUberが本格上陸していなかったり、Airbnbが浸透していなかったりで、ひとによっては実感が薄いかもしれませんが、確実に生活に侵食してきていて、車、駐車場、スキルなど個人間取引も増えてきている。メルカリが生活に一番近いところ。

 

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自分が使わなくなっても、他に使うひとがいるということを多くのひとが理解し始め、それで経済が動いている。個人にも、法人にも、自治体にだって、遊休資産があり余っていて、それをシェアするという動きが強まっているのは、誰も否定しようがない。今回のイベントは、人の集まらない時間帯の公園という遊休資産を使った。どうせ使わないのであれば、使いたいと思うひとたちに開放するのがいいに決まってる。

 

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経済を活性化させる、地域を活性化させるためには、何か新しい施設を作るとかだけじゃなく、遊休資産を使ってできることはたくさんある。

 

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そのためには、恐らく自治体側で、遊休資産を開放できるよう規制を緩和することが求められる。それをするだけで、あとは勝手に市民が動く。規制緩和には大きな労力がかかるとは思うけれど、お金はそんなにかからないんじゃないかと思う。今回のケースの初動は誰か分からないけど、たぶん、勝手に市民が動いたんだと勝手に解釈してます。

 

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市民の中には、いろんな人がいて、自分たちが住む街を思う気持ちにも、随分と格差があると日常的にも感じる。さんざっぱら公共施設を使い倒しておきながら、自分の目先の利益だけを考えて、ふるさと納税を利用する人もいれば、誰かに頼まれたわけでもなく、このようなイベントを主催する人もいる。どちらも同じ市民。

 

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自治体としては、後者を応援するほうが間違いなくポジティブだし、それをすることで、前者を振り向かせることにも繋がるはず。実際、今回のイベントはお金のシェアリングとも言えるクラウドファンディングで資金調達をしている。勝手に動き出した市民に共鳴した市民によって、このイベントの資金が集まった。自治体が規制を緩和するだけで、このようなスパイラルが生まれるということを実感する。

 

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遊休資産の活用については、時代背景を理解しているひとたちによって、全国各地で既にたくさんの事例がある。この価値観が分からない自治体は、法人で言えば、成長戦略を全く無視した企業と同義。

 

横浜日の出町の高架下という遊休資産を活用したホステル。

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五反田でも高架下を利用した飲食を中心とした開発が進んでいる。

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思考停止して、駐車場にするぐらいだったら、ひとの集まるところにしたほうがいいという発想のcommune 2nd。

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いずれも、遊休資産を使って、コミュニティを醸成するということが目的。僕が住む春日井も、こんなワクワクする街であると嬉しく思います。

 

 

『朝宮あかりナイト』の主催者のみなさま方、素敵な夜をありがとうございました。

 

来年も楽しみです。

 

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2018.08.18 Sat

ASAMIYA AKARI NIGHT

text & photoglaph by kachigawa-stand

成毛眞さんに学ぶ『AI時代の子育て戦略』

僕には幼い子どもが二人います。

 

いろんなことの不確実性が増していくなか、この子たちは自分が過ごしてきた時代とは全く異なる世界で生きていくんだろうということは確定しているなと日々感じます。テクノロジーが進化し、様々な面倒がなくなり、生活が豊かになる一方、競争相手が人間だけじゃなくなり、ナチュラルボーンな人間も減り、何をもって人間というのかの線引きも分からなくなる未来がやって来るんだろうと思う。

 

考えても答えが出るわけではないけれど、それを楽しむのか、憂うべきなのか、本当にわからない。ただ、ある程度は想像しながら生きておいて損はないと思うので、知見は広げておこうと思ってます。

 

未来がよく分からないと感じるものとして、個人的に最大の脅威だと感じるのは遺伝子改変技術の進化があります。クリスパーキャスナインという技術によって、人間を簡単にプログラミングするように、狙った遺伝子を操作することができる。これにより、今まで死に至らしめてきた病気の発症を未然に防ぐことができ、世界の不幸は減るが、個性さえも、操作できるというのが恐いと感じるところです。顔のパーツや、性格など、人間を人間たらしめてきた不完全な個性がコントロール可能になるという。現時点では、技術は完成しているものの、ルールや道徳が整備されていないため、生活に浸透はしていない。いつ一般化されるのか分からないけど、どんな世界が待っているんだろう。

 

そして、未来をより分からないものにするAIの進化。2045年には人間の知性を超えると言われており、いろんな議論がなされている。PVを稼ぐための、いろんな職が奪われるという記事をよく見るけど、職種の増減なんて、これまでもずっとあった話で、自分の仕事が未来永劫続くと思っているひとは、ちょっと頭が硬いと思う。自分たちが現役を終えるまでに、自分の今の職種があると信じて生きていくのは、難しいと思う。ターミネーターのようなシナリオは最悪のディストピアで、そこまでの世界はないと思うし、思いたい。

 

AIは敵ではなく、味方。僕たちの脳を拡張するようなものとして使えばいい。これまでもそうだったはず。人間は便利なものを使い倒して進化してきた。そんな話をしていると、脳みそが腐ってしまうというようなことを言い出すひとがいる。子どもにスマホを使わせると学力が下がるという言い方をする記事もあった。そりゃ失われるものもあるに決まってると思う。でも、得られるものもあると思うし、結果をどのような時間軸で見るべきなのかもあると思うし、そういう記事にはそういったことはまず触れられない。とはいえ、アナログの良さも感じながら、デジタルを駆使していくバランス感も大事だとは思う。

 

という背景がありながら、成毛眞さんのこちらの本を拝読しました。

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

 

 

個人的には、かなり同意できる部分が多くありました。この本を家に置きたかった理由としては、自分のパートナーにも読んで欲しかったから。僕は、自分が受けてきた育てられ方を同じように子どもにするのは、これからの時代は生きていくのが辛くなると思ってます。

 

たとえば、石の上にも三年的な発想で、何事も続けるコトが美徳であるという思考は非常に危険。子どもが自分でやりたいと言ったことだから途中で投げ出すことは許さないとか、ゲームは危険なものとか、何を教わるよりもネームバリューで大学を選ぶとか、そういう思考を持つ人とは僕は交われない。

 

そもそも大学に進学するということにも疑問があります。僕らが大学に通っていた時代は、大学に行くということが目的で、大学を卒業をしたというだけの社会的パスポートを得るためのひとが多く、自分は本当にそうだった。今になって、当時勉強できたことを改めてお金を払って勉強をしている。このスタイルはもう無理だ。

 

親に言われるのだけれど、親にしてもらったことは、子にしてやらなければならないというのも無理筋だと思っています。どう考えても、時代が違い過ぎる。くどいけど、大学もそう。大学に行って、就職率が高まる時代は終わってる。昔もいたけど、大学なんて行かずに目的達成をする方法は増えていると思う。親としては、大学以外の選択肢を提示してあげることも必要だと思う。その結果、これを学びたいと大学進学することはいいと思うけど、大学進学ありきで事を進めるのは苦しい。

 

ほとんどの人が子育てを何回もできるわけじゃない。なんでもかんでも人の話をただやみくもに聞く必要はないし、自分のスタイルを持つということは良いことだとは思うけど、成功体験を聞かないということは、個人的には理解に苦しむ。聞いたうえで、判断するべき。

 

「みんながそう」「昔からそうだった」「普通、そうだろ」とか言うタイプで、高度成長期に育ち、全員が同じベクトルを持つために洗脳され続けてきた世代は、特に学んでおくべき本であると思います。

 

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

 

 

 

田中元子さん『マイパブリックとグランドレベル』で受動機会に飽きた人たちのまちづくりを学ぶ

なぜか明確にわからないけど、コミュニティという文脈に昔から興味があった。自分自身、まちづくりとか建築とか、そのようなことの見識はまったくなく、ただ漠然と、一人では生きていけないというか、人と一緒にいることが楽しく感じる機会が多くあったからなのか。とにかく、コミュニティには興味がある。

 

そのため、以前からコミュニティ絡みの本を読むことはあったわけですが、今回読んだ本が一番同意できる部分が多く、それゆえ、自分のなかに無かった思考に対して、このひとが言うのだからと腹落ちしながら読み進めることができました。

 

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

 

 

「マイパブリック」と「グランドレベル」。聞いたことあるようで、聞いたことのない言葉。著者である田中元子さんの造語で思考を一言で表したような。まずは本書に出会う前に、田中元子さんのお店に行きました。

 

喫茶ランドリー

https://www.instagram.com/p/BlevhvvhF10/

半地下と小上がりとコンセプトがすごくいい感じだった😍🍺『マイパブリックとグランドレベル』を読み進めよう📕#喫茶ランドリー #喫茶 #ランドリー #コミュニティ #マイパブリックとグランドレベル

 

kissalaundry.com

 

別に自分を褒めるわけじゃないけど、感度の高いひとはご存知かと思います。最近特にメディア露出も多くなってます。でも、たまたま見たテレビ番組では、お店の雰囲気は掴めても、このお店のバックグランドについては一切触れられてなく、その側面は確かにあるのですが、あくまでオシャレなカフェ、みたいな取り上げ方だけに感じました。バエるよ、みたいな。

 

取り上げるモノコトは同じでも、接続するメディアによって得られる情報は全く異なるなと改めて感じた。僕は、この記事をきっかけに興味が深くなり、出張を兼ねてではありますが、名古屋からお店のある両国まで行きました。

 

kurashicom.jp

 

それが普通なのかもしれないけど、ご本人が普通にお店にいらっしゃったので、自分にとってはびっくりで萎縮してしまい、本書を買って、サインください、と言うのがギリギリでした。

 

今後のために、読んだことを忘れないように、自分なりに本書について以下にまとめてみます。

 

「マイパブリック」とは、自分で作る公共。公共は、みんなのものであるがために、個性のない、つまらないものになってしまう。それはもう仕方がないことで、これに文句を言ってるだけでは何も変わらない。自分が理想とするパブリックがあるのであれば、それは誰かに期待するのではなく、自分で作っちゃう。やりたいからやる。

 

誰かをもてなすことにワクワクするタイプなのであれば、なおさらやってしまえばいい。他者が存在することでスイッチがオンになることもあるから、誰かを巻き込んでしまってもいい。

 

コトを始めるにあたっては、収益に固執するのではなく、やりたいことをやるというモチベーションで始める。お金をとらないから得られるものもあるということを理解したほうがいい。お金をとらないことで、堂々と素人でいられる。これによってコミュニケーションは円滑になる。お金の姿を見ないことで得られる解放感は計り知れず、そもそも自分が何かを提供する場合、対価で精算しなければならないことはない。それがコミュケーションでも、モノの交換でも、相手がお金を使わずに提供できるサービスでもいい。お金をもらうということで、体温が少し下がる。

 

個人で、ダイレクトに街にコミットしてしまおう。自分の好きなことを外に出てやれば、趣味と社会との交点を探すことができる。会う、話すなどのダイレクトなコミュニケーションが無くても、そこに誰かいるという可能性のある箱に人々は吸い込まれるもの。高級感や物質的なものではなく、自分が自分のままでそこにいてもいい、そして、その状態を他人と許容しあうという、ゆるくてやさしい居心地が現代社会には求められている。

 

社会貢献は、貧しい人、かわいそうな人に、お金や労働で何らかを施すことではない。能動的に行動することが、自分自身を幸せにする。欲しいものがないは、決して幸せとは言い切れない。現代に生きるひとたちは、決してモノに飽きたのでなく、モノとコトの二項対立でもなく、受動機会に飽きた。人は、受動がうまくなるように飼い慣らされてきて、それがだんだん嫌になってきた。

 

都会にはパブリックが足りてない。それは、誰かのクレームが出ないように配慮されているから。いつか自分が好ましいと思える社会というものに出会うために、そこで得られると想像される幸せの感触を得るために、人は必死になってお金を稼いでいるけど、稼ぐだけでは、向こうからやって来ない。だから、自分で作るしかない。社会のため、まちのため、人のためじゃなく、自分がやりたいこと楽しめることを作る。

 

まず、振る舞うものを用意して第三者との接点を自分からつくる。高額なことや、高尚なことではなく、目の前のグランドレベルを良くしていけばいい。まちに暮らしながら、私たちとまちの間には、いつのまにか結構な距離ができた。インターネットで注文すれば、何でもすぐに送られくる時代でも、生活基盤となるまちのグランドレベルから逃れて生きることはできない。

 

一階は、プライベートとパブリックの交差点という特殊領域であり、まちの一部。開かれたグランドレベルが続く分だけ、まちの活力が続く。グランドレベルの充実度で幸福度が変わるのはデンマークポートランド台北が証明している。デンマークは、禁止主導ではなく、自由主導というルールでまちをつくっている。

 

グランドレベルの視点を持つことは、社会そのものを串刺しにする視点を持つのと同義。少子高齢化や貧困など、さまざまな問題が集積する日本社会の再生は、グランドレベルから変えることが必要で、以下の3つ要素を持つと、多様な人で溢れ、ずっといたくなるような美しい風景をつくる。

①人とグランドレベルが出会う「からまりしろ」

②人とまちが一体化する「かかわりしろ」

③画的な一体感をつくる「つながりしろ」

 

人は、真っ白なキャンバスをもらっても書き方が分からない。でも、綿密に計算されたうっすら下絵や補助線があると一気に活性化する。例えば、ベンチ。ベンチはある地点に人を滞留させる魔法の装置。このような仕組みを考えて、設計していく。

 

喫茶ランドリーは食べ物と飲み物を売ってはいるけど、持ち込みもOKにしている。それは食べ物や飲み物だけでなく、あらゆるものが許容されている。まさに公共施設のような、誰にでもフラットな環境になっている。そこでセミナーも開催されるし、なんとか教室とか、髪を切るひとが登場したり、その幅はものすごく広い。これは、いずれも受動機会に飽きた人々から自発的に行われているもの。このような場所を必要としているひとは、多いと思う。すごく参考になった。ただ、どうやってマネタイズするのか。本書を読むと、田中元子さんの収益源は喫茶ランドリーではなく、別でお金を調達して生活ができていると感じる。喫茶ランドリーは、オフィスとしてがメインで、それを開放しているような感覚。このようなお店を持つことを目指すのであれば、パラレルキャリアというワークスタイルを築く必要もあると改めて強く感じた。

 

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

 

山口周さんに学ぶ、経営における「アート」と「サイエンス」(世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?)

最近になってWEEKLY OCHIAIで山口周さんがゲストの回を見ました。そこで言われていた「正解のコモディティ化」という言葉がすごくハマって、周回遅れでしたがこのたび本書を読みました。

 

昨年のLive Picksでも佐々木紀彦さんがおもしろい本だと紹介されていて、 以前から売れているのはよく知ってましたが、特に自分自身エリートになりたいわけではないし、デザインには興味あるけど、アートと言われるまでのリテラシーもないので、本書のタイトルからは自分事ができずにいましたが、結果的に勘違いでした。

 

どんなことが書いてあるかというと、それは本書の最初にある「忙しい読者のために」を読めばそれで完結します。そこに伝えたい結論が書いてありますので、それを読めば理解できるかと思いますが、自分自身の復習のために、以下に要約させていただきます。

 

近年、MBAの出願数が減少傾向にあるなか、10年ほど前からアートスクールに多くのグローバル企業の幹部が送り込まれている。それはサイエンス重視の意思決定では、今日の不安定な世界のビジネスの舵取りはできなくなり、これまでの論理的・理性的スキルに加え、直感的・感性的スキルの獲得が期待されているから。

 

論理的なものが好まれる結果、差別化される要素が減り、正解のコモディティ化が起き、論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈されつつある。他人と同じ正解を出すことで、差別化が消失している。

 

世界中の消費が、自己実現的消費へと向かっている。承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が重要となり、全ての消費ビジネスがファッション化しつつある。 これまでは、日本企業の経営に関わる人たちの美意識がほとんど問われてこなった結果、計測可能な指標だけをひたすら伸ばしていくゲームのような状態に陥っている。私たちは世界という作品の制作に、集合的に関わるアーティストであるからこそ、この世界をどうしたいかというビジョンを持って生活を送る必要がある。個々人が社会彫刻に、集合的に参画するアーティストであると自覚する。ウォークマンの商品化、iMacの五色展開、いずれもマーケット調査での論理的理性的なアプローチでなく、経営者の直感的感性的な意思決定によるもの。

 

論理的にシロクロつかない問題は、最終的に個人の美意識に頼るしかない。正解を出せる人が少ない時代は、正解に高い値段が付いた。他人と戦略が同じだったため、日本企業はスピードとコストで差別化してきたが、その強みは失われつつあり、歴史上初めて、本当の意味での差別化を求められている。

 

経営はアート、サイエンス、クラフトが混ざり合ったものだが、アートの良し悪しについては根拠を説明するのが非常に難しい。サイエンスに特化する判断であれば、経営コンセプトとビジネスケースを大量に記憶した人工知能にやらせればいいが、ワクワクするようなビジョンや、人の創造性を大きく開花させるようなイノベーションは生まれない。

 

プランはアート型人材、ドゥーはクラフト型人材、チェックをサイエンス型人材が行うことでバランスの良い経営が実行できる。ディズニーは、革新的なビジョンを生み出すウォルトと、元銀行員で財務面リーガル面で支えた兄のロイ。強烈なビジョンを掲げてアートで組織を牽引するトップを、サイエンスやクラフトで強みを持つ側近が支えるという図式。デザインと経営は、エッセンスをすくい取って後は切り捨てるという共通点があって、強い会社は選択が強いのではなく、捨てることに長けているからと言える。直感を信じるには、優れた美意識が必要になる。

 

現代社会における消費とは、最終的に自己実現的消費に行き着かざるを得なく、ファッション的側面で競争せざるを得ない。ファクトベースのコンサルティングアプローチをするマッキンゼーでさえ、クリエイティブ会社を買収した。アップルの強みはイノベーションではなく、ブランドに付随するストーリーと世界観にある。デザインとテクノロジーはコピーできるが、ストーリーと世界観はコピーが難しい。優れたイノベーションであればあるほどコピーの対象となるが、言語化できるものは全てコピーされてしまう。デザインとテクノロジーだけでは一時的に勝つことができても、勝ち続けることは難しい。

 

 

会社という狭い常識が、社会という広い世間の常識と異なることに気づけない。自分が所属している狭い世間の掟を見抜けるだけの異文化体験を持つことで突破できる。美意識を持つということは、目の前にまかり通っているルールや評価基準を、相対比較できる知性を持つこととも言える。変化の厳しい時代においても成果を出し続けるリーダーは、セルフウェアネス=自己認識能力が長けており、マインドフルネスでその能力を高めることができることが脳科学的にも実証されている。悪とはシステムを無批判に受け入れることで、システムの要求に適合しながら、一方でシステムを批判的に見ることが重要。批判的に疑いの目を向けるという意味で、哲学とロックの思想は近い。

 

 

私は、自分の考えやアイデアに自信を持つことが得意ではない。アカウンタビリティを持つサイエンスによる結論を相手に提示することが多い。そのほうが相手も自分も判断がしやすい。けれど、今後ますます自己承認社会が加速していったとき、それだけで説明していくのには限界がある。美意識を鍛えると言うと難しいことに感じるので、まずは何事においても、美しいか否かということの判断を持つことから始めようと思う。

 

 

『小売再生』リアル店舗はメディアになり、今売っている商品が無料になることを想像する。

 今回はもともと本屋で見て気になっていたなか、「Voicy」の”風呂敷畳み人ラジオ”でNews Picksの最所あさみさんが紹介していたことが決め手になって、本書を読みました。Twitter見ていても、同じ動機の方、結構いました。

 

小売再生 ―リアル店舗はメディアになる

小売再生 ―リアル店舗はメディアになる

 

 

何年後とか具体的なものはありませんが、自分は将来的に店舗を構えるということに強い興味があります。ですが、単純に現状世の中に溢れる業態、例えば飲食店を普通にやるということには疑問があります。体のつくりが強いわけではない自分が、店頭で汗水垂らしてやれる自信がないということと、飲食の提供だけでビジネスとして成り立つのか疑問があります。なので、どうしたら新しいかたちの店舗がデザインできるのか、それについて常に頭のどこかではヒントを探しています。そんな自分にとっては、すごく刺激的な本でした。

 

今の経済は、ありふれたものばかりのコモディティ化と、経験経済への移行が複雑に絡み合っている。マーケティングの肝は経験にある。体験や商品を、消費者個人の趣味嗜好に合わせるほど、消費者を惹きつけ、強く印象に残すことができる。今も未来も、現実こそが、最高に充実した体験を生み出す源泉である。しかし、テクノロジーが進化したのに、小売という概念や在り方は、ほとんど変化していない。小売は崩壊に向いつつも、驚くべき産業が生まれようとしている。

 

店舗の脅威は間違いなくAmazonAmazonが強くなったのは、業界の競合他社が目の前の脅威を意地でも認めようとしなかったから。発明は、長い間周囲に理解してもらわなくても構わないという覚悟があれば、実現に近づく。Amazonの収益源は本業ではなく、クラウドサービスであるAWSが大きなウェイトを占める。売上自体は全体の9%であるものの、利益は全体の56%という驚異的なビジネスモデル。Amazonはとにかく便利な地上最上級のショッピング体験を目指すだけでなく、最上級のサードパーティロジティクスを目指し、また、他の小売が考えることができていない宇宙ビジネスにもいち早く着手している。明らかに競合とは見えている世界が違う。

 

昔はマスメディアは頼りになる存在で、消費者が購入に至る流れもシンプルで予測可能だった。アメリカ人は、未だに1日3・4時間テレビを見るものの、CMが流れる間に暇つぶしにスマホがある。広告費がSNSのデジタル広告へシフトしているが、どこまで届いているのか不透明感は否めなく、確かな効果が得られているという実感は薄い。広告主は罠に磨きをかけるが、消費者は罠を嫌う。広告という考え方自体、人々が目にしたくないもので、世の中を汚す行為。広告のあり方を再定義する必要がある。

 

手軽さや、利便性が売りのオンラインに対して、手間や過酷さがつきまとうオフラインショッピング。メディアと店がそれぞれ担っていた役割が入れ替わるという歴史的な転換期であり、メディアが実質的に店になろうとしている。メディアは最初の情報伝達を行い、店は最後の商品供給の場であったが、あらゆるネット系の広告から直接購入できる今、店こそがメディアになりつつある。

 

IoTの発展によって、今後、無能な無生物だった物体や場所が、通信可能な賢い存在となって、私たちの生活を支える可能性がある。ネットワーク接続された端末が集まって、AIの階層を生み出し、外部頭脳の役割を果たすようになる。今の人類は、人間の自然言語と機械の高度な知性が組み合わさる未知の領域の最先端に立っている。チャットボットやデジタルアシスタントの出現を受け、Eコマースから対話型のCコマースの時代に入る。消費者はより考えることなく、自分の欲しいものを簡単に買うことができる。没入感や臨場感の精度が高まるVRによって、より自宅で買い物することが簡単になる未来もすぐそこに見えている。

 

だが逆に、VRなどの技術が暮らしに入り込むにつれて、現実の店で買い物を楽しむことの価値は高まる。デジタルは世界を広げてくれるわけではなく、私たちが楽しいものを勧めてくれる結果、個人の世界は収縮に向かい、考えずに最短距離で目的に到達することで、セレンディピティが無くなる。ショッピングの本当の楽しみは、妥当性と偶発性の絶妙なバランスにある。人混みを嫌うのに、無意識に人混みを探すのが人間。素晴らしいショッピング体験を神経学的に見ると、コカインを吸引した時とほぼ同じ反応するという。脳内でドーパミンが最も放出されるのは、褒美そのものでなく、褒美への期待時。さらに、確実にもらえると保証されるよりも、骨折り損になるリスクがある場合のほうが、より放出される。一貫性と信頼性を大事にする一方で、自力で何かを発見する偶発性と、買いそびれの不安感も盛り込むことが小売に必要な戦略と言える。

 

アップルには実店舗があり、Amazonには実店舗はなく、故にAmazonはアップル並みにデジタル機器を浸透させることができていない。ミレニアル世代は、物資的な所有を避け、ハイブランドに興味を持たないデジタルネイティブで、モノよりもコトに消費する世代。しかし、若い世代ほど、実店舗に最も大きな愛着を感じている。それは、音楽がタダで手に入る時代に、フェスに人が集まるということが物語っている。インターネットから飛び出して、現実世界に逃避したいニーズが強い。ミレニアル世代は、リアル店舗を嫌っているのではなく、コモディティ化されたリアル店舗には、ろくな事がないと感じている。そもそも、どの世代においても、商品を購入する前に、手に取りたいという根本的なニーズがある。ナイキでは3Dプリンターを活用して、ネットでの注文のオーダーメードから、来店でのプリントに変わるだろう。3Dプリンターは間違いなく新しい産業革命であり、とりわけオンデマンド生産により、経済モデルとして大きなイノベーションの可能性を秘めている。

 

リアルとデジタルの絶妙なバランスを取るには、よく考え抜いた巧みな体験型デザインを導入することが第一歩。どの条件が整えば、物理的に関わり、没入してもらえるか探る。五感を刺激して、店を出た後も長らく印象に残るような体験をデザインする。小売は、同じ指標を追いかけるから、ショッピングモールに同じような店が並ぶ。これからの時代は、実店舗の目的はもはや商品を売ることではない可能性がある。体験をどうデザインし、どう実行し、どう評価すれば良いのかを考える。

 

ディズニーのテーマパークのデザインを作る上で欠かせないのがストーリー。ストーリーをショッピング体験の中核に据えた場を創り出すことが必要と言える。未来の小売スペースは、単に何かを取りに行くのではなく、ワークショップやデザインスタジオのように、何かを作るために行く場になる。リアル店舗こそが、最も強力で直接的な影響力を持つ極めて重要な存在になる。リアル店舗には、購買行動にあって当たり前になったレビューなど、ユーザーの手によるコンテンツのかけらもない。つまり、消費者脳はポスト・デジタルになっているのに、小売が付いていけてない。朝から晩までスマホを使う人たちを、その時だけ使わなくするのは無理筋。

 

今後、リアル店舗は消費者の購入プロセスの終着点ではなく、出発点になる。これまでの小売は、拡大を続ける都市部の市場をカバーしたいメーカーにとって必要な箱物だったが、消費者が販売員よりもGoogleを信用している今の時代、体験型の優れた劇場が必要。ポスト・デジタルの時代は、インターネットで欲しいものに一瞬で辿り着くことができるため、希少性は意味を持たない。何を売るかではなく、いかに売るかがこの上なく重要になる。独自性があり、鮮烈に記憶に残るような体験を生み出す。この新しい時代には、競争相手は従来の競合他社ではない。今のライバルに目を光らせるほど、創造的破壊者の襲来に気づかない死角が増える。誰かに息の根を止められる前に、自ら古い自分を捨て去れるかどうか。今売っている商品が無料になることを想像する。

 

テクノロジーに体験そのものはなく、あくまで体験が繰り広げられる土台にすぎない。デジタルありきでスタートするのではなく、もっと充実した体験はどうあるべきかを探ることから着手すべき。独自のブランドストーリーを効果的に目の前で訴求することこそが顧客体験。帝国の多くは、組織のエネルギーの大部分を帝国を維持するためだけに消費されていて、本来なら顧客に振り分けられるはずのエネルギーを枯渇させている。成功している小売は、体験のデザインから設計、作り込み、最終的な仕上げに至るまであらゆる面で徹底し、従業員に対して、ブランドの持つ意味や演出したい体験内容に関して厳しくする一方、顧客をどのように満足させるかは任せている。代表的な企業で言えば、リッツカールトンは舞台美術の発想で設計されている。体験とは、小さな瞬間の積み上げで、優れたサービスとは、突き詰めれば人であり、施設であり、五感である。

 

小売は死んだのではなく、概念が変貌している。

それに気づけるのかどうか。

今ある常識は、将来、必ず誰かの手で徹底的につくり直される。

そのときにどう準備するのか。

 

「九州バカ」村岡浩司さんに学ぶ、世界とつながる地元創生起業論

いま自分のなかで興味があるのが、マーケティング、コミュニティ、地方創生。

 

見事にこの三つの要素が入っている本に出会った。

九州バカ 世界とつながる地元創生起業論

九州バカ 世界とつながる地元創生起業論

 

 

以前から九州エリアの地方創生には興味を惹かれるニュースをよく眼にしていて、本書を見つけたとき、そのような背景を深く知ることができるんじゃないかという期待が高まりました。

 

商店街の発展と市民の購買意欲が重なっていた大量消費の時代が終わり、何をもって活性化と呼ぶのか難しくなってきたけど、他人のせいにして解決できる問題などなく、黙って見過ごすことはできない。ふるさとの定義を広め、地元の魅力を発信するための「ローカルブランド」から、「リージョナルブランド」という思考にシフトしたことが「九州パンケーキ」の開発のスタート。ローカルでも、世界とダイレクトに繋がる可能性を証明したいという意思も強い。

 

地方創生の主語は、東京になっていて、東京から見た地方みたいな図式にも違和感を覚えていたそう。産業を生み出し、県外から外貨を稼ぎ、その利益を地元の活性化のために還元するエコシステムを構築する。地域に必要なのは、雇用ではなく、社会問題の新たな解決方法を提示して実行する人をソーシャル・アントレプレナーの創出。どうしたら地元をもっと楽しくできるだろうと考え、自分の住んでいる土地を徹底的に学び、特徴、強み、魅力、課題を知ることから始める。常に地元志向で考え、地域全体へと意識を拡げて行動しながら、グローバルで勝てる強みを見つけ、一点突破でレバレッジを効かせてビジネスを拡大する。

 

ブランドは発信する側ではなく、受け取る側で醸成されるもの。決して、発信側の理屈でバズることはない。キャラクターをはっきりさせ、差別化を図り、戦略的に発信し続ける。世界の中での地元を意識して、本質的な価値を背骨にした持続可能なブランディングを進める。そこに住む人たちが、当たり前と感じている豊かさを可視化することが地域ブランディングのおもしろさ。豊かさの基準はお金だけじゃない。ブランドは最初から存在するわけではなく、長年をかけて醸成され、理由がある。サービスや売り方の前に、どんなメッセージを伝えたいのか、どんな価値を届けたいのか。HowよりもWillが重要。

 

知らない業界に飛び込むとき、素人であることをネガティブに捉えるのではなく、アドバンテージと考える。業界人はこれまでの流れからの常識をベースに思考するけど、素人にはそのような常識がなく、フラットにものを考えることができる。リスクや責任を、誰かに押し付けるのではなく、すべて自分で引き受けた人だけが、夢を叶えられる。まちづくりをしていると、慣習を重んじる人種を中心に、いろんな人が反対意見を言ってくるもの。

 

食文化は名称の変換を伴いながら社会に浸透し定着することがある。例えば、喫茶店からカフェ、コーヒー牛乳からカフェラテ、ホットケーキからパンケーキ。既存の流通形態から離れたところに新しいマーケットを発見できないと失敗する。少しでも安いものをという価格圧力に長年苦しみ、勇気を持って消費者に正しい価格を問いかけることを避けてきた。

 

豊かさを商業活性化に求める時代は終わり、先人たちから受け継いだ町並みの保存や再生、住民の暮らしや働き方、そして希薄になりつつある地域コミュニティを今一度繋ぎ直す核となる存在の再設定が必要。カフェという存在は経済合理性だけでは価値を測れなく、インフラ・インストラクチャーとしての役割を担う存在であり、コミュニティの最小単位になり得る。

 

 

まちづくりは、巨大な投資の果てにあるモノの完成がもたらす成果物から、生活者が主体となって地域のあり方を考え、関わっていくコトの中で、長い年月をかけて培われていくものへと変わった。これから猛烈な自己責任社会が到来し、更なる都心集中と、個性豊かな地方都市への大移動が進む。そのなかで価値が見えないことは、存在しないことと同義。世代、性別、立場、社会的地位やヒエラルキー、その他、ありとあらゆる背景を突破して、一歩先ではなく、トレンドと革新がほどよくバランスされた半歩先を意識することで、強いブランドが醸成される。過去の興奮は、数年経てばコモディティ化するもの。ベーシックな品質を保ちながら、絶えず次の時代、カルチャーを持ち込み、革新を繰り返すことで、ブランドは強くなり、存在し続けることができる。

 

九州バカ 世界とつながる地元創生起業論

九州バカ 世界とつながる地元創生起業論