勝川STAND

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本間充さんに学ぶ、脱・規模優位時代に必要な「シングル&シンプル マーケティング」

今年の4月に、宣伝会議主催の「アドタイデイズ」で本間充さんが登壇されているセミナーに出席しました。そのときのパフォーマンスが圧倒的で、マーケティングという文脈を学ぶには、このひとをフォローしていくべきであると強く印象付けられました。

 

そんな中、先日こちらの本が発売となりました。

 

「シングル&シンプルマーケティング」というのは、本間充さんが提唱されている現代に必要なマーケティング手法のこと。サブタイトルには「個客に深く長く寄り添い、利益を伸ばす」とあります。高度成長期が終わり、国内市場がスケールしていかないことが決定している現代においては、圧倒的にLTVが大事が、それをまず頭に入れてマーケティング活動をしていく必要があって、その重要性を説いている本になります。

 

なんでも多い方がいいとするのは、マーケティングではなく、思考停止とも言えるような判断基準。一昔前で言えば、ホームページの訪問者数が増えるのはただインターネットの利用者が増えていただけで、当然のこと。でも今後は人口増による利用者の増加はなく、お客様の数は根本的に増えないと認識しておく必要がある。そうすれば、自然と戦略がこれまでとは異なってくるはず。

 

日本市場は人口減だけでなく、世帯年収というマーケットにとって大切な数値も下降している。世帯年収の中央値は下降し、もはや国民総中流ではなくなり、昨今のマーケターは自分とは異なる属性の生活者をマーケティングのターゲットにしなくてはならないことが多い。多様性が広がり、日本のマーケティングの世界には、見本的な、代表的な日本人像がなくなっている。また、今後は、国内市場においてもグローバルマーケットが作られていく。市場の中心はあくまで日本人だが、インバウンドを始め、国内在住の外国人も年々増加しており、近い将来、移民ということも現実となる可能性もある。

 

今までは国民総中流=ほぼみんな同じ暮らし、年齢毎のライフステージが同じだった。日本は高度成長期を終え、モノが足りない時代から、自分に相応しいモノを探す時代になった。そして、一人ひとりに向き合って欲しいというお客様の意識が過去より高くなってきている。生活者の価値観が画一的ではなくなり、マスマーケティングが機能しにくい時代に突入した。一番売れているものよりも、一番相応しいもの。マスマーケティングでは、多くのお客様が集まるグループに目を向けるばかりに、今支持してくれているお客様を時に見捨ててきた。そして、それがブランドの統一性を壊し、ブランド価値の弱体化を招いてきた。規模が優先されて、規模が市場で勝つためのファクターとなる時代が終焉と迎えた。

 

デジタルメディアに投資を集中させるのは行き過ぎで、お客様が利用しているメディアを状況に合わせて活用し、すべてのメディア、タッチポイントを含む総合的なデジタルを活用したマーケティングが必要。今求められているのはデジタルマーケティングではなく、マーケティングのデジタル化。印刷物でも、コミュニケーションしたい相手に個人ごとに丁寧なコミュニケーションできる時代になった。

 

これからは誰をターゲットにするかが問題。勘や経験ではなく、マーケティングを科学的に行う必要がある。マーケティングは、アートとサイエンスが融合したビジネス。これまでのマーケティングは4Pのうちのプロモーションに集中してきた。ターゲットを理解して、そのターゲットにとって価値のある商品は何か考える。マスマーケティングでは生活者毎に価値観に大きな違いがない前提で進んでいたが、人口減少社会においては、市場占有率を高めた、自分たちが優位にマーケティングを行うモデルは崩れた。一定規模の顧客数、契約者数に対して長い時間軸を取ることで、これまでとは違う方向で規模を拡大するLTVというマーケティング市場占有率の持つ意味が低下し継続時間が重要な時代になり、これからは時間軸方向に拡大するマーケティングが求められる。これからはモノから提供されるサービス的な価値も個人毎に大きく変わる可能性があり、パーソナル化されるものが増え、求められる。

 

マーケターはお客様から見て、その領域のコンシェルジュになる必要がある。ブランドストーリーに絶対はなく、自分の考えに近いか、自分が応援したくなることが重要。いかに自分向けか、いかに自分に相応しいか、いかに自分にとって良いサービスを提供してくれるのか。マーケティングはゲームではなく、お客様に寄り添うものであると思考を変える。

 

成熟した市場でも、購入というのは生活者にとって大きなイベントで、エモーショナルな体験である。モノの販売、サービスの契約だけでなく、モノを含むトータルのサービスを提供するマーケティング。多様な生活者がいて、その全ての生活者を理解することは難しい。わからないことは素直に聞くというアプローチは能力不足ではなく、必要なアプローチ。百人ビールラボやIdea park のようなオープンな場所を作ることは、既存のお客様を大切にしていることになる。

 

「シングル&シンプル マーケティング」は、マーケティングのターゲットを明確にして、そのターゲットに長い間寄り添うマーケティング。DMPやMAによって、これまでグループとして捉えていたお客様を個人つまりシングルとして捉え、個人ベースでマーケティングを行うことが可能になった。今までのセグメンテーション、ターゲティング型のマーケティングに、LTVの考え方を組み合わせ、考え方を拡張したマーケティング

 

USPはすべての人にとっておなじものではない。情報の流れは双方向になり、非対称性も薄れてきた。お客様が、次のお客様へのエバンジェリストになることを理解し、顧客視点でお客様と一緒に商品、サービス開発をすることで、信頼関係と、相互理解から、よりお客様に相応しい商品や、サービスを提供することが可能となり、サービスを継続する期間が長くすることができる。

 

今後、マーケターは心理学や人間行動学のような学問も必要になる。お客様はポイント還元よりも、最適なアドバイスや、最適な商品の提供を求めている。マーケターがチャネルを決めるのではなく、お客様の望んでいるチャネルを、お客様の望んでいる理由で展開することが重要。いつ、どのタイミングで、どこで伝えるのか。お客様とともに成長し、お客様がお客様を呼ぶ状態にする。マーケティングは時代によって変わるが、人に対する業というのは変わりないため、相手が求めていることを行うことは、いつの時代も普遍。お客様の行いたいこと、解決したいことを聞き出す能力、そして対話が求められる。マーケターとお客様がより人と人の関係になるため、今後はコールセンターなどの組織が重要な存在になる。

 

今後のマーケティングは「4P」ではなく「1D2P1V」がキーワード。

Dialogue(対話)

Person(ひと)

Product(商品)

Value(価値)

 

 

これまでLTVという言葉は自分なりに理解してきたつもりでしたが、本書を通じて、その必要性をロジカルに改めて深く理解することができました。とくに、新規獲得を目指すがあまり、既存ユーザーをないがしろにするキャンペーンを目にすることも多いし、実際に自分で企画することもあった。新規を獲得することをやめることはできないけれど、今いてくれている個客にもっと目を向け、個客に深く寄り添うことで利益を伸ばすという思考をより意識していこう。

 

正田圭さんに学ぶ「この時代に投資家になるということ」

最近は、本屋で偶然の出会いをして買うよりも、自分が有益な情報を得ることができていると感じるメディアで紹介される本を買うことが多い。たぶん今必要なことなんだろうと腹落ちして、買うまでの判断がスムーズになる。

 

最近、Voicyにハマっています。

voicy.jp

ボイスメディアと言っていますが、インターネットで聞くラジオみたいなもので、ポッドキャストをイメージしてもらえればいいかと思います。ボイスメディアは、ながらで聴くことができるので、通勤途中や、営業車のなかで聴いてます。ちなみにYouTubeとかの動画も日頃から、移動中に聴いてます。

 

Voicyにこんな番組があります。

voicy.jp

 

幻冬舎の設楽さんと、NewsPicksの野村さんによる毎回学びの多い番組。ゲストを迎える回がたびたびあり、正田圭が登場される回で本書を知りました。

この時代に投資家になるということ (星海社新書)

この時代に投資家になるということ (星海社新書)

 

 

自分は、投資のなかでもあまり考える必要のないiDeCoのインデックスしかやっていないぐらい投資に関してのリテラシーは低いタイプなので、この本のタイトルだけで言えば、投資のハウツー本のような印象があり、確実に興味を持たない本になってしまいます。

 

でも、実際はそういう本ではなくて、高度成長期が終わり、いろいろなものの価値が変わっているなかで、どうやって生きていくべきかというマインドセットに関しての本ということを先ほどの風呂敷畳み人ラジオで理解したので、投資にあまり興味のない自分でも興味が湧きました。

 

 

お金に支配される生き方より、お金に支配されない生き方をしていくべきで、そうしたいなら今までの価値観や生き方を変えなければならい。金持ちの定義は、単純にお金を持っているということではなくて、他者からの圧力なく、自分の力で人生を獲得できるひと。めちゃめちゃ時間を割いてたり、めちゃめちゃストレスを感じることで得られた大きなお金であるならば、それは本当の金持ちではないし、人生が豊かとは言えない。

 

今の時代をフラットな目線で見ることができるミレ二アル世代は、従来の金融商品はマージンを乗せられまくったロクでもないものであることを理解していて、金銭的リターンではなく、社会的インパクトを与える投資に関心がある。割高な株ではなく、自分の興味関心や共感を喚起するものを投資対象として「アセット投資」ではなく「オルタナ投資」にベットする。

 

投資をすることで、世の中の経済活動を理解することができる。どんな世の中になるか、どこにニーズがあるのか考えると、この時代に生きている意義を認識できる。物を買うということは、言わばコミュニティに参加するための行為であり、今は投資の時代であり、コミュニティの時代である。コミュニティに関しては、正田さんに関わらず、僕がベンチマークしてるひと全員がその重要性を説いてる。

 

投資の対立概念は労働であって、労働の価値は年々下がり続けている。労働は麻薬のようなもの。会社に雇われ、時間で拘束され、労働の対価をもらうことはある意味ラクな行為。投資は複利効果やレバレッジがかけることができるもので、それはピケティが証明している。

 

労働は報酬をもらうためのものであったが、逆にお金を払って労働する現象が起きている。ホリエモンのオンラインサロンなど、月会費を支払いながら、そこで集まったひとたちでプロジェクトを動かす。そのコミュニティに属し、本人と知り合いになり、会員同士のネットワークやそこで得た知見やノウハウが自分のレベルを上げ、将来のマネタイズにつながる。戦略的にコミュニティにお金を払い、自分の価値を高めていくという投資と言える行動。

 

 

投資は視点が8割。インターネットが日常生活に入ってきたからこそ、短期間で大金を手に入れられる投資機会が増え、労働の価値が薄れた。今の環境で最大限成果を上げ、今いるコミュニティで付加価値を作る。それが出来なければ、自分のコミュニティは形成することなどできない。雇用されて労働するという選択肢を当たり前のように選ぶ必要はない。

 

インターネットユーザーが増えたことで、人が情報のキュレーションをする役割を果たし出すと、検索エンジンよりも自分の好みの合う人が発信する情報に価値を置き始め、SNSが一気に広まった。インターネットのおかげで、小さな情報の金銭的価値が認められるようになったため、その情報を求めるフォロワーが集い、彼らの形成するコミュニティも多様化し、それぞれが金銭的価値を持ち始めたのがインフルエンサー

 

最近好きなことを仕事にするということがよく言われるけれど、それは好きなことで金儲けができる世の中になったというよりも、人々の価値観が変わり、お金儲けできる場所が変化したということ。SNSはコミュニケーションサービスであると同時に、投資プラットフォームである。コミュニティの本質的な価値を見極め、価値の決定していない時期に正当に評価し、そのコミュニティに根付いていく投資行動が必要。仮想通貨も、SNSの延長線上に存在していて、コミュニティという文脈にある。

 

世の中には、本来の価値と世間の思う価値の間に大きな乖離が発生するタイミングがある。世の中の値段の付け方は、意外と間違ってる可能性が高いという認識を持つのが投資家のスタートライン。ごく少数の人しか知らない視点が持てるかどうかが大事で、そこに儲けのタネは眠っている。投資とは、何も不動産や上場企業の株式に限らない。金融商品ではないけれど、自分にとっては金融商品になり得るものを探すか、自分に投資するの2つだけ。自分のリソースを総動員して将来のリターンを目指すのも投資で、自己投資もポートフォリオを組むセンスが欠かせない。

固定観念が人生のストッパーになり、選択肢が多様化することで迷いが生まれる。人間の幸せは、どれだけ周りを幸せにしたか。今後、労働はお金を稼ぐためのものではなく、コンテンツ化し、娯楽として楽しむものに変貌していく。キッザニアでは、苦しそうな顔をしている子どもはいない。労働で社会の役に立ち、自分の成長が実感でき、それにふさわしいリターンを得る。努力という投資によってお金を儲けるのもひとつ。投資家目線で社会を見つめ、自分にとっての「オルタナ資産」を発見し、そこにベットしいこう。

 

この時代に投資家になるということ (星海社新書)

この時代に投資家になるということ (星海社新書)

 

 

朝倉祐介さんに学ぶ、未来を生き抜く武器となる『ファイナンス思考』

私は、いまの組織のなかで、自分のやれることをやり、自分の得意なことや、強みになると思えることを探し、それを伸ばす努力をしてきました。極力、やらされ仕事みたいなものは回避できるような環境作りをし、自分の意思で仕事をするということ意識してきました。そうすると、自分の居場所みたいなものができて、自分の進むべき道というのが何となく見えてきました。

 

でも、それができないという人種は山のようにいる。それは、いろんなことに対して疑問や問題だと思うことをあまりやってこず、ただ言われたことを遂行するということで対価を得るということが体に染み付いてしまっているから。

 

これはもうどうしようもない。心配して声をかけても、相手の常識を変えるということは難しく、言ったところでなかなか変化はない。最近は、それぞれの人生だから、放っておけばいいと思うようにしてる。

 

でも、マネージャーはそうはいかない、はず。そのような人間も束ねて、戦略を立て、実行し、計画を達成するというチームを作らなければならない。けれど、自分のいる組織では、そのような当たり前のことが起きない。

 

バブル世代の無能なマネージャーたち。

 

自分たちのいる業界がシュリンクしているのに、新たな市場を開拓したり、新たな戦略を立てるわけでもなく、ただただ前年比100+α%という計画を立てる。もちろん根拠のない計画だから、達成できるはずもない。

 

なぜ人口も減り、今までの市場が小さくなっていて、新たな市場を獲得していないのに前年を超える売上が達成できるのか。これは個に頼っていると言わざるを得ない。できるやつに、やらせておこう的な。

 

とにかく、ろくに自分の脳みそのアップデートもしないで、いまだに高度成長期の成功体験に固執する老人たちに、私たちの未来を委ねられないという気持ちは日々高まる。

 

著者である朝倉祐介さんは、何かの記事で、これで理論武装して戦ってもらえればという言葉を残されていた。

 

 

以前よりいろんなメディアで朝倉さんの言動には強い興味を持っており、Voicyも日頃から聞いていて、本書の言葉はスムーズに頭に入っていきました。

voicy.jp

 

日本経済停滞の原因は少子高齢化という社会構造が大きな変化を及ぼしているが、ビジネス当事者のファイナンス思考が欠如していることが問題。売上・利益が経営の目的というPL脳という病が蔓延している。ファイナンスは、お金を外部から調達し、投資や還元する活動のことで、「ファイナンス思考」は、将来に稼ぐと期待できるお金の総額を最大化しようとする発想であり、価値、長期、未来的な志向。答えのない時代を生き抜く武器となり、会社の戦略の組み立て方に必要となる。

 

日本は「失われた10年」から、20年、30年とまで言われるようになり、それは「国民総PL脳」が起因してる。終身雇用、年功序列、企業労働組合の三点が日本経営の特徴で、人口増、市場が拡大しているなかでは奏功していたが、いまの時代には合っているとは言えない。

 

良い会社の条件は誰の視点から見るかで変わるもの。GAFAは、ファイナンス思考に裏打ちされた活動がある。Amazonは多額の赤字を計上しながら、ビジネスを拡大してきた。主力だけでなく、複数事業による継続的な成長性が必要となる。会社の意思決定のなかには、目の前のPLを最大化することを目的とした近視眼的な内容が紛れている。

 

どんな業務であれ、ファイナンスで言う資金の創出に該当する。金を稼ごうと思ったら、金を使わなければならないものであり、資金をうまく活用し、より大きな富に繋げる資金の最適配分が経営者の腕の見せ所。PL脳は、高度成長期に最適化した思考形態。高度成長期に進捗度合を評価する基準として機能したのが昨対比。変化が乏しく、直線的に市場が成長する状況であれは有効。縮小する市場で事業を展開しながら、新たな市場を開拓する必要に迫られた局面では、非連続にジャンプする仕掛けが必要となる。マーケットの構造変化を把握したうえで、生産設備の構築や処分、投資回収を考えるべき。

 

PL脳で成長できる時代が終わったのは、ダイエーの破綻がそれを証明している。日本経営はネズミ講状態とも言える。新入社員は低い賃金に耐えて滅私奉公し、後になって給料を取り戻す。

 

終わりにこんなことが書かれていた。

 

成否を左右するものは「理」「心」「運」に因数分解することができ、その割合は1:4:5程度で影響を及ぼしているのではないか。

 

「理」とは頭で考える部分。「心」とは「理」から導きだされたものを実行しきる胆力。「運」とは十分条件であり、必要条件である理と心を準備できていないところには降りて来ないもの。ファイナンス思考はここで言う「理」に該当する。

 

目先の売上を確保することだけに固執するのではなく、未来を創るためには確実に投資が必要で、ファイナンス思考という志を、今の時点からインストールしておくことは、来るべき未来が来たときに、非常に意味があると思う。

  

『朝宮あかりナイト』について思うこと

2018年8月18日に、愛知県春日井市のケローナ通り・朝宮公園で「朝宮あかりナイト」が開催されました。「朝宮あかりナイト」は今年が初めてのイベントで、事前情報が少ないため、どのようなイベントか思いを馳せながら、楽しみにしていました。

 

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結論から言うと、老若男女問わず、素晴らしいと感じるイベントだったと思う。

 

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「キャンドルとイルミで ちょっと特別な夜を。」というキャッチコピーの通り、すごく気持ちのいい時間が過ごせて「あれ、ここ春日井でいいんだっけ?」という感覚さえ漂い、これまでも数多くのイベントが春日井で開催されてきているかと思いますが、それとは確実に一線を画すイベントであったと思います。

 

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このイベントは、いま世の中で起きているムーブメントの延長線上にあると感じるコトがいくつかありました。

 

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モノが溢れてしまっている現代は、物欲さえも薄れ、モノよりもコトに心が動かされ、誰もが体験を欲しがっている。なんとか映えなんていう言葉がそれを物語っている。写真を撮ってシェアすること自体でお金は生まない。それなのに、あんなに必死になって、いいね!を稼ぎにいったり、共感を得たいという欲望は、お金やモノ自体の価値が下がっていて、みんなで喜びをシェアしながら、自己承認欲求も満たされるということが原動力となっている。本イベントでも、スマホをかざしながら楽しむひとは、そこら中にいた。

 

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モノが溢れた結果、同じモノを持つ人たちが溢れ、いつしか「それ自分で所有する意味あるんだっけ?」とか「これまだ自分が持ってる必要あるの?」ということを感じる人が増え、シェアリングエコノミーが台頭し、いろんなジャンルで共有するという選択肢が増えてきている。まだ、日本ではUberが本格上陸していなかったり、Airbnbが浸透していなかったりで、ひとによっては実感が薄いかもしれませんが、確実に生活に侵食してきていて、車、駐車場、スキルなど個人間取引も増えてきている。メルカリが生活に一番近いところ。

 

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自分が使わなくなっても、他に使うひとがいるということを多くのひとが理解し始め、それで経済が動いている。個人にも、法人にも、自治体にだって、遊休資産があり余っていて、それをシェアするという動きが強まっているのは、誰も否定しようがない。今回のイベントは、人の集まらない時間帯の公園という遊休資産を使った。どうせ使わないのであれば、使いたいと思うひとたちに開放するのがいいに決まってる。

 

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経済を活性化させる、地域を活性化させるためには、何か新しい施設を作るとかだけじゃなく、遊休資産を使ってできることはたくさんある。

 

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そのためには、恐らく自治体側で、遊休資産を開放できるよう規制を緩和することが求められる。それをするだけで、あとは勝手に市民が動く。規制緩和には大きな労力がかかるとは思うけれど、お金はそんなにかからないんじゃないかと思う。今回のケースの初動は誰か分からないけど、たぶん、勝手に市民が動いたんだと勝手に解釈してます。

 

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市民の中には、いろんな人がいて、自分たちが住む街を思う気持ちにも、随分と格差があると日常的にも感じる。さんざっぱら公共施設を使い倒しておきながら、自分の目先の利益だけを考えて、ふるさと納税を利用する人もいれば、誰かに頼まれたわけでもなく、このようなイベントを主催する人もいる。どちらも同じ市民。

 

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自治体としては、後者を応援するほうが間違いなくポジティブだし、それをすることで、前者を振り向かせることにも繋がるはず。実際、今回のイベントはお金のシェアリングとも言えるクラウドファンディングで資金調達をしている。勝手に動き出した市民に共鳴した市民によって、このイベントの資金が集まった。自治体が規制を緩和するだけで、このようなスパイラルが生まれるということを実感する。

 

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遊休資産の活用については、時代背景を理解しているひとたちによって、全国各地で既にたくさんの事例がある。この価値観が分からない自治体は、法人で言えば、成長戦略を全く無視した企業と同義。

 

横浜日の出町の高架下という遊休資産を活用したホステル。

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五反田でも高架下を利用した飲食を中心とした開発が進んでいる。

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思考停止して、駐車場にするぐらいだったら、ひとの集まるところにしたほうがいいという発想のcommune 2nd。

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いずれも、遊休資産を使って、コミュニティを醸成するということが目的。僕が住む春日井も、こんなワクワクする街であると嬉しく思います。

 

 

『朝宮あかりナイト』の主催者のみなさま方、素敵な夜をありがとうございました。

 

来年も楽しみです。

 

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2018.08.18 Sat

ASAMIYA AKARI NIGHT

text & photoglaph by kachigawa-stand

成毛眞さんに学ぶ『AI時代の子育て戦略』

僕には幼い子どもが二人います。

 

いろんなことの不確実性が増していくなか、この子たちは自分が過ごしてきた時代とは全く異なる世界で生きていくんだろうということは確定しているなと日々感じます。テクノロジーが進化し、様々な面倒がなくなり、生活が豊かになる一方、競争相手が人間だけじゃなくなり、ナチュラルボーンな人間も減り、何をもって人間というのかの線引きも分からなくなる未来がやって来るんだろうと思う。

 

考えても答えが出るわけではないけれど、それを楽しむのか、憂うべきなのか、本当にわからない。ただ、ある程度は想像しながら生きておいて損はないと思うので、知見は広げておこうと思ってます。

 

未来がよく分からないと感じるものとして、個人的に最大の脅威だと感じるのは遺伝子改変技術の進化があります。クリスパーキャスナインという技術によって、人間を簡単にプログラミングするように、狙った遺伝子を操作することができる。これにより、今まで死に至らしめてきた病気の発症を未然に防ぐことができ、世界の不幸は減るが、個性さえも、操作できるというのが恐いと感じるところです。顔のパーツや、性格など、人間を人間たらしめてきた不完全な個性がコントロール可能になるという。現時点では、技術は完成しているものの、ルールや道徳が整備されていないため、生活に浸透はしていない。いつ一般化されるのか分からないけど、どんな世界が待っているんだろう。

 

そして、未来をより分からないものにするAIの進化。2045年には人間の知性を超えると言われており、いろんな議論がなされている。PVを稼ぐための、いろんな職が奪われるという記事をよく見るけど、職種の増減なんて、これまでもずっとあった話で、自分の仕事が未来永劫続くと思っているひとは、ちょっと頭が硬いと思う。自分たちが現役を終えるまでに、自分の今の職種があると信じて生きていくのは、難しいと思う。ターミネーターのようなシナリオは最悪のディストピアで、そこまでの世界はないと思うし、思いたい。

 

AIは敵ではなく、味方。僕たちの脳を拡張するようなものとして使えばいい。これまでもそうだったはず。人間は便利なものを使い倒して進化してきた。そんな話をしていると、脳みそが腐ってしまうというようなことを言い出すひとがいる。子どもにスマホを使わせると学力が下がるという言い方をする記事もあった。そりゃ失われるものもあるに決まってると思う。でも、得られるものもあると思うし、結果をどのような時間軸で見るべきなのかもあると思うし、そういう記事にはそういったことはまず触れられない。とはいえ、アナログの良さも感じながら、デジタルを駆使していくバランス感も大事だとは思う。

 

という背景がありながら、成毛眞さんのこちらの本を拝読しました。

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

 

 

個人的には、かなり同意できる部分が多くありました。この本を家に置きたかった理由としては、自分のパートナーにも読んで欲しかったから。僕は、自分が受けてきた育てられ方を同じように子どもにするのは、これからの時代は生きていくのが辛くなると思ってます。

 

たとえば、石の上にも三年的な発想で、何事も続けるコトが美徳であるという思考は非常に危険。子どもが自分でやりたいと言ったことだから途中で投げ出すことは許さないとか、ゲームは危険なものとか、何を教わるよりもネームバリューで大学を選ぶとか、そういう思考を持つ人とは僕は交われない。

 

そもそも大学に進学するということにも疑問があります。僕らが大学に通っていた時代は、大学に行くということが目的で、大学を卒業をしたというだけの社会的パスポートを得るためのひとが多く、自分は本当にそうだった。今になって、当時勉強できたことを改めてお金を払って勉強をしている。このスタイルはもう無理だ。

 

親に言われるのだけれど、親にしてもらったことは、子にしてやらなければならないというのも無理筋だと思っています。どう考えても、時代が違い過ぎる。くどいけど、大学もそう。大学に行って、就職率が高まる時代は終わってる。昔もいたけど、大学なんて行かずに目的達成をする方法は増えていると思う。親としては、大学以外の選択肢を提示してあげることも必要だと思う。その結果、これを学びたいと大学進学することはいいと思うけど、大学進学ありきで事を進めるのは苦しい。

 

ほとんどの人が子育てを何回もできるわけじゃない。なんでもかんでも人の話をただやみくもに聞く必要はないし、自分のスタイルを持つということは良いことだとは思うけど、成功体験を聞かないということは、個人的には理解に苦しむ。聞いたうえで、判断するべき。

 

「みんながそう」「昔からそうだった」「普通、そうだろ」とか言うタイプで、高度成長期に育ち、全員が同じベクトルを持つために洗脳され続けてきた世代は、特に学んでおくべき本であると思います。

 

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

 

 

 

田中元子さん『マイパブリックとグランドレベル』で受動機会に飽きた人たちのまちづくりを学ぶ

なぜか明確にわからないけど、コミュニティという文脈に昔から興味があった。自分自身、まちづくりとか建築とか、そのようなことの見識はまったくなく、ただ漠然と、一人では生きていけないというか、人と一緒にいることが楽しく感じる機会が多くあったからなのか。とにかく、コミュニティには興味がある。

 

そのため、以前からコミュニティ絡みの本を読むことはあったわけですが、今回読んだ本が一番同意できる部分が多く、それゆえ、自分のなかに無かった思考に対して、このひとが言うのだからと腹落ちしながら読み進めることができました。

 

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

 

 

「マイパブリック」と「グランドレベル」。聞いたことあるようで、聞いたことのない言葉。著者である田中元子さんの造語で思考を一言で表したような。まずは本書に出会う前に、田中元子さんのお店に行きました。

 

喫茶ランドリー

https://www.instagram.com/p/BlevhvvhF10/

半地下と小上がりとコンセプトがすごくいい感じだった😍🍺『マイパブリックとグランドレベル』を読み進めよう📕#喫茶ランドリー #喫茶 #ランドリー #コミュニティ #マイパブリックとグランドレベル

 

kissalaundry.com

 

別に自分を褒めるわけじゃないけど、感度の高いひとはご存知かと思います。最近特にメディア露出も多くなってます。でも、たまたま見たテレビ番組では、お店の雰囲気は掴めても、このお店のバックグランドについては一切触れられてなく、その側面は確かにあるのですが、あくまでオシャレなカフェ、みたいな取り上げ方だけに感じました。バエるよ、みたいな。

 

取り上げるモノコトは同じでも、接続するメディアによって得られる情報は全く異なるなと改めて感じた。僕は、この記事をきっかけに興味が深くなり、出張を兼ねてではありますが、名古屋からお店のある両国まで行きました。

 

kurashicom.jp

 

それが普通なのかもしれないけど、ご本人が普通にお店にいらっしゃったので、自分にとってはびっくりで萎縮してしまい、本書を買って、サインください、と言うのがギリギリでした。

 

今後のために、読んだことを忘れないように、自分なりに本書について以下にまとめてみます。

 

「マイパブリック」とは、自分で作る公共。公共は、みんなのものであるがために、個性のない、つまらないものになってしまう。それはもう仕方がないことで、これに文句を言ってるだけでは何も変わらない。自分が理想とするパブリックがあるのであれば、それは誰かに期待するのではなく、自分で作っちゃう。やりたいからやる。

 

誰かをもてなすことにワクワクするタイプなのであれば、なおさらやってしまえばいい。他者が存在することでスイッチがオンになることもあるから、誰かを巻き込んでしまってもいい。

 

コトを始めるにあたっては、収益に固執するのではなく、やりたいことをやるというモチベーションで始める。お金をとらないから得られるものもあるということを理解したほうがいい。お金をとらないことで、堂々と素人でいられる。これによってコミュニケーションは円滑になる。お金の姿を見ないことで得られる解放感は計り知れず、そもそも自分が何かを提供する場合、対価で精算しなければならないことはない。それがコミュケーションでも、モノの交換でも、相手がお金を使わずに提供できるサービスでもいい。お金をもらうということで、体温が少し下がる。

 

個人で、ダイレクトに街にコミットしてしまおう。自分の好きなことを外に出てやれば、趣味と社会との交点を探すことができる。会う、話すなどのダイレクトなコミュニケーションが無くても、そこに誰かいるという可能性のある箱に人々は吸い込まれるもの。高級感や物質的なものではなく、自分が自分のままでそこにいてもいい、そして、その状態を他人と許容しあうという、ゆるくてやさしい居心地が現代社会には求められている。

 

社会貢献は、貧しい人、かわいそうな人に、お金や労働で何らかを施すことではない。能動的に行動することが、自分自身を幸せにする。欲しいものがないは、決して幸せとは言い切れない。現代に生きるひとたちは、決してモノに飽きたのでなく、モノとコトの二項対立でもなく、受動機会に飽きた。人は、受動がうまくなるように飼い慣らされてきて、それがだんだん嫌になってきた。

 

都会にはパブリックが足りてない。それは、誰かのクレームが出ないように配慮されているから。いつか自分が好ましいと思える社会というものに出会うために、そこで得られると想像される幸せの感触を得るために、人は必死になってお金を稼いでいるけど、稼ぐだけでは、向こうからやって来ない。だから、自分で作るしかない。社会のため、まちのため、人のためじゃなく、自分がやりたいこと楽しめることを作る。

 

まず、振る舞うものを用意して第三者との接点を自分からつくる。高額なことや、高尚なことではなく、目の前のグランドレベルを良くしていけばいい。まちに暮らしながら、私たちとまちの間には、いつのまにか結構な距離ができた。インターネットで注文すれば、何でもすぐに送られくる時代でも、生活基盤となるまちのグランドレベルから逃れて生きることはできない。

 

一階は、プライベートとパブリックの交差点という特殊領域であり、まちの一部。開かれたグランドレベルが続く分だけ、まちの活力が続く。グランドレベルの充実度で幸福度が変わるのはデンマークポートランド台北が証明している。デンマークは、禁止主導ではなく、自由主導というルールでまちをつくっている。

 

グランドレベルの視点を持つことは、社会そのものを串刺しにする視点を持つのと同義。少子高齢化や貧困など、さまざまな問題が集積する日本社会の再生は、グランドレベルから変えることが必要で、以下の3つ要素を持つと、多様な人で溢れ、ずっといたくなるような美しい風景をつくる。

①人とグランドレベルが出会う「からまりしろ」

②人とまちが一体化する「かかわりしろ」

③画的な一体感をつくる「つながりしろ」

 

人は、真っ白なキャンバスをもらっても書き方が分からない。でも、綿密に計算されたうっすら下絵や補助線があると一気に活性化する。例えば、ベンチ。ベンチはある地点に人を滞留させる魔法の装置。このような仕組みを考えて、設計していく。

 

喫茶ランドリーは食べ物と飲み物を売ってはいるけど、持ち込みもOKにしている。それは食べ物や飲み物だけでなく、あらゆるものが許容されている。まさに公共施設のような、誰にでもフラットな環境になっている。そこでセミナーも開催されるし、なんとか教室とか、髪を切るひとが登場したり、その幅はものすごく広い。これは、いずれも受動機会に飽きた人々から自発的に行われているもの。このような場所を必要としているひとは、多いと思う。すごく参考になった。ただ、どうやってマネタイズするのか。本書を読むと、田中元子さんの収益源は喫茶ランドリーではなく、別でお金を調達して生活ができていると感じる。喫茶ランドリーは、オフィスとしてがメインで、それを開放しているような感覚。このようなお店を持つことを目指すのであれば、パラレルキャリアというワークスタイルを築く必要もあると改めて強く感じた。

 

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

 

山口周さんに学ぶ、経営における「アート」と「サイエンス」(世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?)

最近になってWEEKLY OCHIAIで山口周さんがゲストの回を見ました。そこで言われていた「正解のコモディティ化」という言葉がすごくハマって、周回遅れでしたがこのたび本書を読みました。

 

昨年のLive Picksでも佐々木紀彦さんがおもしろい本だと紹介されていて、 以前から売れているのはよく知ってましたが、特に自分自身エリートになりたいわけではないし、デザインには興味あるけど、アートと言われるまでのリテラシーもないので、本書のタイトルからは自分事ができずにいましたが、結果的に勘違いでした。

 

どんなことが書いてあるかというと、それは本書の最初にある「忙しい読者のために」を読めばそれで完結します。そこに伝えたい結論が書いてありますので、それを読めば理解できるかと思いますが、自分自身の復習のために、以下に要約させていただきます。

 

近年、MBAの出願数が減少傾向にあるなか、10年ほど前からアートスクールに多くのグローバル企業の幹部が送り込まれている。それはサイエンス重視の意思決定では、今日の不安定な世界のビジネスの舵取りはできなくなり、これまでの論理的・理性的スキルに加え、直感的・感性的スキルの獲得が期待されているから。

 

論理的なものが好まれる結果、差別化される要素が減り、正解のコモディティ化が起き、論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈されつつある。他人と同じ正解を出すことで、差別化が消失している。

 

世界中の消費が、自己実現的消費へと向かっている。承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が重要となり、全ての消費ビジネスがファッション化しつつある。 これまでは、日本企業の経営に関わる人たちの美意識がほとんど問われてこなった結果、計測可能な指標だけをひたすら伸ばしていくゲームのような状態に陥っている。私たちは世界という作品の制作に、集合的に関わるアーティストであるからこそ、この世界をどうしたいかというビジョンを持って生活を送る必要がある。個々人が社会彫刻に、集合的に参画するアーティストであると自覚する。ウォークマンの商品化、iMacの五色展開、いずれもマーケット調査での論理的理性的なアプローチでなく、経営者の直感的感性的な意思決定によるもの。

 

論理的にシロクロつかない問題は、最終的に個人の美意識に頼るしかない。正解を出せる人が少ない時代は、正解に高い値段が付いた。他人と戦略が同じだったため、日本企業はスピードとコストで差別化してきたが、その強みは失われつつあり、歴史上初めて、本当の意味での差別化を求められている。

 

経営はアート、サイエンス、クラフトが混ざり合ったものだが、アートの良し悪しについては根拠を説明するのが非常に難しい。サイエンスに特化する判断であれば、経営コンセプトとビジネスケースを大量に記憶した人工知能にやらせればいいが、ワクワクするようなビジョンや、人の創造性を大きく開花させるようなイノベーションは生まれない。

 

プランはアート型人材、ドゥーはクラフト型人材、チェックをサイエンス型人材が行うことでバランスの良い経営が実行できる。ディズニーは、革新的なビジョンを生み出すウォルトと、元銀行員で財務面リーガル面で支えた兄のロイ。強烈なビジョンを掲げてアートで組織を牽引するトップを、サイエンスやクラフトで強みを持つ側近が支えるという図式。デザインと経営は、エッセンスをすくい取って後は切り捨てるという共通点があって、強い会社は選択が強いのではなく、捨てることに長けているからと言える。直感を信じるには、優れた美意識が必要になる。

 

現代社会における消費とは、最終的に自己実現的消費に行き着かざるを得なく、ファッション的側面で競争せざるを得ない。ファクトベースのコンサルティングアプローチをするマッキンゼーでさえ、クリエイティブ会社を買収した。アップルの強みはイノベーションではなく、ブランドに付随するストーリーと世界観にある。デザインとテクノロジーはコピーできるが、ストーリーと世界観はコピーが難しい。優れたイノベーションであればあるほどコピーの対象となるが、言語化できるものは全てコピーされてしまう。デザインとテクノロジーだけでは一時的に勝つことができても、勝ち続けることは難しい。

 

 

会社という狭い常識が、社会という広い世間の常識と異なることに気づけない。自分が所属している狭い世間の掟を見抜けるだけの異文化体験を持つことで突破できる。美意識を持つということは、目の前にまかり通っているルールや評価基準を、相対比較できる知性を持つこととも言える。変化の厳しい時代においても成果を出し続けるリーダーは、セルフウェアネス=自己認識能力が長けており、マインドフルネスでその能力を高めることができることが脳科学的にも実証されている。悪とはシステムを無批判に受け入れることで、システムの要求に適合しながら、一方でシステムを批判的に見ることが重要。批判的に疑いの目を向けるという意味で、哲学とロックの思想は近い。

 

 

私は、自分の考えやアイデアに自信を持つことが得意ではない。アカウンタビリティを持つサイエンスによる結論を相手に提示することが多い。そのほうが相手も自分も判断がしやすい。けれど、今後ますます自己承認社会が加速していったとき、それだけで説明していくのには限界がある。美意識を鍛えると言うと難しいことに感じるので、まずは何事においても、美しいか否かということの判断を持つことから始めようと思う。