勝川STAND

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成毛眞さんに学ぶ『AI時代の子育て戦略』

僕には幼い子どもが二人います。

 

いろんなことの不確実性が増していくなか、この子たちは自分が過ごしてきた時代とは全く異なる世界で生きていくんだろうということは確定しているなと日々感じます。テクノロジーが進化し、様々な面倒がなくなり、生活が豊かになる一方、競争相手が人間だけじゃなくなり、ナチュラルボーンな人間も減り、何をもって人間というのかの線引きも分からなくなる未来がやって来るんだろうと思う。

 

考えても答えが出るわけではないけれど、それを楽しむのか、憂うべきなのか、本当にわからない。ただ、ある程度は想像しながら生きておいて損はないと思うので、知見は広げておこうと思ってます。

 

未来がよく分からないと感じるものとして、個人的に最大の脅威だと感じるのは遺伝子改変技術の進化があります。クリスパーキャスナインという技術によって、人間を簡単にプログラミングするように、狙った遺伝子を操作することができる。これにより、今まで死に至らしめてきた病気の発症を未然に防ぐことができ、世界の不幸は減るが、個性さえも、操作できるというのが恐いと感じるところです。顔のパーツや、性格など、人間を人間たらしめてきた不完全な個性がコントロール可能になるという。現時点では、技術は完成しているものの、ルールや道徳が整備されていないため、生活に浸透はしていない。いつ一般化されるのか分からないけど、どんな世界が待っているんだろう。

 

そして、未来をより分からないものにするAIの進化。2045年には人間の知性を超えると言われており、いろんな議論がなされている。PVを稼ぐための、いろんな職が奪われるという記事をよく見るけど、職種の増減なんて、これまでもずっとあった話で、自分の仕事が未来永劫続くと思っているひとは、ちょっと頭が硬いと思う。自分たちが現役を終えるまでに、自分の今の職種があると信じて生きていくのは、難しいと思う。ターミネーターのようなシナリオは最悪のディストピアで、そこまでの世界はないと思うし、思いたい。

 

AIは敵ではなく、味方。僕たちの脳を拡張するようなものとして使えばいい。これまでもそうだったはず。人間は便利なものを使い倒して進化してきた。そんな話をしていると、脳みそが腐ってしまうというようなことを言い出すひとがいる。子どもにスマホを使わせると学力が下がるという言い方をする記事もあった。そりゃ失われるものもあるに決まってると思う。でも、得られるものもあると思うし、結果をどのような時間軸で見るべきなのかもあると思うし、そういう記事にはそういったことはまず触れられない。とはいえ、アナログの良さも感じながら、デジタルを駆使していくバランス感も大事だとは思う。

 

という背景がありながら、成毛眞さんのこちらの本を拝読しました。

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

 

 

個人的には、かなり同意できる部分が多くありました。この本を家に置きたかった理由としては、自分のパートナーにも読んで欲しかったから。僕は、自分が受けてきた育てられ方を同じように子どもにするのは、これからの時代は生きていくのが辛くなると思ってます。

 

たとえば、石の上にも三年的な発想で、何事も続けるコトが美徳であるという思考は非常に危険。子どもが自分でやりたいと言ったことだから途中で投げ出すことは許さないとか、ゲームは危険なものとか、何を教わるよりもネームバリューで大学を選ぶとか、そういう思考を持つ人とは僕は交われない。

 

そもそも大学に進学するということにも疑問があります。僕らが大学に通っていた時代は、大学に行くということが目的で、大学を卒業をしたというだけの社会的パスポートを得るためのひとが多く、自分は本当にそうだった。今になって、当時勉強できたことを改めてお金を払って勉強をしている。このスタイルはもう無理だ。

 

親に言われるのだけれど、親にしてもらったことは、子にしてやらなければならないというのも無理筋だと思っています。どう考えても、時代が違い過ぎる。くどいけど、大学もそう。大学に行って、就職率が高まる時代は終わってる。昔もいたけど、大学なんて行かずに目的達成をする方法は増えていると思う。親としては、大学以外の選択肢を提示してあげることも必要だと思う。その結果、これを学びたいと大学進学することはいいと思うけど、大学進学ありきで事を進めるのは苦しい。

 

ほとんどの人が子育てを何回もできるわけじゃない。なんでもかんでも人の話をただやみくもに聞く必要はないし、自分のスタイルを持つということは良いことだとは思うけど、成功体験を聞かないということは、個人的には理解に苦しむ。聞いたうえで、判断するべき。

 

「みんながそう」「昔からそうだった」「普通、そうだろ」とか言うタイプで、高度成長期に育ち、全員が同じベクトルを持つために洗脳され続けてきた世代は、特に学んでおくべき本であると思います。

 

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

 

 

 

ピョートル『ニューエリート』で楽しんで仕事をした者勝ちの世界を学ぶ

最近は本を読むようになったおかげで、良い意味でバイアスがかかってきた。

 

先日、Voicyで新R25の編集長の渡辺さんが言っていた話で「バイアスを選ぶ」というのがあった。わざわざ説明するまでもないが、現代人が1日に受け取る情報は平安時代の一生分、江戸時代の1年分もあり、記憶することが難しいレベルで情報が溢れている。そのため、テレビやラジオなど発信者の都合の良い情報しか発信しない、なんとなく見るメディアの情報を極力控え、自分から情報を取得しにいくメディアで、さらに自分がベンチマークしている人種からのみ情報を受け取るように自分はなっている。対象となる人種に違いはあれど、スマートフォンを使って大多数の方がそうしていると思う。そうなれば、選好することで、自然と偏りが出てくるため、それ故「バイアスを選ぶ」ということになっている。それを自分で理解しているかは非常に大きく、自分の偏りを、世界の常識や日本の常識を捉えている人によく出会う。所謂「普通、そうだよね」のような、主観を世の中の常識と捉え、そこから外れる人間を否定する。

 

今回、こちらの本を読んだ。

ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち

ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち

 

 

自分のなかでのバイアスのおかげ、本書でピョートルさんが言っていることは、ほとんどが腹落ちし、多くのことを頷きながらメモを取ることが多かった。これからの「楽しんで仕事をした者勝ちの世界」を生き抜くために有効な言葉をたくさんもらうことができた。

 

今自分がどのステージにいるかではなく、持続的に成長し続けているのかを常に頭のなかで意識していくことが重要。お金は人々が価値をやり取りする手段のひとつに過ぎず、ステージは給料などの尺度で測るものでもない。これからの時代をリードするのは、ポスト資本主義の世界の仕組みを作る人たちで、面白いからやる、やりたいから勝手にやる、自分がやらなくては、というスタンスを持つ人種である。変わること、変わり続けることは、常に次の可能性に備えておくということ。今の環境が永遠に続くというのは幻想でしかなく、いつでもクビになる準備をする必要がある。

 

主流技術とは全く違う技術によって、従来のビジネスが壊滅的なダメージを受ける破壊的イノベーションは大昔から起きている。現代はマネタイズから思考しないという新しい行動パターンがメインストリームを創っている。また知識をどれだけ持っているかのようなナレッジエコノミーから、何を創り出せるかのクリエイティブエコノミーの時代になった。デジタル化による民主化が進むと個人の力で動いていくことが、ますます必要不可欠になる。新しい価値を生み出すには、初心者のマインドセットが必要

 

自己実現することこそが生きる意味。自分自身を深く理解し、それを周囲の人たちに開示していく。自己実現とは、他者貢献とも置き換えられる。自己実現を重視する人たちは、スキルを磨き、ビジョン、ミッションを持ち、それを実現するためのパッションを発揮し、どうやって身につけて、どのように発揮するかを日々考えている。仕事で自分が出しているアウトプットにプライドがあるか、そして、アウトプットを出すまでのプロセスを楽しんでいるか。日本には、文化的な活動を収入に繋げるだけのマーケットが存在している。今の仕事に不満があるのなら、今の仕事のやり方を変えるのか、仕事そのものを変えるのかで、問題は解決できる。不満を抱えながら何も行動しないならば、何も変わらない。

 

シェアリングエコノミーは単なる消費活動ではなく、誰かと分かち合う幸せを感じられるインフラである。今の時代の成功は、持続的に成長していることに加え、選択肢を持てるかも重要なファクターで、もらう価値よりも、もたらす価値を大きくすることで、成功に近づく。例えば、3割ぐらいをマネタイズに、7割ぐらいを将来の土台作りの投資に当てる。自分をブランディングしながら、ちょっとした縁を大事にしていると、さらに大きな縁に恵まれる。また、師匠を限定しないことで学びのアンテナの感度は増し、挫折経験もパフォーマンスに大きな影響を与える。自分では意図しない物の中にブランディングのヒントが隠されている。意図的にブランディングを測るのも重要だが、周囲の反応から自分のブランドになり得るものに気づくセンスはもっと重要。

 

何も行動しないまま時間が過ぎていくことに恐れを感じるべき。具体的に計画して行動している人は、自由な働き方を手に入れ、一方、行動しない人たちのキャリアが閉ざされ、二極化に拍車がかかる。成長ができて、やりたいことを楽しみながら仕事にできるレベルが理想的な働き方で、仕事や趣味というカテゴリーを横断して、行動ができる人が活躍する時代。流行りそうなことで活躍をするよりも、誰もやってないこと、自分にしかできないこと、自分が何をやりたいかというwillを持って始め、経験からいち早く学んで、新しい環境のもとで遊びを活かして成果を出す。日本人の多くが自己肯定感が低く、苦痛を感じながら働くことが目的化している。

 

今日は何をして、何を感じて、何を学んだか。今の仕事で何が楽しくて、何が楽しくないか。自分は仕事を通じて何を得たいんだろう?なぜそれを得たいんだろう?何をしたときに良い仕事をしたと思うのだろう?いい仕事をするためには何が足りないんだろう?

 

自己実現は、自分のレガシーを残すこと。目標を設定して、その目標に近づく行動をとる。決めた目標を持ち続けることに固執するのではなく、状況や心境に応じて、目標は見直し、常に変わり続けるということが重要。これは仕事というよりも、100年時代の人生設計に必要なマインドセットであり、残りの人生がより多い子どもたちにも投げかけるべき言葉だと感じる。

 

波頭亮『AIとBIはいかに人間を変えるのか』で働く必要のない世界での生き方を学ぶ

BIについては、ピンと来ない人はまだまだ多いかもしれない。BIはBasic Incomeの略称で、国民全員に生活できるだけの現金を無条件で給付すること。それだけを聞くと「んなこと実現するわけないじゃん、普通」と感じる人が多いと思う。でも、これからAIが凄まじい勢いで成長していけば、僕たちの多くの仕事がAIに奪われ、新たな仕事を生み、BIが実現するということは決して夢物語で終わらない。本書では人類史上初となる、「労働」から解放された社会で、どのようなマインドセットを持って生きていく必要があるのかを説いている。

 

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

 

 

AIもBIもどちらも桁違いのマグニチュードで社会に大きなインパクトを与える。それは社会のあり方を覆してしまったルネサンスに匹敵するほどのインパクト。得体の知れないことの重大さが、世の中のあちこちで話題になってきた理由として、知的労働の価値の暴落と、感情労働の価値の向上が挙げられ、インテリジェンスから感性へと世の中がシフトしているとも言える。人間は食うため、生きるための労働から解放される。しかし、働かなくてもいい世界は苦悩の淵と隣り合わせであり、人間はどう生きれば豊かな人生を送れるのかを改めて考え直す必要がある。

 

人間には心や感情があり、それらに裏付けられて身体を使うからこそできるものがある。人間は無意識的に経緯に基づいた情報の選別判断をしており、AIは何を考慮の対象とするのかを人間のように瞬時に判断することができない。そこで、近年AIが劇的に発展することになったディープラーニングが登場した。ディープラーニングで、コンピュターは目を持ち、捨てることを覚えた。人間の分かるというプロセスは、何かと比べて違いを認識することで、判断に重要なポイントだけを用いるのは、人間のヒューリスティックパターン認識に近い。

 

AIの発展は機械学習ディープラーニングといった情報処理プログラムだけではなく、ハードウェアの性能向上、ビッグデータの活用によってブレイクスルーが実現した。AIにはまだまだ問題があって、アルファ碁で言えば、人間の1200人分の電力がかかっており、人間の知能を代替するためのコストはまだまだ実用するには時間がかかる。能力的にも問題がある。AIはあくまで人工の知能であって、人間の能力は知能だけではない。むしろ知能以外の能力が知能と相まって、AIを遥かに超えた様々なことができるのが人間であると考えるべき。AIは相関関係の判断が得意である一方、因果関係の判断は苦手であり、解がひとつに定まらない、もしくは、そもそも正解がないものなど、不確実性が高い状況の判断には向いていない。AIはデータから学ぶが、人間は失敗から学ぶもの。人間特有の本音と建て前のギャップや声色、表情といった曖昧な、そして包含する意味内容が状況によって都度変わるような対象を読み解くことは、AIにとっては非常に難しい問題である。人間がものを分かるというプロセスにおいて、論理以外の様々なファクターを用いており、また、人によって最適解が異なる。合理性が求められるタスクでは実力を発揮できるものの、論理的・統計的合理性から切り離されたタスクではあまり力を発揮できない。

 

AIが進化し、技術革新で無くなる職業がある一方、生まれてくる職業もある。AIが苦手とするのは、身体性ベースのマルチタスク要素、直観直感の要素、クリエイティブ要素などの分野。マルチタスクとう意味ではコンビニ店員などはAIを実装してもロボットには対応が難しい。クリエイティブにおいてもAIのそれは、創造ではなく、まだまだ模倣というレベルであり、本当の意味でクリエイティブというには程遠い。

 

 

BIに似たもので、生活保護というものがあるが、それにかかるコストは対象者に支払うもの以外にも、運用面で非常に効率が悪いお金の使い方をしているが、一方BIはシンプルで運用コストも小さい。たびたびBIによって、働くインセンティブが削がれることを懸念する声が聞かれるが、実際には心配する必要がないというデータも出ている。企業側にも、終身雇用や福利厚生などの保証の体力を軽減するメリットがあり、働き方改革が更に加速し、社会全体が活性化する期待もできる。民主主義社会において、大きく三つの思想があるが、コミュニタリアンリバタリアンネオリベラリストの三者がBIを評価しているという他に類を見ない非常に合理的な仕組みであると言える。

 

BIによって、単に食べるため、生き延びるためにではなく、生活を豊かにするため、仕事自体を楽しむためなど、個々人の人生の目的や価値観に応じて仕事内容や働き方を選択できるようになり、人にとっての仕事の意味や人生における仕事の位置付けは変化する。個人の存在意義と価値は、社会的コミュニティの中で規定されるが、仕事はその人の社会的座標を与えてくれるであり、社会と有機的に繋がることで、自分自身が何者であるかを認識できる。

 

AIは人間の持つ知的パワーを代替するが、そのパワーに人間が敵わなくなれば、価値を生産するための活動に人間が関わる必要性がなくなる。AIは摩擦的失業の解消が追いつかないほどのパワーを持っており、究極的には全ての生産活動がAIだけで賄われるぐらいのインパクトであり、そのような社会になったとき、人間が生きていくために必需的に求められる財・サービスの生産は圧倒的に効率化され、実質的なコストも小さくなり、その生産物を消費することが人間の経済的役割になる。

 

仕事は、労働(Labor)、仕事(work)、活動(action)に分けられるが、AIとBIによって人間が生きるために働くことから解放されて、生きるための労働以外の活動を行うために生きる社会になることで、生きるために仕方なくやらされる労働(Labor)は無くなり、労働を提供して対価を得るのではなく、自己実現や社会貢献をしようとする活動(action)が増えてくるだろう。AI + BIの世の中で豊かに生きるためには、やりたいことを自ら持たなければならなく、そのためにはやりたいことを見出す能力が必要。これからは何をやっても良い状態で、何をやるのかを自発的に決める必要がある。身体的にも、知的にも、感情的にも、備わっている能力を、フルに発揮できることが快いと感じる感覚のメカニズムを持つ。本来持っている能力を十分に発揮できない生活は、心身の健康を壊す。心身ともにポテンシャルをフルに働かせて経験と修練を積むことで、楽しく豊かだと感じられる人生をおくることができる。

 

これまで人口増によって経済成長してきたが、現在起きている経済が豊かであるのに人口が減少するという事実は、人類が新しいステージへシフトするシグナルと言える。答えを自ら考えるより、すでにある答えを検索するほうが効率的に見える社会風潮があり、現代人の考える力は低下している。この先、人間がAIに依存すれば人間の能力を下げることになり、結果的にシンギュラリティを早めることにも繋がる。何をやるのか自発的に決めることが今後必要不可欠となるというが、実際にはそれができない人間のほうが圧倒的に多い。人に人生を決めてもらっても、これまで以上に生き辛い世の中になっていく。人は生まれた瞬間が一番好奇心に溢れていて、その後の成長過程で親や教育機関によって押さえつけられ、大人になっていく。子どもたちには、自分が何が好きで、何をやりたいのか、自分の意志を持つということの大切さを伝え、親としてやれる限りのことをやっていきたいと改めて感じた。

 

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

 

 

日本実業界の父・渋沢栄一『論語と算盤』で日本人が帰るべき原点を学ぶ

本を読むことの必要性を感じ始めたのは、子供が5歳を過ぎたあたりぐらいのこと。これぐらいになると、テレビやYouTubeなどからも情報を得れるようになり、良くも悪くも、大人の話が多少は理解できるようになる。

 

最近強烈に思うのは、自分の常識だけを押し付けるような人間は、この先の成長は難しいということ。30歳を迎える前は、実際に力があるということではなく、自分に自信があって、それ故、特定の人間の話しか聞かないタイプだった。当時の立場を考えれば、それはそれで良かったと思うけど、 この先、まだ70年近く生きていくことや、子供を育てていくということにおいては、改めるべきポイントと感じ出すのは当然の流れだ。

 

本を読むことで、自分自身を高める以外にも、子育てにおけるヒントを得ることができる。それは、子育てについて語られている本だけでなく、自己啓発の部類に入るもの全てで、そう思う。子育ては、子供の立場になって、その状況に置かれている気持ちを考え尊重したうえで、そのタイミングに必要な言葉を投げかけてあげなくてはならない。その言葉は、自分の人生で得てきた経験だけがベースであれば、結局、自分と同じような人間になってしまう。それ自体そんなに悪いこととも思わないが、生きている時代背景の違いを考えれば、少し生きづらい部分もあるだろうと思う。だから、先人や、時には年の上下関係なく、著者の人生が詰まった本から生きる術を学びとり、それをできるだけインストールして、必要なタイミングに備えておくことが、親としてやれる数少ないことの一つだと思う。

 

いま、小2になる娘は算盤教室に通っている。算盤は、現代社会を生きてくうえで、必要なものではない。算盤を使って計算をするという行為が発生することは、今もなければ、この先も恐らくない。通うきっかけは本人の意思によるものであり、生きるために必要か否かではなく、意思を尊重するために通うことになった。その算盤教室では、論語についても、教育をしてくれる。当初、教養がない自分にとっては、論語と算盤を教育してくれるなんて、随分特異な先生だなと思うに止まるレベルだった。

 

以前、グロービスの動画で、渋沢栄一の孫にあたる方が登壇されているセッションを見て、存在を知った。そして、今年のLive Picksで佐々木紀彦さんと落合陽一さんとの話のなかで、本書の薦めがあった。

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

 

 ここで初めて、「論語」と「算盤」の関係性を理解し、娘がその算盤教室に通う必要性について腹落ちした。渋沢栄一は、明治維新後の資本主義制度を設計し、約470社の設立や約500以上の慈善事業に関与し、日本実業界の父と呼ばれている。そんな人が、どんな生き方をすべきかと考えたときにベースとした古典が論語だ。

 

読み進めると、時代背景が違いながらも、今言われても違和感のない部分が多くあったことに驚きを感じた。当時はまだ高度成長期前夜と言えるような時代であり、いまのような飽和した状態ではなかったはず。それなのに、当時においても知識教育で良しとしているために、似たり寄ったりの人材ばかり生まれると危惧されており、時代をリードする人が感じることは、今も昔も変わらないんだと感じると同時に、なぜそれが変わらない問題であり続けるのか不思議に感じた。

 

いろいろな宗教で崇められている偉人たちには必ずと言っていいほど、現実には起こり得ない伝説のような話があるが、孔子にはそれがなく、それも渋沢栄一論語を信用するひとつの要素であるという。前述のLive Picksのなかでも述べられていたが、「僕たちはどう生きるか」がヒットしているように、今の時代だからこそ「論語と算盤」が流行るんじゃないかと言われていたのも頷ける。 

 

教育に対して、単に知識を授けるというだけに重点を置きすぎていて、道徳を育む方向性が欠けていると指摘されているように、本書では論語を基軸とした道徳を論じている。これからの時代は知識はAIによって補完できる可能性があるが、道徳的な側面はどうだろうか。本来のターゲットは経営者であるかもしれないが、僕らのような子育て世代が本書から学ぶべきことは多い。

 

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

 

大前研一さんに学ぶ『武器としての経済学』

自分のような低学歴だと大前研一さんという存在を知るまでに時間を要す。昨年、楠本修二郎さんの本を読んだとき、大前さんの元で修行をしたという話があった。大前さんはマッキンゼー日本支社長まで登りつめた方で、元部下にはDeNAの南場さんがいる。僕らの世代では記憶が微妙だが、東京都知事選にも出馬経験があるようだが、なぜ大前さんではなく、青島幸男を都民は選んだのか不思議だ。

 

いま特に自分の弱点である経済学を学びたいというニーズがあり、今回はこちらの本を読んだ。

武器としての経済学

武器としての経済学

 

 

もはや、ケインズ的マクロ経済は終わった。

 

 

時代は変わったということを中心に、現在の経済のトレンドを3部構成で25ジャンルに分けて解説している。ヒト・モノ・カネが自由に国境を越え、世界を激変させている。アベノミクスは、100年も前のケインズの理論に基づいたもの。当時と環境は劇的に変わっており、日本は低欲望社会という今までに経験をしたことがない状況である。ケインズ的マクロ経済は終わった。

 
 
低欲望社会では、金利を下げてもニーズがない。現代人は、所有するというコストも煩わしい。戦後は貯蓄戦略を国家として進め、経済成長してきたが、貯めたお金でどのように人生を楽しむかは教わっていない。1990年は約1000兆円、現在は約1800兆円という国民の総預金額。人生とはそもそも何なのかという議論が必要で、マクロ経済政策ではなく、心理経済学こそがいま求められている成長戦略である。待機児童ゼロなど日本で数万人程度の問題を国の骨太方針に出すことはおかしい。必要なことではあるが、効果が出るのに20年待たなければならない政策だ。景気は、フィーリングやサイコロジーで決まる。
 
GDPの引き上げは生産能力を上げることだが、現実的には労働人口を増やすことになる。国民それぞれが自分ひとり当たりのGDPを意識することは良いことだが、生産年齢人口が減っていく中で、GDPを引き上げるという発想は誤り。GDPを上げたいのであれば、これまで頑なに拒否してきた移民受け入れについても、検討せざるを得ない。これは年金問題も関係してくる。現在の年金の仕組みは、現役世代が納入した年金を、年金受給者が受け取る賦課方式である。超高齢化の日本は、ピラミッド型から、肩車型に向かっている。抜本的な改革としては、アメリカのレーガン大統領による、年金受給開始年齢の引き上げと、確定拠出年金から401kに変更したものが挙げられる。恐らく日本は後者の変化は難しいため、受給年齢の引き上げのみという選択になると思われる。そう考えると、最近やたらと目につく「100年時代」というワードは、国主導によるキャンペーンかと思ったりしてしまう。
 
今後、政府が補助金を出すことで、企業は設備投資が進み、AIなどの進歩もあり効率化が進み、その結果、大量の労働者がはじき出される。ホワイトカラーの定型業務型は不要になる。ビジネスパーソンそれぞれが自分の一人当たりGDPを意識するのは大切で、自分にどれほど価値があるのかの問いは、常に持ち続けなければならない。クリエイティブな労働者になり、個人の付加価値、つまり稼ぐ力を伸ばすことで、働く権利が得られる。
 
現代社会は、3年で環境が激変する。これまで正しいと思っていたことだけに固執すると時代に取り残されてしまう。常にトレンドをウォッチし、ナレッジを蓄積していくことが必要。クラウドコンピューティングクラウドソーシング、クラウドファンディングによってヒト・モノ・カネが3つのクラウドで代替できるようになった。そして、今はサービスを創出するには、新たに創造することよりも、空いてるものを提供して活用するアイドルエコノミーがメインストリームになってきている。こういった流れを感じれる体作りを続け、常識に縛られることなく、常に複眼的思考でいることの大切さを子どもたちは伝えていきたい。

『隷属なき道』でAIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働について学ぶ

 ベーシックインカムについては、今回の衆院選のなかでも希望の党マニフェストとして掲げていたこともあり、世間的には徐々に理解をされてきた気配もあるが、まだまだ何のことなのか理解していない人のほうが圧倒的に多いとは思う。小池擁護派の落合陽一さんも、この件については、時期尚早であると言い切っていた。小池代表本人もそう感じている気もするが、今回の衆院選というよりも、先に政策として、とりあえず言っておくことの先行者有利のようなことを描いているのだろうか。実際、BIの必要性は、いろいろな人が必要性を説いている。なかでも、デジタル系の人種からは、それを強く感じる。

 

今回は、ピケティにつぐ欧州の新しい知性と言われる、若干29歳のオランダ人経済学者であるルトガー・ブレグマン氏のこちらの書籍を読んだ。

 

隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働

隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働

 

 

きっかけは藤野貴教さんだ。何度も見直しているこちらの動画内で本書を読んでいるような話があったため、今後の社会を生き抜くヒントがあるのではという興味で手に取った。

globis.jp

 

自分自身、社会を良くするためにベーシックインカムを理解しようというマインドではなく、あくまで藤野貴教さんが言われるこれからの時代の幸せな働き方は何かということを学び、少しでも自分の子たちにそれを伝えれればというマインドで読み進めた。

 

個人的には、ベーシックインカムは、現在のAIやロボティクスの急速な発展があって、最近出てきた話とばかり思っていたが、実際には数十年も前から議論され、テスト的に実施してきた国があるなど、経済学者のなかでは言わば定説のような扱いであったことを知った。

 

貧困が生む問題のひとつとして、学力の低下がある。これは非常に大きな問題で、貧困によってIQが13ポイント下がり、それがその後の生活レベルに影響を与え、格差に繋がってしまう。それを解消するためにもベーシックインカムが必要だという。お金を与えることで同時に怠惰も与えることになるのかもしれないという懸念は、実証実験で、心配する必要などなく、むしろ働く意思が向上するという結果が出ている。

 

だが、ほとんどの人、特にここ日本において、貧困という問題はなかなか自分事としてとらえるのは難しい。実際には、細かな問題は抱えながらも、不自由を感じることは少なく、現代社会の技術の発達でますます便利になっていく。そうなると、ただひとつ足りないのは、朝ベッドから起き出す理由というレベルにまでなる。

 

これまで私たちは、本来いらないものを広告で買わせられてきた。経済成長することが私たちとって幸せなことだと洗脳され続け、GDPの成長率という軸を持って、国民の成長であるというイメージを与え続けてきた。経済成長が暮らし向きを良くすることはほとんどない。そもそも、GDPは現在のようなマズローで言う承認欲求というレベルより大きく下に位置する、生きるために必要なことを欲する生理的欲求が中心であった時代である1930年に生まれた指標である。今とは価値基準が異なる時代に生まれた指標に踊らされてはいけない。
 
最近の日本は働き方改革という言葉が広く浸透しており、多くの人たちがその影響を受けている。現段階においては、働き方改革ということよりも、休み方改革というレベルと感じるが、やはりこれにも大きな意味がある。労働時間が減れば、生きる術を向上させる余地が生まれ、あらゆる精神文化を楽しむ機会や、道徳及び社会を進歩させる機会が増える。かつて、ニクソンベーシックインカムや週四日労働など提言していた。これからは、人口2%で社会に必要なすべてを生み出せるようになり、働くことはじきにエリートの特権となる。すると、退屈が蔓延し、人間は機械の世話をする種族となる。これまで、余暇は楽園と同義と見られてきたが、労働の終わりが迫っている将来、最も厄介な問題になる可能性がある。
 
労働時間の短縮で、生産効率は上がるというのが実証実験で明らかにされてきている。ケインズは2030年には労働時間は週15時間となり、最大の課題は増えすぎた余暇だと予想していた。現代社会は、くだらない仕事が増えた。管理職もそのひとつであり、管理職が多い国ほど、生産性と革新性が低い。実際に多くの人が、自分の仕事は意味も必要もないと感じている。富を創造する仕事ではなく、富を移動する仕事に投資が進んだ。
 
ロボティクスの進化で残された道は、構造的失業と不平等の拡大である。ロボットという言葉は、骨折って働くというチェコ語が起源。構造的失業ということをネガティブに考える前に、生きていくためには働かなければならないというドグマを捨てることも、これからの社会を生きるために必要なことになる。働くという言葉の概念を変える。働くはつらいこと。働くは苦しいこと。好きなことでお金はもらえない。そんなことはない。難しいのは、新しい考えに馴染むことではなく、古い考えから抜け出すこと。アイデアの他に世界を支配するものはほとんどない 。
 
儲けは多いがくだらない仕事のおかげで、儲けは少ないが価値のある仕事をすることができる。お金で幸せの深度を測る時代は終わった。お金がなければ、やれないことも事実としてあるが、そのことの多くが知らなければ必要ないものがほとんだ。知ることで目標ができるし、成長できることも多くある。そのバランスや、本質的なものを見抜く力が必要だ。労働時間を減らして、長く退屈な週末を過ごせと言っているのではなくて、自分にとって本当に重要なことにもっと多くの時間を費やそう。
 
人は死ぬとき、何を思うのか。『死ぬ瞬間の五つの後悔』にこう書いてあるそうだ。
 
他人が私に期待する人生ではなく、自分のための人生を生きれば良かった。
あんなに働かなければよかった。

 

後者に関しては、BIによって、この先解消されると思う。前者は、社会保障で変えられることではない。こういうことを子どもたちには伝えていきたい。

 
 

 

西野亮廣さんの『革命のファンファーレ』で現代のお金と広告について学ぶ

 ついに、発売となった。

革命のファンファーレ 現代のお金と広告

革命のファンファーレ 現代のお金と広告

 

 

最近、西野亮廣さんに、どハマりしている。

 

きっかけは、藤原和博さんからだった。

 

toyokeizai.net

toyokeizai.net

 

今でさえ、そんなイメージは自分のなかではなくなったが、これまでテレビを中心とする大衆メディアにおける西野亮廣さんの情報操作は、偏りがありすぎる。これまでの枠のなかで判断して、変人扱いして、異常者扱いして、お前はおかしいとある種いじめのような表現で集中砲火を浴びせていた。すると、僕のような一般人は、この人ってそうなんだと思ってしまう。大人は、子どもにいじめはダメだと言いながら、大人は大人を平気でいじめる。それもテレビという全国に発信できるツールを使って堂々と。

 

先ほどの記事を始めとする物事をフラットに視ることができるメディアを通すことで、西野亮廣さんこそが現代を生き抜くロールモデルのひとつであることを感じるようになってきた。

 

WEBも気をつける必要はもちろんあるが、テレビは信憑性は疑うべきものであると再認識する。信じられない。瞬間的に、おもしろおかしくすることが美学である人間が多く、本質的なことを伝えようとしていない。それが、収益に繋がるというビジネスモデルであるから仕方がないが、もうこれからの時代は無理だ。

 

先ほどの記事をきっかけに、西野亮廣さんが発信している情報を、能動的に見に行くようになった。

 

Dream HEART

Dream HEART

 

この番組での対談で、完全に虜になり、まずこちらを読んだ。 

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

 

 

そこから、YouTubeで勉強した。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

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ここまで行くと「革命のファンファーレ」に書いてあることのほとんどが聞いたことがある内容となってしまう。それは買う前から何となくそうかもと感じていた。でも、買う。発売日に買う。

 

本は売れない時代だと、ほとんどの人が言う。幻冬舎社長の見城さんも言われている。でも、西野さんは売れると言い切っていた。売ろうとすれば売れると。販売の育児放棄はしたくないという表現をされていたが、本を書くだけ書いて、販売は出版社に任せるというのは確かにおかしいと言えばおかしい。でも、それが普通だし、当たり前だ。そもそも出版業界は、大昔に作られた仕組みがそのまま現代も流通していて、時代の先駆者に言わせれば、やり方が悪いという点は数多くあるのだろう。実際、堀江貴文さんも言われていた。旧態依然としている業界であればあるほど、現代社会では斜陽産業と言われれば言われるほど、社会が変化しているのに、かつて決まったやり方を顧客に押し付け続け、顧客目線で流通を構築し直すということができていない。つまり、チャンスが往々にしてあるということだ。 

 

発売直前に、『革命のファンファーレ』の帯のコメントを担当したメンバーが集まる特番がAbemaTVで放送されていた。

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豪華すぎるメンバー。でも、そのなかでも、一番響いた言葉は、幻冬舎の編集者である箕輪さんの言葉だった。あのメンバーの中でも普通に対応ができる人間なので、スペシャルであることは間違いないが、自分と同じサラリーマンであるということも間違いない。そんな箕輪さんは、社長である見城さんがいる前で、恐れおののくことなく副業の話をされていた。中身は、自分で運営するオンラインサロンであったり、タイムバンクであったり、現代社会に新たに生まれた信用をお金にする装置をうまく使った話ばかり。なぜそんなことをするのかという見城さんの問いに対して、現代社会を生きているのに、このような仕組みを使わないほうが逆にクレイジーだというような話をしていた。確かにそうだ。大きい小さいはあるが、必ず自分の強みはある。昔は、そのような強みを使う場面は、属している組織でしかなかったが、今は違うし、東京オリパラまでには、副業に関する社会のとらえ方も必ず変わっているはず。

 

西野亮廣さんが好きなひとは、この本は読む必要はないと思う。逆に、西野亮廣さんが嫌いなひとこそが読むべき本であると思う。子育てしているひともマストだと思う。近々、新しい仮想通貨をローンチしたり、信用経済に関する本の出版を控えているような話を聞いた。引き続き、西野亮廣さんをベンチマークしていこう。