ライフスタイルが最後の売り物になったという時代
自己啓発とか、やりもしないのに起業とか、そういう本を結構見てたなかで、ある時、可愛らしいビジュアルに惹かれてスペクテイターの「ポートランドの小商い」を見て、現代世界の潮流をいろいろ見たくなりました。そんなタイミングで名古屋・丸善のマーケティングコーナーで出会いました、昨年の12月に。
今となれば色んな本を見たりだのして、ポートランドだ、ブルックリンだ、ある程度理解はしているつもりですが、それまで全くの未知で、本当に自分は無知な人間だなーと感じることになりました。
僕の周りでも両極端なんですが、物欲のある人とそうではない人に分かれます。そうではない人はモノじゃなくてコトに消費する傾向あります。これは本当によくいろんなとこで言われますよね。モノより思い出なんてコピーが流行りだしたぐらいから、実際そういうひとが多くなってきてる。やっぱり高度成長期の24時間働けますかなんてコピーが何の違和感もなく浸透する時代から、アレ?そんなに働いてどうすんの?何のために働いてるんだっけ?みたいな感覚が少しずつ芽生えてきて、ポートランドのライフスタイルが我々のロールモデルなんじゃねーのか!なんて流れになってきてますよね。
こんな本ばっかり読んでるからかなり洗脳されてしまってきてます。
人は幸せになるために働き、お金を得るという悪しき資本主義のセントラルドグマ
これまで私たちは24時間365日、広告に爆撃されている世界に生きてきました。いっぱい働いて、いっぱいお金を稼ぐことで幸せを買えると思って過ごせた時代は終わりつつある。消費することに疲れてしまった。
モノを消費することに疲れた私たちが今興味があることはライフスタイル。消費社会が成熟していることを示すものであり、単に商品が欲しいのではなくて、商品にまつわる物語や生活提案を求めている。それに便乗して、いろんな商品が商品誕生までのストーリーを必要以上にアピールするセールスプロモーションが主流となっている。特に化粧品会社の通販などが色濃く出ているかと思います。一般的なスーパーでもそうですね。野菜でもどこの誰が作ってるってのを何でもかんでもやってる感。どこかで成功したらとにかくパクる、みたいな感じがあって自分は嫌ですが。
このライフスタイルというワードですが、実はコレ、アドラーさんが使い出した言葉だそうです。現在の意味合いとは少し違い「幼年期の子供の人格を決定づける振る舞い」という定義となってましたが、1970年頃から消費行動と密接に結びついた言葉として使われることになったよう。
ライフスタイル系雑誌の代表格はポートランド発の「KINFOLK」。食べる、生きるに真っ直ぐな、広告が一切なく、コピーも少量の写真が中心。
昔はファッションこそが自分を表現できる最大のコンテンツでしたが、いまはファッションじゃなくてライフスタイル。衣食住が単体で動くのではなく、すべてを連動させたライフスタイルの提案こそが、現代人のニーズ。実際に、いまウケているのは衣料だけじゃなくて、雑貨もあって、カフェも併設しててみたいなライフスタイル提案型の複合店舗。そもそもインターネットですぐに色んな情報を取れて、すぐに欲しいものがクリックひとつで買えてしまう世の中では、リアル店舗でライフスタイルをトータルで感じさせる店作りが重要。
それが飲食店であっても然り。ただ美味しいものを提供するだけではお客さんは満足しない。オーナーの個性を匂わせ、こういうスタイルで、こういう椅子で、こういう空間を演出して、っていう考え方を伝える必要がある。
これからの日本は経済的な成長はなく、お金以外の人生を楽しむ動機がますます必要になってくる。そういった背景を考えるとポートランドのライフスタイルが我々のロールモデルだというのも納得だと思います。なるべく車に頼らず、家は自分で直して、買い物は値段じゃなくて地域企業がつくった製品を買って、エンタメよりも教育に投資をする。
自分のこどもたちにはできる限り、お金を稼ぐ方法だけじゃなくて、生きていく方法を伝えていきたいと思う。
デジタルネイティブであるが故にいろんなことが簡略化され、便利になり、逆に考える力というものが低下し、人と人とのリアルなコミュケーションも希薄になってくる。
かなりアバウトな言い方ですが人間力とでも言うのでしょうか、自分たち家族分ぐらいが収穫できる家庭菜園とか、その野菜を使って料理を楽しんだりとか、インパクトとかサンダーとか使って家具とか修理とかできる力とか、ミシンを使いこなせたりとか、お金に頼るんじゃなくて、自分の力で生活を成り立たせれる力を育んでいきたい。
テレビや雑誌などのメディアはそのブームの背景まではなかなか説明してくれないですから、やっぱりこういった書籍を読み漁ることは人生を全うする意味で必要なことだと、1冊の本を読み終えるたびにひしひしと感じます。
別に知らなくても生きていけますよ。
でも、こういうことを理解したうえで子どもたちと接することで、その子どもの感覚には変化を与えることができると信じてます。