サーフィンについて、今、思うこと
たいしたスキルもなく、そういう意味では、偉そうなこと言える立場ではないが、サーフィンについて、今、思うことを自由に書き綴らせてもらう。
最近の自分では珍しく、5/20・27と2週連続で、波乗りに行ってきた。
いつものように夜明け頃から入水できるよう2:30頃に自宅を出て、暗い夜の道を走らせる。
二日とも、晴天に恵まれ、綺麗な朝日を見ることができた。最近の自分は、これだけでも、早起きすることの価値はあると感じるようなマインドになっている。
特に、27日は夜明け後の1.5時間ほどは、風の影響も少なく、腹サイズぐらいのまとまったウネリがブレイクしていて、兄貴や仲間たちと幸せな時間を過ごすことができた。
こないだふと「サーフィンっておもしろいの?」って同世代の友人に聞かれた。
その問いに関しては、嘘偽りなく100%おもしろいと言い切った。
でも、そう言えるレベルになるまでは正直時間もかかるし、ひょっとしたら、そう感じるまでの苦難に心折られ、諦めるという選択になるひとも沢山見てきた。
家庭の問題、仕事の問題、いろいろあると思うが、何ともならない理由でサーフィンとの縁を断ち切るというのはごく僅かで、ほとんどがサーフィンの面白さを感じるというステージに辿り着けず、ライフスタイルのサーフィンを知る前の、ファッションとしてのサーフィンで満足して、途中で諦めていると感じる。
自分自身、実際にはほとんど意味は成さなかったが、ただモテたいというくだらない理由でモチベーションを維持でき、結果としてサーフィンを諦めなかったことは、自分の人生にとって非常に意味があると思っている。
サーフィンを通して、サーフィン自体のおもしろさを感じるのは当然ながら、自然の素晴らしさに触れられることは、これからのAIやロボティクス、ゲノムのプレゼンスが高まる社会を生き抜くことにおいて、具体的な説明はできないが、重要な意味があるんじゃないかと信じている。
サーファーはポジティブな人種が多い。海にいる時間が、例えば3時間あったとしても、波に乗っている時間は、合計してもたった数分。時に、巨大な波が目の前で崩れるという日常では感じることのない恐怖を何本も潜り抜け、沖へパドルアウトし、ただひたすら波を待っている。
波を待つという今に集中し、無意識的にマインドフルな状態を作り出せていることが、結果としてポジティブな脳へと変化させているからなんじゃないかと思う。
そして、サーフィンを通して、何より、当たり前というものなんてないんだということを日々目の当たりにする。
何かしらの職業としてのサーファーや、ローカルサーファーでない限り、波を当てるということは非常に難しい。
波はただ大きければ良いわけではなく、風速、風向き、ウネリの向き、ウネリの強さ、周期、干潮満潮、そのポイントの砂のつき方など、様々な条件が揃って初めて波の良し悪しが決まる。
もちろん自然以外に、自分自身のコンディションを整えることが何より重要だ。
週1回のサーフィンで波を当てることは非常に難しく、ましてや自分のような月1サーファーでは本当に難しい。
それゆえ、当てたときの感動はとてつもなく大きいものがある。未だにあの感動を忘れられないという日もある。
なんて話をしていると「どMかよ」と言われた笑
とにかく自然が一番の相手であるため、いつでも同じコンディションで行えるものではないため、当てたときは、本当に幸せだ。
5/20 豊橋・細谷
5/27 湖西・潮見坂神社前