勝川STAND

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日本実業界の父・渋沢栄一『論語と算盤』で日本人が帰るべき原点を学ぶ

本を読むことの必要性を感じ始めたのは、子供が5歳を過ぎたあたりぐらいのこと。これぐらいになると、テレビやYouTubeなどからも情報を得れるようになり、良くも悪くも、大人の話が多少は理解できるようになる。

 

最近強烈に思うのは、自分の常識だけを押し付けるような人間は、この先の成長は難しいということ。30歳を迎える前は、実際に力があるということではなく、自分に自信があって、それ故、特定の人間の話しか聞かないタイプだった。当時の立場を考えれば、それはそれで良かったと思うけど、 この先、まだ70年近く生きていくことや、子供を育てていくということにおいては、改めるべきポイントと感じ出すのは当然の流れだ。

 

本を読むことで、自分自身を高める以外にも、子育てにおけるヒントを得ることができる。それは、子育てについて語られている本だけでなく、自己啓発の部類に入るもの全てで、そう思う。子育ては、子供の立場になって、その状況に置かれている気持ちを考え尊重したうえで、そのタイミングに必要な言葉を投げかけてあげなくてはならない。その言葉は、自分の人生で得てきた経験だけがベースであれば、結局、自分と同じような人間になってしまう。それ自体そんなに悪いこととも思わないが、生きている時代背景の違いを考えれば、少し生きづらい部分もあるだろうと思う。だから、先人や、時には年の上下関係なく、著者の人生が詰まった本から生きる術を学びとり、それをできるだけインストールして、必要なタイミングに備えておくことが、親としてやれる数少ないことの一つだと思う。

 

いま、小2になる娘は算盤教室に通っている。算盤は、現代社会を生きてくうえで、必要なものではない。算盤を使って計算をするという行為が発生することは、今もなければ、この先も恐らくない。通うきっかけは本人の意思によるものであり、生きるために必要か否かではなく、意思を尊重するために通うことになった。その算盤教室では、論語についても、教育をしてくれる。当初、教養がない自分にとっては、論語と算盤を教育してくれるなんて、随分特異な先生だなと思うに止まるレベルだった。

 

以前、グロービスの動画で、渋沢栄一の孫にあたる方が登壇されているセッションを見て、存在を知った。そして、今年のLive Picksで佐々木紀彦さんと落合陽一さんとの話のなかで、本書の薦めがあった。

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

 

 ここで初めて、「論語」と「算盤」の関係性を理解し、娘がその算盤教室に通う必要性について腹落ちした。渋沢栄一は、明治維新後の資本主義制度を設計し、約470社の設立や約500以上の慈善事業に関与し、日本実業界の父と呼ばれている。そんな人が、どんな生き方をすべきかと考えたときにベースとした古典が論語だ。

 

読み進めると、時代背景が違いながらも、今言われても違和感のない部分が多くあったことに驚きを感じた。当時はまだ高度成長期前夜と言えるような時代であり、いまのような飽和した状態ではなかったはず。それなのに、当時においても知識教育で良しとしているために、似たり寄ったりの人材ばかり生まれると危惧されており、時代をリードする人が感じることは、今も昔も変わらないんだと感じると同時に、なぜそれが変わらない問題であり続けるのか不思議に感じた。

 

いろいろな宗教で崇められている偉人たちには必ずと言っていいほど、現実には起こり得ない伝説のような話があるが、孔子にはそれがなく、それも渋沢栄一論語を信用するひとつの要素であるという。前述のLive Picksのなかでも述べられていたが、「僕たちはどう生きるか」がヒットしているように、今の時代だからこそ「論語と算盤」が流行るんじゃないかと言われていたのも頷ける。 

 

教育に対して、単に知識を授けるというだけに重点を置きすぎていて、道徳を育む方向性が欠けていると指摘されているように、本書では論語を基軸とした道徳を論じている。これからの時代は知識はAIによって補完できる可能性があるが、道徳的な側面はどうだろうか。本来のターゲットは経営者であるかもしれないが、僕らのような子育て世代が本書から学ぶべきことは多い。

 

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)