勝川STAND

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落合陽一『日本再興戦略』で希望の国のグランドデザインを学ぶ

2017年にLive Picksが始まって以来、落合陽一にハマっている。情弱な自分にとっては、そこで得るものは多く、これを見ているだけでも、相当自分の脳をアップデートすることができていることを実感する。未来感が半端ない。そんな中、本書がついに発売となった。

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

 

 内容的にはLive Picksで語られていたことのダイジェスト版的な内容になっており、Live Picksを日々見まくっていた自分としては、新たな発見や情報はあまり無かったが、改めて活字で読むことで、理解を深めることができたと思う。

 

タイトルからも想起させられる通り、本書では落合陽一が描く今後の日本のグランドデザインについて、様々な角度から記されていて、これからの未来を生きるうえでは、たくさんのヒントを得ることができる。

 

 

今の日本は自信を喪失している。現代の日本人は、西洋を真似するといった極端な方向に振れてしまっている。今こそ、欧米という幻想から抜け出し、日本の原点を見つめ直すタイミングだ。
 
日本は、これまで官僚がトップダウンでつくった国策で、一個人が自分の考えを明確に持つ必要無いよう、急激に近代化をしてきた。それ故、我々の教育は人に言われたことをやるのに特化しているため、新しいことをやるということには抵抗を感じる人種である。さらに、均一な教育を与えたうえで、住宅ローンで家計の自由を奪い、マスメディアによる世論操作を行って、新しい需要を喚起していくという戦略で、消費者購買行動をコントロールをしてきたが、それも景気後退や人口減少によって変わらざるを得ない状況となってきた。でも、これはネガティブではなく、課題先進国として稀有な大チャンスであると捉えるべき。
  
明治以降に、誤って押し付けられた西洋的人間性をどうやって超克して、決別し、更新し得るかが今後は重要であるが、最近よく聞かれるワークライフバランスというのは、そもそもワークとライフを二分法で分けること自体が、日本人の文化的に向いてなく、無理なく自然に働くワークアズライフという思考のほうが向いている 。仕事の中に生きて、ストレスなく生活と一致しているのが美しい。明治以降の日本人は、とにかく幸せでないといけないと信じ込むようになったことも問題のひとつ。企業の寿命は短くなるが、人の寿命は長くなっている。仕事とプライベートの境界線はグラデーションがあったほうが、人生のなかで得られるものは多い。
 
ハードの持つ重さが有利に働く時代は終わったことを理解し、今後は百姓的なライフスタイルを意識できるかで、その人間のプレゼンスが計られる。農の中心である百姓はマルチクリエイターであり、百姓こそ’多動力’と言える。士農工商というカーストは、トレンディドラマや拝金主義などを生んだマスメディアの功罪。マスメディアによって「結婚式は数百万もかけてやる」「婚約指輪は何ヶ月分の給料の値段」などというくだらない概念が作られ、いつまにか自分の中にその価値観がインストールされていることにすら、多くの人が気づけていない。日本人の多くは、マスメディアによって植え付けられた普通という概念に捉われすぎており、それによって内なる拝金主義が育てられたことは大きな問題。年収がいくらか気にするのではなく、評価されるのはお金よりも、価値をどれだけ社会に生み出したか。
 
インターネットは、技術をオープンソース化し、マスからパーソナライズ化が進み、今後は、人、bot、物質、バーチャルの区別がつかなくなる世界がやってくる。自動翻訳の技術も進み、英語を使えることだけで優位性があるという世界はなくなる。自動翻訳されるためには、正確な言語を操る必要があり、自動翻訳されない原因の多くは、元となる文の構造が間違ってたり、曖昧な単語や文脈に依存する言葉を多用しているから。人は考えながら言葉を発することが多く、それが原因のひとつであり、今後、自動翻訳できないことは、考えがまとまっておらず、コミュニケーションが下手ということと同義になるかもしれない。
 
何か知らないこと、経験がないこと、自分の常識には無いことに対して、頭ごなしに否定するのではなく、自分のマインドセットが今風ではないかもしれないと疑える人間の優位性は高まっていく。テクノロジーによってもたらされるコミュニケーションやコミュニティに恩恵を受けつつ、それらを批判するというチグハグな状況にあるテクノフォビア。これまでもゲームの世界で、コンピューターと対戦することは普通にあって、それを楽しんでいたはず。昨日より今日よりも良い状態を目指すようなテクノロジー社会では、人口減少と少子高齢化はネガテイブな問題ではない。ここ日本で言えば、人が減って仕事を機械化しても、ラッダイト運動ようなことが起こらない文化が根付いている。また、世界的にも高齢化が進む先進国は増加傾向にあり、高齢化ソリューションが逆タイムマシンビジネスになる見込みが高い。
 
日本人は、この日本がシリコンバレーの植民地状態であるということを認識できていない。それがあるから、日本はアメリカに国防を外部委託できているということなのかもしれないが、インターネットのなかにあるサービスの多くがシリコンバレーの企業によるもので、日本法人のサービスであっても、そのプラットフォームを介すのであれば、何割かは搾取されている。この状況を脱するためにも、ブロックチェーンという技術に期待する部分は大きい。ブロックチェーンの本質は、非中央集権化であり、コードによるガバナンスであり、受益者負担という考え方。投機的な側面が注目を集めているが、ビットコインを始めとする仮想通貨のベースとなるブロックチェーンという技術は、今後、プラットフォーマーを駆逐し、あらゆるビジネスモデルを変えることが期待されている。 だから、コインチェックの件を経て、マウントゴックスの時と同じように思考停止させている場合ではない。
 
今後、デジタルネイチャー社会を生きていくためには、ポートフォリオマネジメント能力と金融的投資能力の向上が必要不可欠になってくる。まずは専門性を掘り下げ、トップ・オブ・トップの人と話すに足る何かを探し、どこか一社に依存するのではなく、複数の職業の中で、どれをコストセンター、プロフィットセンターとするかをマネジメントする。そして、ただやむくもに貯金をするのではなく、お金にも働いてもらってお金を稼いでもらう。それをするためには、時代を読むことが必要で、時代感覚を掴む能力は、投資能力に直結する。
 
今やるべきことをやらないとだめで、機会を伺って動き出さないことは、ただの機会損失にしかならない。自分とは何かを考えるのではなく、まずは今ある選択肢の中でどれができるかをやる。その選択肢には、自分がそれをしたいのか、それができるのか、するべきなのかの区別は必要。収入の1,000倍の格差はそうはないけど、本を読んだ冊数などの格差は普通にあって、それがモチベーションの格差に繋がる。悩んでいないで、まずやってみて、その繰り返しにオリジナリティが生まれてくる。
 
最後のこのメッセージに深みを感じた。
 
画一的な基準を捨て、あらゆることにトキメキ、あらゆるものに絶望して、期待をせずに生きよう。
 
自分たちが持つ常識を世界の常識と考えず、ダイバーシティな世の中であることを意識して、様々なことに自分なりの角度で興味を持ちながら、その先の未来に見返りを期待したり、予測するのではなく、自分が今やれることをやり続けよう。