勝川STAND

勝川STANDは、個人事業主様・フリーランス・小規模店舗経営者様に、無料ツールを使って、撮影から制作までリーズナブルにクリエイティブを提供します。

CDは買わないけどフェスは行く。大事なのは『物語と体験 STORY AND EXPERIENCE』。

マーケティングのことに興味を持っている人なら、耳タコだと思いますが、モノやコトを提供する側が、近代で最も考えるべきことは、そのモノやコトを提供することによって、顧客が何を体験することができるのかであるUXであると言われています。

 

ゆー・えっくす?ってなってる人は、特に意味があと思いますし、そうなってない元々理解している人でも、より体系的に学ぶという意味で、有意義な書籍を紹介させていただきます。

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www.amazon.co.jp

 

これは東急エージェンシーのクリエイティブチーム”TOTB”の方々による、広告を作らず、社会現象をつくるための、悩める広告人の新しい指南書です。

www.totb.jp

 

広告はモノやコトを売るためには、大企業であろうが個人であろうが非常に大事なことだと思ってます。最近もVoicyでサウザーさんも言ってましたが、モノやコトが売れない場合、広告のやり方に問題があり、それを放置しているだけのケースがあると言っていたことに、超絶アグリーという感じです。

 

言わずもがなですが、商品に魅力があるのは当然のことです。でも、魅力があれば商品が売れるということではない時代だと思います。何を選んで良いか分からないほどモノに溢れている時代では、この魅力のあるモノの存在を届けるのが、以前に増して重要というか、それをしないと存在を知らしめることができなく、存在を知らないということは、もはやそれは世の中に存在していないということと同義でになってしまいます。

 

だから、広く告げるということなしでは、モノは売れない。そして、商品の魅力を伝える上で、何が重要になってくるかというのが「物語」と「体験」。

 

 

市場には代替可能な商品に溢れる。その状況下では、物語が無いブランドは、存在し得ないもので、存在に意味がなく無価値なものになってしまう。物語が無ければ、知ることも、理解することも、記憶することもできない。物語の担い手は、企業だけでなく、顧客もまた重要な物語の担い手であり、語り手となる。コーラとベプシは飲み物としての違いは小さいが、情緒的価値が違い、飲む人の気持ちが違う。ブランドが提供する価値であるブランドエクイエティは4Pの上に立つもの であって、ブランドは統合された人格を持つ存在となるべく、核となるアイデンティティを持ち、信じられる存在になる必要がある。

 

マーケティング1.0から3.0までは、約100年間という時間軸であったのに対して、3.0から4.0はわずかに7年。急速なアップデートを強いられたのは、テクノロジーの急激な進化。スマホによって、移動性と接続性がもたらされ、オンライン交流とオフライン交流の一体化、ブランドの本物の個性の重要性がポイントになった。ブランドの本物の個性がかつてないほどに重要になり、オーセンティシティが貴重な財産となる。数打てばいいわけではなく、感動する接触が必要で、その感動を与えるのが体験である。マーケティングの主導権は企業から顧客へ、顧客から社会へとシフトし、価値は機能的価値から情緒的価値、精神的価値へと、より観念的なものにシフトしている。これまで物語はテレビなどの注目されるメディアで、言いたいことをきっちりつくって何度も言うことによって形成されていった。物語は、体験によって具現化、実体化される。一方通行の美しい嘘ではなく、人間の本物の体験を核とした新しいコミュニケーションを通して、物語を形づくっていく。顧客に愛してもらうためには、顧客にとっての物語でもある必要があります。物語は、社会、顧客、ブランドの3つの視点から生み出される。

 

社会課題という敵の登場で、顧客とブランドは巨大な敵に立ち向かう協働関係になり得る。男性神話として、居心地のいいところからの脱却→仲間を見つけ、冒険をし、壁を越える→宝物を持って帰る、というのがが男性に特に好かれる物語と言われている。物語が真ん中にあることで、企画は強くなり、マーケティング的に機能し、関わる人やチームを巻き込んで推進していくことができる。ブランドからのわずか一瞬の予期せぬ感動ある物語に基づいて、顧客が主役として能動的に参加するための場をブランドがつくり、その場で生まれた体験をコンテンツ化して広めていく。従来の広告と同じだが、あくまで主役の座は顧客に譲り、アンコントローラブルな状況も受け入れ、その場において生まれる生身の人間のナマな反応や感情そのものをコンテンツとしていくことによって、物語は実践的なものとなり得る。企業側からの一方的な押し付けの物語ではなく、生活者を主人公としたファクトベースの物語とし、受け手を主体にして、広告を民主化する。

 

メディアはその内容よりも、メディアそのものにメッセージ性があり、今後、広告はさらにクリエティブで社会意義がある仕事になる。ビジュアルをデザインするのではなく、文化的アイコンをデザインする。以前は、虚構の世界観でも、たくさん回数を訴求すれば、なんとなくは伝わったが、広告で大事なのはテレビCMを作ることではなくて、課題を解決すること。今までオマケ扱いだったSPなどの非マスが急激なデジタル化で力を持ち始めた。ただ、そうは言ってもテレビという装置は、非マスとは比べものにならないくらい強制的なリーチがあることは忘れてはならない。

 

広告は商品の広告だけでなく、社会問題の解決というフィールドに概念主張することが重要で、今後、拡散狙いはオモシロ系じゃなく、自己実現の支援・社会問題の解決でするものになる。クライアントが求めていなくても、社会現象にすることを目指すのがネオ・プロモーション。体験は緩めに、してもしなくてもいいという空気感で顧客アプローチするのが最適で、送り手と受け手の対等な関係として、押し付けじゃなくて自発的に盛り上がる場の運営と管理を行い、受け手に物語を完成させる。また、ゲーミフィケーションとSocial goodの相性はいい。

 

これまではとにかく顧客の開発が問われることが多かったが、あらゆる産業で成長が飽和化した現代社会では、顧客の維持が重要となる。新規獲得には、維持する場合の5〜10倍のコストがかかり、毎年10から20%の顧客を失うとも言われている。ブランド形成に必要なのは、人間のような人格を与えるブランドパーソナリティと、その意思であるブランドビジョン。何もかも追いかけているようであれば、結局何もモノにはできない。

 

 

このような本を見ていると、モノが無かった時代とモノに溢れている時代とでは、商品開発と広告の重要度は全く異なることを感じる。モノが無い時代は、世の中の問題に対して開発されたそのモノ自体をただ知らしめるということだけで顧客は満足していたが、既にモノに溢れている時代においては、知らしめるだけでは、既に近い機能を持ったものがり、また、田端信太郎さんが言われていたが『オーケー、認めよう。広告はもはや「嫌われもの」なのだ』時代になっていることからも、ただ広告するだけでは全く響かなくなった。そこで差別化するに『物語と体験』を軸に顧客アプローチする。自分はすごく腹落ちしました。ブランドを選ぶとき、ブランド創設者のパーソナリティや、どこからの派生なのか、なにを問題としてローンチされたのかなど、個人的にはそのバックグラウンドを結構気にします。そして、そのブランドを選ぶことで、どんな体験が得られるのかを想像する。日常的に感じていたことを、根拠を持って改めてレクチャーされたことで、より理解が深まりました。広告クリエイターは、いろんな世の中にあるものを見つけて、それを自分のフィルターに通して、上手にクリエイティブをしていくエディターであるという言葉ありました。そうなれるように、日々情報をストックして、来るべきときに備えていきたい。