勝川STAND

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『欲望する「ことば」』で「社会記号」とマーケティングを学ぶ

僕は広告業界のなかで、嶋浩一郎さんが好きだ。広告業界では、デザイナーが主役になることが多いなか、嶋さんは肩書きには一切こだわってはいないとは思うが、そのプロモーションにおける重要人物として挙げられることが多いマーケター。これまでの実績をいろいろなメディアで紹介されているが、どれもロジカルで、感覚的で説明ができないものは、見た記憶はない。

 

欲望する「ことば」 「社会記号」とマーケティング (集英社新書)

欲望する「ことば」 「社会記号」とマーケティング (集英社新書)

 

 

本書では、潜在的欲望をあぶり出し、世の中を構築し直す「社会記号」のダイナミクスについて語られている。

 

新語は日々生まれるが、定着するものとしないものがあり、その定着したもののなかに社会記号はある。社会記号とは、言葉が生まれたときには辞書には載っていないが、社会的に広く知られている言葉。例えば「女子力」「加齢臭」「美魔女」などで、最近で言えば「インスタ映え」などが該当する。社会記号が定着するプロセスの中で、新しい文化や市場までもが生まれる。社会記号は人々の生き方や社会の構造が変化していくときに、世の中の端っこに現れる予兆のようなものであり、社会記号がサーチライトとなり、それまで見えていなかったものが見えるようになる。以前「癒し」や「癒し系」という言葉が社会記号となったが、そもそも「癒し」よりも「癒す」という使われ方が一般的であったものが、求めるという、より受け身な構図がこの時代に成立したということを示しており、その時代における人々のニーズが色濃く反映される。言葉には、物事を対象化して、類型化して、匿名化する役割があり、私たちの経験を抽象化させて、解釈を方向付ける強制力がある。カテゴリーは、無数にある商品世界に秩序を与え、ラベリングすることで思考が節約され、アタマを使わずに済ますことができることも、社会記号が果たす大きな役割。

 

自社製品が、社会記号の限られた指定席に座ることができれば、社会記号と商品の結びつきが寡占化され、情報発信しなくとも、ずっと取材され続けるという大きなメリットがある。コトバにはモノを売る力があり、モノを売るにはコトバも売らなければならない。社会記号には人々の欲望の暗黙知が反映されており、隠された欲望であるインサイトを捉えることは、企画に携わる人にとって最も重要な作業である。自分の欲望に自覚的な人は多くはなく、欲望は自存するものでなく、それを満たすものが目の前に出現したときに発動するもの。人間の欲望は簡単に言語化できなく、そのくせとんでもなく都合がいい。そのため、その欲望が表現された社会記号が現れたとき、一気に市場は動く。顧客の気持ちになり、顧客に憑依して、言葉を作る。消費者ニーズがあるところに言葉を作れば、社会記号が生まれる。

 

雑誌は社会記号を生み出すことが得意なメディア。雑誌編集者の多くは、読者の潜在的な欲望を言語化して、提示することで新たなファンを獲得できることを知っている。雑誌はターゲットが絞られているが故に世界観に同意した人向けのワードを使うことができるのが大きな強み。大衆の時代から分衆の時代となり、分衆をターゲットにする雑誌が人々の新しい欲望を捉える装置として機能し、社会記号を生み出すメインプライヤーになった。

 

昨今、ビッグデータに対する期待度が高まっているが、インサイトまでは掴めないだろう。ビッグデータはあくまで、それまでの集積であり、今や未来の情報の集積ではない。データになっている時点で、既存の欲望の整理整頓をしているだけ。消費者は、言語化した欲望に応えてくれるプレイヤーには、あまり感謝しなくなり、実はコレが欲しかったというインサイトに応えてくれるプレイヤーに魅力を感じ、はるかに価値が高い。欲望は、自覚できないから言語化できないが、それでも文句を言うことはできる。日常に潜む違和感に目を向けることで、生活者のインサイトに近づくことができ、書店に入って情報のシャワーを浴びることも一つの手段。感覚を敏感にしないと、あっさり見過ごしてしまうような些細な違和感にヒントがあり、若者の欲望を体現する文化は、いつも社会の端っこから生まれる。

 

社会記号がサーチライトであるということは、新しい概念が誕生する。そして、社会記号が生まれると、これまで見えてこなかったものが見えるようになるが、何かに光を当てることで、同時に何かが影になって見えなくなる。マーケターとしては、社会記号を作り出すというレベルに達しないまでも、その社会記号の誕生によって、その背景では、何が見えなくなったのかを意識することが重要。また、「巨人の肩の上に立つ」というマインドセットを持つことで、先人の積み重ねてきた発見の上に自分はあるという謙虚な姿勢で、それらをうまく使いきることで、社会記号をよりクリティカルに捉えることができる。買うという背後には、買ってもらうためのマーケティングがあり、そのマーケティングのなかで社会記号のプレゼンスは大きいということを理解したうえで、クライアントと接していきたい。

 

波頭亮『AIとBIはいかに人間を変えるのか』で働く必要のない世界での生き方を学ぶ

BIについては、ピンと来ない人はまだまだ多いかもしれない。BIはBasic Incomeの略称で、国民全員に生活できるだけの現金を無条件で給付すること。それだけを聞くと「んなこと実現するわけないじゃん、普通」と感じる人が多いと思う。でも、これからAIが凄まじい勢いで成長していけば、僕たちの多くの仕事がAIに奪われ、新たな仕事を生み、BIが実現するということは決して夢物語で終わらない。本書では人類史上初となる、「労働」から解放された社会で、どのようなマインドセットを持って生きていく必要があるのかを説いている。

 

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

 

 

AIもBIもどちらも桁違いのマグニチュードで社会に大きなインパクトを与える。それは社会のあり方を覆してしまったルネサンスに匹敵するほどのインパクト。得体の知れないことの重大さが、世の中のあちこちで話題になってきた理由として、知的労働の価値の暴落と、感情労働の価値の向上が挙げられ、インテリジェンスから感性へと世の中がシフトしているとも言える。人間は食うため、生きるための労働から解放される。しかし、働かなくてもいい世界は苦悩の淵と隣り合わせであり、人間はどう生きれば豊かな人生を送れるのかを改めて考え直す必要がある。

 

人間には心や感情があり、それらに裏付けられて身体を使うからこそできるものがある。人間は無意識的に経緯に基づいた情報の選別判断をしており、AIは何を考慮の対象とするのかを人間のように瞬時に判断することができない。そこで、近年AIが劇的に発展することになったディープラーニングが登場した。ディープラーニングで、コンピュターは目を持ち、捨てることを覚えた。人間の分かるというプロセスは、何かと比べて違いを認識することで、判断に重要なポイントだけを用いるのは、人間のヒューリスティックパターン認識に近い。

 

AIの発展は機械学習ディープラーニングといった情報処理プログラムだけではなく、ハードウェアの性能向上、ビッグデータの活用によってブレイクスルーが実現した。AIにはまだまだ問題があって、アルファ碁で言えば、人間の1200人分の電力がかかっており、人間の知能を代替するためのコストはまだまだ実用するには時間がかかる。能力的にも問題がある。AIはあくまで人工の知能であって、人間の能力は知能だけではない。むしろ知能以外の能力が知能と相まって、AIを遥かに超えた様々なことができるのが人間であると考えるべき。AIは相関関係の判断が得意である一方、因果関係の判断は苦手であり、解がひとつに定まらない、もしくは、そもそも正解がないものなど、不確実性が高い状況の判断には向いていない。AIはデータから学ぶが、人間は失敗から学ぶもの。人間特有の本音と建て前のギャップや声色、表情といった曖昧な、そして包含する意味内容が状況によって都度変わるような対象を読み解くことは、AIにとっては非常に難しい問題である。人間がものを分かるというプロセスにおいて、論理以外の様々なファクターを用いており、また、人によって最適解が異なる。合理性が求められるタスクでは実力を発揮できるものの、論理的・統計的合理性から切り離されたタスクではあまり力を発揮できない。

 

AIが進化し、技術革新で無くなる職業がある一方、生まれてくる職業もある。AIが苦手とするのは、身体性ベースのマルチタスク要素、直観直感の要素、クリエイティブ要素などの分野。マルチタスクとう意味ではコンビニ店員などはAIを実装してもロボットには対応が難しい。クリエイティブにおいてもAIのそれは、創造ではなく、まだまだ模倣というレベルであり、本当の意味でクリエイティブというには程遠い。

 

 

BIに似たもので、生活保護というものがあるが、それにかかるコストは対象者に支払うもの以外にも、運用面で非常に効率が悪いお金の使い方をしているが、一方BIはシンプルで運用コストも小さい。たびたびBIによって、働くインセンティブが削がれることを懸念する声が聞かれるが、実際には心配する必要がないというデータも出ている。企業側にも、終身雇用や福利厚生などの保証の体力を軽減するメリットがあり、働き方改革が更に加速し、社会全体が活性化する期待もできる。民主主義社会において、大きく三つの思想があるが、コミュニタリアンリバタリアンネオリベラリストの三者がBIを評価しているという他に類を見ない非常に合理的な仕組みであると言える。

 

BIによって、単に食べるため、生き延びるためにではなく、生活を豊かにするため、仕事自体を楽しむためなど、個々人の人生の目的や価値観に応じて仕事内容や働き方を選択できるようになり、人にとっての仕事の意味や人生における仕事の位置付けは変化する。個人の存在意義と価値は、社会的コミュニティの中で規定されるが、仕事はその人の社会的座標を与えてくれるであり、社会と有機的に繋がることで、自分自身が何者であるかを認識できる。

 

AIは人間の持つ知的パワーを代替するが、そのパワーに人間が敵わなくなれば、価値を生産するための活動に人間が関わる必要性がなくなる。AIは摩擦的失業の解消が追いつかないほどのパワーを持っており、究極的には全ての生産活動がAIだけで賄われるぐらいのインパクトであり、そのような社会になったとき、人間が生きていくために必需的に求められる財・サービスの生産は圧倒的に効率化され、実質的なコストも小さくなり、その生産物を消費することが人間の経済的役割になる。

 

仕事は、労働(Labor)、仕事(work)、活動(action)に分けられるが、AIとBIによって人間が生きるために働くことから解放されて、生きるための労働以外の活動を行うために生きる社会になることで、生きるために仕方なくやらされる労働(Labor)は無くなり、労働を提供して対価を得るのではなく、自己実現や社会貢献をしようとする活動(action)が増えてくるだろう。AI + BIの世の中で豊かに生きるためには、やりたいことを自ら持たなければならなく、そのためにはやりたいことを見出す能力が必要。これからは何をやっても良い状態で、何をやるのかを自発的に決める必要がある。身体的にも、知的にも、感情的にも、備わっている能力を、フルに発揮できることが快いと感じる感覚のメカニズムを持つ。本来持っている能力を十分に発揮できない生活は、心身の健康を壊す。心身ともにポテンシャルをフルに働かせて経験と修練を積むことで、楽しく豊かだと感じられる人生をおくることができる。

 

これまで人口増によって経済成長してきたが、現在起きている経済が豊かであるのに人口が減少するという事実は、人類が新しいステージへシフトするシグナルと言える。答えを自ら考えるより、すでにある答えを検索するほうが効率的に見える社会風潮があり、現代人の考える力は低下している。この先、人間がAIに依存すれば人間の能力を下げることになり、結果的にシンギュラリティを早めることにも繋がる。何をやるのか自発的に決めることが今後必要不可欠となるというが、実際にはそれができない人間のほうが圧倒的に多い。人に人生を決めてもらっても、これまで以上に生き辛い世の中になっていく。人は生まれた瞬間が一番好奇心に溢れていて、その後の成長過程で親や教育機関によって押さえつけられ、大人になっていく。子どもたちには、自分が何が好きで、何をやりたいのか、自分の意志を持つということの大切さを伝え、親としてやれる限りのことをやっていきたいと改めて感じた。

 

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)

 

 

あなたの一票で決まる!春日井名物グルメ王座決定戦2018

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お花見シーズン真っ只中の2018年4月7日(土)・8日(日)に、第3回となる春日井名物グルメ王座決定戦が、春日井市・落合公園にて開催されます。

 

春日井名物グルメ王座決定戦

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平昌五輪が終わり、もうあと2年すると東京での熱狂がピークを迎える。前回の1964年の開催と今の日本が置かれた状況はまるで違う。当時は、高度成長期に向かってひたすら突き進む状況下での開催であり、あらゆる投資がその後のインフラ強化に役立った。今回は、成熟しきった状態での開催で、開催後のレガシーについていろいろな議論がある。その多くがマイナス要素であり、負の遺産を負わされる可能性も非常に高く、開催後のポスト2020に危険を感じている人は少なくない。

 

そして、この日本は世界でも類を見ない人口減少と同時に超少子高齢化に向かって突き進んでいます。世界経済のなかで、日本が力を取り戻すには課題先進国としてのプライオリティを持てるという前向きな見方もあるが、漂うのは悲壮感のほうが強い。このような状況になってしまったのは色々な問題があると思うが、結局は日本という国が手を打ってこなかったと言わざるを得ないが、国のせいだと思考停止せずに、そこに住む人たちが動き出している。

 

この問題は国単位だけでなく、自治体というコミュニティでも同様で、当然ながら僕たちの住む春日井も例外ではない。市に期待するだけではなく、そこに住む市民一人ひとりが春日井というコミュニティに対してコミットメントを高めていくことで、春日井の魅力が高まっていくことに繋がると思う。

 

その手段の一つとして、このイベントへ参加するということがある。

 

本イベントは、春日井に拠点を持つ飲食店が、落合公園に集結し、春日井名物グルメ王座となるべく競い合うイベント。出店者は、大手チェーンのような業態ではなく、インディペンデントなローカルで活躍する店舗であり、春日井で生まれ育ったり、何か縁があって春日井に出店し、春日井という街を良くすることに日々尽力されているソーシャルグッドなひとたち。

 

そんなローカルを盛り上げようとしているひとたちを他人事にせず、春日井の魅力を高めようとしているインディペンデントなひとたちを応援しに行きましょう。

 

ローカルを大事にしよう。

 

僕はここを応援しに行きます。

 

ライトニングファイヤー(勝川印度まぜそば

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第一回から3回続けての出店で、毎回僕はライトニングファイヤーに持っている全ての票を投じます。ご存知の方も多いかもしれませんが、昨年10月にTwitterでバズりまくって、大金をはたいてTVCMを投下することとは比べものにならないほどの大きな効果が生まれ、全国に名が知れ渡り、伝説となった店舗です。

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それまでも、他の店ではできない攻めるプロモーションを続けていました。

 

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このイベントは、春日井の名物を創り出すことが目的であるようです。

 

店主自身が春日井出身であり、食としても、人としても、春日井が生んだ名物として、全国に送りこめる逸材で、みなさんも一票を投じる価値はあると確信しています。

 

伝説をご存じ無い方はコチラ▼

win-river-stand.hatenablog.com

 

 

2018年4月7日(土)・8日(日)は、春日井インディペンデントによるローカルフードに会いにいこう!

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だいたい良いんじゃないですか?時代の『欲しいの本質』を学ぶ 

 

 日常的にも、欲しいものが何もないと言う人に出会うのは難しくない。ほとんどの事が満たされたこの世界では、とにかくそれが欲しいと思うことが少なくなった。それを筆者は「だいたい、良いんじゃないですか?の時代 」と表現されていて、それが自分のなかで凄くハマって、インサイトに関する体系化された実践知を得ることができるこちらの本を購入した。余談ですが、この「だいたい、良いんじゃないですか?の時代」というコピー、田端慎太郎さんの「オーケー認めよう、広告はもはや嫌われものなのだ」に匹敵するぐらいの破壊力だと個人的に感じました。

 

市場は成熟化し、コモディティ化、陳腐化とネガティブなワードをよく聞くようになった。問題がゴロゴロ転がっている時代は、その問題を解決するだけで結果を得ることができた。問題自体も簡単なもので、その分かりやすい問題に応えていさえすればモノが売れた。その結果、様々な顕在化されていた簡単な問題は解決され、だいたい、良いんじゃないですか?の時代に突入した。

 

インサイトは人を動かす隠れた心理で、消費者が普段意識していない心理、あるいは消費者自身も気付いていない無意識の領域のことで、脳科学的には5%の意識と95%の無意識のことを言う。本人も気づかない不満を解消できる価値を提供することが「だいたい良いんじゃない?」を超えられるイノベーションとなる。お客様の意見を聞いてもモノが売れる時代は、だいたい良くない時代。多くの人は、人に形を見せてもらうまでに、自分は何が欲しいのか分かっていない。インサイトを捉えれば、競争優位に立てるが、ニーズに応えるだけでは競争優位に立つことはできない。ニーズという言葉は既に浮かび上がっているものであり、潜在ニーズなんて言葉は日本語として誤っている。

 

インサイトを明らかにする行為は、意識の下に隠れている無意識にアプローチするということであり、発掘する、探り出すというような作業。フォードは、このように言ったという。

もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう。

 

企業が何をしたいかではなく、消費者が求めているものは何かを重視されるようになり、インサイトの重要性が高まり、それと共鳴するかたちでデザイン思考という潮流も勢いを増してきた。先入観にとらわれず、人間がもとめていることとは何かを見出すデザイン思考が注目されているのは、世の中にイノベーションが求められているからとも言える。デザインはアートやグラフィックだけではなく、体験も含まれ、シリコンバレーにおいてはUXデザイナーが重宝されている。

 

自分の関わるブランドやカテゴリーには、他の人も同じ熱量で興味を持っていて、ちゃんと考えてくれていると思いがちだが、そんなことはなく、しっかりと人間を見に行く必要がある。それは、自社の製品や市場から離れて、人間が求めているものを知るということで、アンケートから見えてくるものが真実とは限らない。既成概念の壁を乗り越え、イノベーションを伴うアイデアを創造するには、インサイトから発想するしかない。

 

本書では「だいたい、良いんじゃないですか?の時代 」で、頭ひとつ抜きん出るために必要な理論から、具体的なメソッドを知ることができる。停滞している成熟市場でヒット商品を生み出したいマーケティング、商品開発、事業開発担当者は、目は通しておくべき一冊と感じた。

 

 

時代を先読みし、チャンスを生みだす『未来予測の技法』をメタップス佐藤航陽さんに学ぶ

先日、西野亮廣さんの番組内でカラテカ入江さんがゲストとして登場されていた回で、佐藤航陽さんについての話が出た。お二人とも、IT界隈で活躍される人たちの交流が深く、特に印象深い人は誰だという話で、いろいろな優秀な人がいるなかでも、佐藤さんは何を言っているのか付いていけないほどの思考の持ち主であると言っていた。

 

『お金2.0』の興奮が冷めやらぬ中、もう新刊が発売になった。

 

 と思ったら、どうやら数年前に発売されていた『未来に先回りする思考法』に少し手を加えたものであり、Discover社による『お金2.0』のヒットの便乗商法とも感じるものであった。私は本を買う際、歴史的に読み継がれているものではない場合、発行された年を異常に気にする。やはり、自分が好んで読むジャンルの場合、数年前に発行されたものでは、未来を語っているものではなく、すでにそれは現実になっているものが多く、読むことで答え合わせはできても、優位性が生まれることは少ないと思っているから。という思考から、『未来に先回りする思考法』は以前から気になりながら読むことができていなかったため、いい機会にはなった。

  

パターンを見抜き、適切なタイミングを見極めれば、将来どうなっていくのかということの方向性を知ることは可能。
 
 
今の進んでいる道はそもそも本当に進むべき道かを真っ先に考え、変化に先回りしたもののみが生き残ることができる。現状の効率化を求め続けることは、目的地への近道を探すことを放棄した思考停止した状態。そのために、地図を捨てて、コンパスを持つ。大きなリターンを出すためには、適切なときに適切な場所にいれることが重要で、未来に向かう電車がくるタイミングまでに、自分が持っている手持ちのカードをきちんと把握し、電車が来るまでの残り時間の中で、足りないリソースを揃えて、駅のホームで待っていなければならない。また、ライフスタイルは生きてるうちに何度も変わり、今までやってきたことをやり続けることは、リスクが高い。
 
近い未来、データが人の感情すらパターンとして認識するようになると、誰でもこのパターンを利用可能となり、天才の希少性は失われ、駅のホームに早く並ばなければ、電車に乗ることすらできなくななる。それには、常に原理から考え、対象のシステムがどのような必要性を満たすために生まれたかを把握しようとする癖付けが必要がある。イノベーションは、テクノロジーの視点と社会の視点が重なった地点にあり、適切なタイミングで適切なことをすることで生まれる。
 
これからの未来で確実視されるのは、あらゆる物体に知性が宿るということ。IoTによって、物同士が繋がり、今後はそれぞれの物自体にAIなどのテクノロジーが実装される。近代は、顧客と売る側との情報の非対称性が前提であったが、インターネットによってそれは薄まり、情報の伝達は限りなくリアルタイムに、そして、コストは無料に近づいていっていて、分散型の社会システムへ変化しつつある。コンピュータやインターネットが拡張させる本質は、知性の拡張と言い換えれる。テクノロジーの進化によって、機械の人間化が進み、一方で人間の機械化が進む。そして、いつかどこかでそれらが交わる瞬間がやって来て、そのとき、どこまでを人間と呼び、どこまでを機械と呼ぶのか難しい問題となる。知性までも再現可能になったならば、人間を人間たらしめる独自性はない。
 
テクノロジーは、最終的に人間そのものと融合することが宿命づけられている。新しいテクノロジーが社会に普及されると、今度は私たちからそのテクノロジーに合わせて生活スタイルを適応させていくようになる。貨幣は物々交換の非効率を解決するために生み出されたテクノロジーだったが、いつしか逆に貨幣が私たちを教育し始めた。
 
テクノロジーが最後に行き着くのは宇宙で、テック企業は既にその準備を着々と進めている。インターネットは、近代に引かれた様々な境界線を溶かして、あらゆるサービスは価格競争の末、無料に近づいていく運命にあるが、それはインターネットに限られたことではない。時代とともに、何が当たり前かは移り変わり、Googleで行われている20%ルールは、企業側のリスクヘッジである。
 
自分の目の前の現実にどのようなパターンが隠されているか理解したいのであれば、感情という厄介者を一旦無視して、どんな結果が出ても、それを客観的なデータとして見る姿勢が必要となる。物事がうまくいかない場合、パターンを認識するために必要な試行回数が足りていないことがほとんど。ユーザーが望むニーズと、現在の技術で実現できることの接合点を突き詰めていけば、そこにバラエティはあまりなく、多くの場合その未来像は似たものにならざるを得ない。私たちにできることは、顕在化している問題をできるだけ早く解決する方法を見つけ、ひとつでも多くの不幸をなくすことぐらいであって、来るべき未来の到来を早めることが、その時代を生きる人に課せられた唯一の仕事である。
 
自分自身、自分にだけできることを見つけなければという思考があったが故に、そんなものなかなか見つからなく、結果的に何も動けないということがあった。佐藤航陽さんからもらった最後のメッセージは、私のような人間には非常に響く言葉であり、自分だけができることではなく、自分の得意なゾーンのなかで、自分が疑問や問題を感じたことを、可能な限り他の人よりも早く取り組み、解決へ向かわせることが重要であり、僕に課せられた唯一の使命なんだと記憶した。以前にも、感じたことがあると思い出したが、結果的に、できることをコツコツとやっていくことが自己実現への最適な技法なんだろう。

落合陽一『日本再興戦略』で希望の国のグランドデザインを学ぶ

2017年にLive Picksが始まって以来、落合陽一にハマっている。情弱な自分にとっては、そこで得るものは多く、これを見ているだけでも、相当自分の脳をアップデートすることができていることを実感する。未来感が半端ない。そんな中、本書がついに発売となった。

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

 

 内容的にはLive Picksで語られていたことのダイジェスト版的な内容になっており、Live Picksを日々見まくっていた自分としては、新たな発見や情報はあまり無かったが、改めて活字で読むことで、理解を深めることができたと思う。

 

タイトルからも想起させられる通り、本書では落合陽一が描く今後の日本のグランドデザインについて、様々な角度から記されていて、これからの未来を生きるうえでは、たくさんのヒントを得ることができる。

 

 

今の日本は自信を喪失している。現代の日本人は、西洋を真似するといった極端な方向に振れてしまっている。今こそ、欧米という幻想から抜け出し、日本の原点を見つめ直すタイミングだ。
 
日本は、これまで官僚がトップダウンでつくった国策で、一個人が自分の考えを明確に持つ必要無いよう、急激に近代化をしてきた。それ故、我々の教育は人に言われたことをやるのに特化しているため、新しいことをやるということには抵抗を感じる人種である。さらに、均一な教育を与えたうえで、住宅ローンで家計の自由を奪い、マスメディアによる世論操作を行って、新しい需要を喚起していくという戦略で、消費者購買行動をコントロールをしてきたが、それも景気後退や人口減少によって変わらざるを得ない状況となってきた。でも、これはネガティブではなく、課題先進国として稀有な大チャンスであると捉えるべき。
  
明治以降に、誤って押し付けられた西洋的人間性をどうやって超克して、決別し、更新し得るかが今後は重要であるが、最近よく聞かれるワークライフバランスというのは、そもそもワークとライフを二分法で分けること自体が、日本人の文化的に向いてなく、無理なく自然に働くワークアズライフという思考のほうが向いている 。仕事の中に生きて、ストレスなく生活と一致しているのが美しい。明治以降の日本人は、とにかく幸せでないといけないと信じ込むようになったことも問題のひとつ。企業の寿命は短くなるが、人の寿命は長くなっている。仕事とプライベートの境界線はグラデーションがあったほうが、人生のなかで得られるものは多い。
 
ハードの持つ重さが有利に働く時代は終わったことを理解し、今後は百姓的なライフスタイルを意識できるかで、その人間のプレゼンスが計られる。農の中心である百姓はマルチクリエイターであり、百姓こそ’多動力’と言える。士農工商というカーストは、トレンディドラマや拝金主義などを生んだマスメディアの功罪。マスメディアによって「結婚式は数百万もかけてやる」「婚約指輪は何ヶ月分の給料の値段」などというくだらない概念が作られ、いつまにか自分の中にその価値観がインストールされていることにすら、多くの人が気づけていない。日本人の多くは、マスメディアによって植え付けられた普通という概念に捉われすぎており、それによって内なる拝金主義が育てられたことは大きな問題。年収がいくらか気にするのではなく、評価されるのはお金よりも、価値をどれだけ社会に生み出したか。
 
インターネットは、技術をオープンソース化し、マスからパーソナライズ化が進み、今後は、人、bot、物質、バーチャルの区別がつかなくなる世界がやってくる。自動翻訳の技術も進み、英語を使えることだけで優位性があるという世界はなくなる。自動翻訳されるためには、正確な言語を操る必要があり、自動翻訳されない原因の多くは、元となる文の構造が間違ってたり、曖昧な単語や文脈に依存する言葉を多用しているから。人は考えながら言葉を発することが多く、それが原因のひとつであり、今後、自動翻訳できないことは、考えがまとまっておらず、コミュニケーションが下手ということと同義になるかもしれない。
 
何か知らないこと、経験がないこと、自分の常識には無いことに対して、頭ごなしに否定するのではなく、自分のマインドセットが今風ではないかもしれないと疑える人間の優位性は高まっていく。テクノロジーによってもたらされるコミュニケーションやコミュニティに恩恵を受けつつ、それらを批判するというチグハグな状況にあるテクノフォビア。これまでもゲームの世界で、コンピューターと対戦することは普通にあって、それを楽しんでいたはず。昨日より今日よりも良い状態を目指すようなテクノロジー社会では、人口減少と少子高齢化はネガテイブな問題ではない。ここ日本で言えば、人が減って仕事を機械化しても、ラッダイト運動ようなことが起こらない文化が根付いている。また、世界的にも高齢化が進む先進国は増加傾向にあり、高齢化ソリューションが逆タイムマシンビジネスになる見込みが高い。
 
日本人は、この日本がシリコンバレーの植民地状態であるということを認識できていない。それがあるから、日本はアメリカに国防を外部委託できているということなのかもしれないが、インターネットのなかにあるサービスの多くがシリコンバレーの企業によるもので、日本法人のサービスであっても、そのプラットフォームを介すのであれば、何割かは搾取されている。この状況を脱するためにも、ブロックチェーンという技術に期待する部分は大きい。ブロックチェーンの本質は、非中央集権化であり、コードによるガバナンスであり、受益者負担という考え方。投機的な側面が注目を集めているが、ビットコインを始めとする仮想通貨のベースとなるブロックチェーンという技術は、今後、プラットフォーマーを駆逐し、あらゆるビジネスモデルを変えることが期待されている。 だから、コインチェックの件を経て、マウントゴックスの時と同じように思考停止させている場合ではない。
 
今後、デジタルネイチャー社会を生きていくためには、ポートフォリオマネジメント能力と金融的投資能力の向上が必要不可欠になってくる。まずは専門性を掘り下げ、トップ・オブ・トップの人と話すに足る何かを探し、どこか一社に依存するのではなく、複数の職業の中で、どれをコストセンター、プロフィットセンターとするかをマネジメントする。そして、ただやむくもに貯金をするのではなく、お金にも働いてもらってお金を稼いでもらう。それをするためには、時代を読むことが必要で、時代感覚を掴む能力は、投資能力に直結する。
 
今やるべきことをやらないとだめで、機会を伺って動き出さないことは、ただの機会損失にしかならない。自分とは何かを考えるのではなく、まずは今ある選択肢の中でどれができるかをやる。その選択肢には、自分がそれをしたいのか、それができるのか、するべきなのかの区別は必要。収入の1,000倍の格差はそうはないけど、本を読んだ冊数などの格差は普通にあって、それがモチベーションの格差に繋がる。悩んでいないで、まずやってみて、その繰り返しにオリジナリティが生まれてくる。
 
最後のこのメッセージに深みを感じた。
 
画一的な基準を捨て、あらゆることにトキメキ、あらゆるものに絶望して、期待をせずに生きよう。
 
自分たちが持つ常識を世界の常識と考えず、ダイバーシティな世の中であることを意識して、様々なことに自分なりの角度で興味を持ちながら、その先の未来に見返りを期待したり、予測するのではなく、自分が今やれることをやり続けよう。

 

『トップ1%の人だけが知っている「仮想通貨の真実』で仮想通貨との付き合い方を学ぶ

なんども言いますが、これほどまでにアゲインストである風潮であるからこそ、遅いだのなんだの言って思考停止するのではなく、理解を深める必要があると思っています。理解も何もない中で何か言うのは、食べたことがないのに、あーだこーだ言っている人と同義だと思う。

 

まだまだ落ち着きそうにないコインチェック

www.businessinsider.jp

 

マウントゴックスや本件を経て、どのように仮想通貨を管理すべきかを学ぶきっかけを与えられ、また僕たちはひとつ賢くなっただけで、仮想通貨自体の信頼は全く揺らいでいない。あくまで、取引所の問題。上記の記事にもあったが、仮想通貨をマネーゲームで終わらせてはいけないと考えている人たちは山ほどいるし、これで息絶えるものではない。実際に、取引所はこれからのも含めて名だたるIT企業が参入を発表している。その事実を考えると、大暴落したことや、今回の事件のことなどは、一過性のもので、悲観することではない。週末にテレビで少しコインチェック事件に触れているものを見たが、ひどい構成だった。明らかに頭の悪そうな実家暮らしの人が、この件で貯金全てが無くなったと言っていたが、内容を聞くと、ただ普通の判断ができずに、一番高騰しているタイミングでぶっ込み、それが半値以下になってしまったという話。普通の人ならやらない。それを大きく大げさに報道することで視聴率が稼げている。やっぱりテレビは、自分から情報を取りに行くことができない人のためのもので、電通が言うようなB層向けのメディアなんだなと改めて感じた。

 

トップ1%の人だけが知っている「仮想通貨の真実」

トップ1%の人だけが知っている「仮想通貨の真実」

 

 

本書は先ほど貯金が全てなくなったというような人が読むべき本で、仮想通貨との今後の付き合い方について、比較的文字数が少なく述べられていたので、読書が苦手な人でもすぐに読めてしまうと思う。

 

本来、仮想通貨は非中央集権的なものが多いが、それ故、中央集権的な権力者がその流れを拒む。みずほ銀行が主体で進めている仮想通貨'Jコイン構想'でベースとなると思われる有力な候補がリップルリップルのシステムはもともと銀行が使うことを想定しているため、親和性があるが、中央集権的な要素が強いことから、ビットコイン支持者には良く写っていない。反逆的なビットコインは保守的な金融業界とはなじみにくいいため、国際銀行間通信協会リップルを採用することになった。

 

通貨発行権という国にとっての最大の既得権益が、仮想通貨によって脅かされているが、一度起きてしまった革命は後戻りすることはできない。世の中に変革をもたらす商品の普及が10%を超えた時、つまりキャズムを超えたときに、その商品は一気にブレイクするという通説を理解しておく必要があり、それが近い将来やってくる。
 
先ほどのテレビの報道と同じく、本書でも世の中の仮想通貨に対する投機的な側面に警鐘を鳴らしています。お金を増やすルールは、いかに儲けるかではなく、いかに負けないようにするかであり、そして、お金を稼ぐのではなく、お金を殖やすというマインドセットが必要。また、一つの投資に集中するのではなく、分散させるハイブリッド・クワドラントという思考を持つことが負けないための手段の一つ。浪費は過去、消費は現在、投資は未来のためのものであり、それをひとつずつ記録していく。仮想通貨投資はあくまでポートフォリオのなかの一つであり、全てではない。
 
インターネットが普及したが、ほとんどの人がインターネットの使い方を勉強することなく、使い易いものなるように、インターネットの方向から近づいてきた。仮想通貨も、法的な環境整備が整えば、企業によるユーザーフレンドリーが進み、ユーザーも簡単に利便性を手に入れることができるようになる。しかし、先行者有利という言葉の通り、世の中はめんどくさいことを勉強して、率先してやった人間こそ有利になるという現実がある。
 
仮想通貨は、FXの歴史と同じような動きが予想され、これから益々ハードフォークにかこつけた詐欺が横行することも気をつけなければならないが、自分自身で働くだけでなく、自分の持っているお金にも働いてもらうという感覚を持って、100年人生の資金を計画的に調達するために投資リテラシーを高め、理解も何も無いなか食わず嫌いをするのではなく、手段の一つとして仮想通貨とも良い関係を築こうと思うことが必要と感じる。