勝川STAND

勝川STANDは、個人事業主様・フリーランス・小規模店舗経営者様に、無料ツールを使って、撮影から制作までリーズナブルにクリエイティブを提供します。

未来の自分と子どものために『子育てに効くマインドフルネス』を今から学ぶ

言葉すら知らないひとの感度は低すぎると思ってしまうぐらい、現代社会には広く流通している「マインドフルネス」。それはGoogleの影響が一番大きい。

 

個人的には、サーフカルチャーを通して、レジェンドたちからZENのワードをよく聞く。それ故、日常生活においても、メディアを通して、それにまつわるワードが、カラーバス効果で自分の中に飛び込んでくる。マインドフルネスもその類だった。

 

高城剛さんも、これから世の中はもっとパーソナルな方向へ行くとも言っていた。社会がデジタルに依れば依るほど、自分とは何かという人種が増え、哲学や宗教などがもっと流行ると。

 

これほどまでにデジタルに支配された世の中で、人間の脳は疲弊してしまっている。スマホを持たされるようになってから、それは加速度的に進んでいる。だから、逆にZENのようなものの大切さが改めて注目されている。ジョブスもZENを心の支えにしていたと言う。

 

今後はロボティクス、AIの更なる進化によって、もっとデジタルに寄り添った生活が展開されるはず。そうなれば、同時にマインドフルネスがもっと一般化し、それが身についてなければ、デジタルに振り回され、使い古され、機能しない人間になってしまうんじゃないかと思う。

 

今の自分自身には、マインドフルネスが必要な生活は送っていないが、これがスタンダートとなる前に実践することで、子どもがこれからの社会で生き抜くためのアドバイスができればいいと思って、本書を手に取った。

 

子育てに効くマインドフルネス 親が変わり、子どもも変わる (光文社新書)

子育てに効くマインドフルネス 親が変わり、子どもも変わる (光文社新書)

 

 

マインドフルネスに関わる書籍は多数出版されている。どれが今の自分のレベルに合っているのか、少し触りを読み、今回は初歩的な目線もあり、自分の今の状況に合っているタイトルでもあったため、入門編的な位置づけで購入した。

 

 

今、ここで起きていることに注意を向け、さらにそれに対して評価を加えずに受け入れる状態をマインドフルネスという。今、ここで経験していることに対する気づきであり、気づいたことを受け入れるという態度。

 

人間は言葉の力を手に入れたことで、バーチャルな世界と現実の世界の区別がつかなくなるという陥穽に陥ってしまう。感じた段階ですぐに思考の働きを止め、感じたことをラベリングする。マインドフルネスは、変えることのできない現実をありのままに観察し、そのままにしておくことを目指す。五感で感じていることに気づきを向け、それに対してラベリングすることではじめて、今ここの現実と確実に接触できるようになる。

 

人間は1日の半分を安静状態で過ごしており、それをデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ぶが、その脳のアイドリング状態に使用されるエネルギーは、意図的なものの約20倍に達するということが最近の研究で明らかになってきた。つまり、未来や過去のどうでもいいことに頭を思い悩ませられることで、頭のなかの貴重なエネルギーが浪費され、必要なときに、必要な思考ができない状態に陥ってしまうことになりかねないということだ。マインドフルネスはDMNの活動を統括する部位の働きを活性化し、ストレスを感じにくい脳にすることができるという。
 
本書では、子どもも一緒にマインドフルネスに取り組む方法についても触れている。子供に変わって欲しいと思ったら、まず親自身が変わらなければならない。子育ての大部分は、親の感情的な部分でなされてしまうものだ。子供の思考原理は動物の行動原理と共通する快の原則、つまり楽しいか楽しくないか。親は子供の成長に寄り添うというスタンスが必要。子供は常にマインドフルな状態である。まぎれもなく、今、ここに生きている。
 
マインドフルネスには、注意をコントロールするメタ認知能力が必要不可欠。心ここにあらずではなく、心を込めた時を過ごす。マインドフルな状態は完全に無評価な状態。前帯状皮質が活性化すると、必ずしも怒りの感情で対応するのではなく、子供の気持ちが読み取れるようになる。マインドフルネスを行うことで、人が現代社会で生き抜くために必要な思いやり、共感、やさしさを感じる時に活性化する部位が磨かれると言われている。さらにタッチングを組み合わせることで、よく触れられた子供は脳内でオキシトシンというホルモンが分泌されやすくなり、親との愛着関係が安定し、人との信頼関係も築きやすくなる。
 
 子育ての価値は自立させることだけにではなく、育てる毎日の過程にこそ価値がある。本当に価値のあるものは痛みを伴うもの。子供の論理と親の論理は違って当たり前と認識することが必要だ。
 
子どもたちにとっては、世間の評価ではなく、親からの評価が重要。だから、いま、ここで子供がしていることや感じていることを、十分に明確に感じ取れるようになること、子供に対してマインドフルに接することが非常に大切なこと。子供の最大のストレスの原因は、親であることも認識しなければならない。
 
 
 
これからの時代は、脳にコントロールされるのではなく、脳をコントロールする。
 
マインドフルネスは、私たちひとりひとりの人生を幸福に導くものであり、それをおろそかにすることは人生を無駄にしていることになる。今、ここの現実と接触して、その瞬間を十分に生きていく方法のひとつである。 
 

 

マインドフルネスは、恐らく今後のスタンダードになるはず。これから迎える未だ見ぬデジタル社会で生き抜くために、今後もマインドフルネスを実践し、理解を深めていきたい。

田村淳さんが定義する「日本人失格」であることは、これからの時代を生きるうえでは必要なこと

この本では、これまでの成長社会にあった日本の悪しき伝統を否定し、これからの成熟社会をどう生きていくべきかを説いている。

日本人失格 (集英社新書)

日本人失格 (集英社新書)

 

 

政治的な話もするし、いろいろなことにチャレンジしているのをメディアから垣間見ることができるので、人間としての興味はこれまでそれなりにあったが、こちらでの西野亮廣さんと茂木健一郎さんとの対談で、西野亮廣さんのなかで定義する芸人らしい芸人は田村淳さんだという話があった。

Dream HEART

Dream HEART

 

西野亮廣さんの言う芸人は、世間が言う芸人とは違う。勝手に解釈をすれば、何かひとつの芸に固執するのではなく、興味をもったことに対して見識を深め、いろいろなことにチャレンジし、多様な芸を身につけている人間のこと。

 

日本人失格 (集英社新書)

日本人失格 (集英社新書)

 

 みんなと一緒であることが心の平和だと思い込んでいるのが、日本人の弱点。

 

 みんな一緒である必要はなく、みんなに合わせるのではなく、意見が違えばスルーすればいい。常に、自分はなにがしたいのかを自問自答して、結論を導き出す。今いる場所が居づらいなら、新天地に行けばいい。しんどくなったら、離れればいい。

 

日本の企業は上司の自己保身が強く、個を尊重しない。能力がなくても、会社命を遂行するだけの人間のほうが偉くなれる。つまり、無能なほうが出世する。日本人は肩書きがないと当惑する傾向が強いけど、大事なのは、出世することではなく、その人自身が何をやっているのか、何をしようとしているのか。会社のために働くのではなく、自分のやりたいことを実現させるために会社を利用しなければおかしい。
 
会社に入ってから教育しても遅い。小学校から個を認識させ、大事にする教育が必要で、好きなもの、嫌いなものを認識させて伸ばす。人に合わせなくても、自分を殺さなくてもいいということを体感させ、幼少期から個を意識させて、伸ばす。そのためには、親がしっかり子供を見て、たとえ始めた当初はつまらなそうなことでも、子供が楽しくなるまで辛抱強く見守る必要がある。人と違うことを恐れず、自分の道を見極めて突き進めるよう親が全力でサポートする。必要なのは学歴ではなくて、学力であるということを親が理解する。
 
自分が何者であるかを知り、自分がどう見えてるのかを計算して立ち振る舞う。自分を知れば人に振り回されないで済む。自分の個を探さず、自分の成すべきことを知ろうとせずに、ただ毎日をやり過ごすことは、生きることを全うしていない。自らが自らのプロデューサー&マネージャーになって、セルフブランディングする。自分というのは一つである必要はない。むしろ、多面体の自分を持ち、自分のなかのいくつかの自分を意識することで可能性が広がっていくはず。まずはマネでもいい。マネるのは、オリジナルを作り出すための土台になるから。
 
日本人は世界で勤勉であると評価されることに対して、それは臆病で怠け者であることと否定している。それが田村淳さんが自らを日本人失格としていることの一つでもある。
 
人と同じように動いていると、楽だから、自分でものを考えなくなる。つまり、思考停止となっており、そのような状況が正しいと学校教育で刷り込まれた依存体質が問題。だから、僕たち子育てする側は、自分の哲学を育て上げ、自分の言葉で子どもたちに発信することが重要だ。
 
最近の自分は、人の哲学を馬鹿にするのではなく、学習しようというスタンスで生きるれるようになっており、田村淳さんの考え方について、日本人失格というより、逆にスタンダードであるように思えているし、これからの時代を生きるうえでは必要なことと捉えている。そういう意味では、僕も、日本人失格であるし、子どもたちも、日本人失格であって欲しい。

今年も開催!LIFT UP 地元的な春日井名物グルメ王座決定戦2017

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2017年4月1日(土)・2日(日)に第二回となる春日井名物グルメ王座決定戦が、春日井市・落合公園にて開催されます。

 

春日井名物グルメ王座決定戦

2017.04.01 Sat

2017.04.02 Sun

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kasugai-gurume.com

 

春日井に拠点を持つ飲食店が、落合公園に集結し、春日井名物グルメ王座となるべく競い合うイベント。出店者は、大手チェーンのような業態ではなく、インディペンデントなローカルで活躍する店舗であり、春日井で生まれ育ったり、何か縁があって春日井に出店し、春日井という街を良くすることに貢献されているソーシャルグッドなひとたちだ。

 

近年、アメリカのなかでも決して大都市と言える規模ではなく、中堅都市であるにも関わらず、ポートランドという街が注目を浴びている。

 

ポートランダーは、どこで買い物をして、誰にお金を払うかということに関しての民度が高いという。つまり、ローカルか、ローカルじゃないかを軸として考え、ローカルを選ぶという思考が浸透していて、結果として、大規模チェーン店に頼るのではなく、ローカルでサスティナブルなアルティザン文化が根付いている。コーヒーやビールのクラフトが盛んでもあることもその影響であると言える。

 

僕らが生きる日本は、10年以上も前に成長社会が終わりを告げ、成熟社会に入ったことから、右に倣えの風習は弱まり、ライフスタイルの多様化から、よりパーソナルで本質的なものを求めるようになった。また、デジタルの進化によって人がつながるスピードが圧倒的に速くなり、より便利な社会を実感する一方、震災を目にしたことで、改めて家族やローカルコミュニテイの重要性を体感した。

 

ローカルを大事にしなければならない。

 

そして、ローカルを盛り上げようとしているひとたちを、僕たちは他人事にしてはいけない。

 

消費は投票。

 

時間があれば、是非、春日井を良くしようとしているインディペンデントなひとたちを応援しに行きましょう。

 

 

例えば、僕はここを応援しに行きます。

 

ライトニングファイヤー(勝川印度まぜそば

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まぜそばの写真からは、旨さへの期待感が高まるかと思いますが、この店内ポスターからは、ライトニングファイヤーが普通のラーメン屋ではないことをお感じ頂けるかと思います。是非、イベントで勝川印度まぜそばを食して、体感して欲しいです。

 

実行委員長も応援してます。

 

イトウふとん店

www.ito-futon.com

 

実行委員長は春日井で飲食業を営んでいる方ではありません。全く関係のない寝具を販売されている会社の方です。業界関係ない方が実行委委員長をやるのってなぜなんでしょう。自分の会社の売上に何の影響も与えないこのイベントに、日々時間を割かれ、精神的にもストレスを感じることあるだろうし、ある部分、営業的に機会損失に繋がっていることも大いにあると思います。

 

そこまでしてもやる人がいるということの意味を、僕たち子育て世代は考える必要があると思う。

 

あと、あまり個人事業主だからとか、会社員だからとか、そういう線引きをなくしたかたちが実現できることも、今後期待したい。そうなれば、より、みんなが参加しているという意識が高まり、結果としてイベントのプレゼンスも向上するかと思う。作り上げたものを勧められて消費するのではなく、今は自分が参画したもののほうが、選択においては、よりプライオリティを持つ時代。

 

個人的には、いつか、こんなクリエイティブな人種が入ってこれば、もっとヒップなひとたちが集まってくるユニークなイベントになると思う。

win-river-stand.hatenablog.com

 

春日井からほど近い岐阜県各務原でも、感度の高い人のそういった動きが活発化しています。

ourfavorite-kakamigahara.jp

 

 この機会に、今よりもうちょっとだけ、自分の住む街に目を向けてみよう。

 

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『坂の上の坂』30代から始めておくべきことを藤原和博さんに学ぶ

やっぱり自分は遅い。感度をもっと高めていかなければと思う。今さらながら藤原和博さんの書籍を初めて読んだ。

 

改めて存在を知ったきっかけはあるこちらの対談から。

toyokeizai.net

  

西野亮廣さんの考え方は個人的には好きなところが多い。ほとんどのメディアはクソだから、西野さんの悪いところをキレイに切り取って、そこしかないような見せ方をする。こちらの茂木さんとの対談も、人間的な面白さを強く感じる。

 

Dream HEART

Dream HEART

 

だから、この人を持ってして、バチクソに面白いと言わせるということは相当面白い人なんだろうと。お見合いみたいなもんですかね。複眼的思考も大事ですが、リスペクトする人から紹介されたら、そりゃ好きになる。

 

あるときから学校教育の現場に民間人を招聘するという動きが出始めた。藤原和博さんは2003年に東京都としては初の民間人から中学の校長先生をされた人物。当時、人物名やバックボーンは知らないものの、そのニュースぐらいは認識していたかと思う。

 

数あるうちのどの本から読み始めようかと楽しみながら悩んだ末に、副題が自分事だったのでコチラを選びました。

 

 

我々は、高度成長期など過去に生きた時代とは違う生き方を求められている。それは多くの本で教わることが多いが、そのいいモデルは成熟社会の先進国たるヨーロッパにあるというのは初めて聞いた。考えてみれば、当たり前と言えば当たり前だが、哲学のルーツがそこにあるからだ。
 
これまでの人生は、山なりのカーブのイメージが一つあるという人が多いと思われるが、これからは一つの山ではなく、いくつもの山が重なって連なるイメージを求めていく必要がある。富士山型から八ヶ岳型へと表現されておりました。
 
藤原さんはリクルートで最終的にはフェローという雇用形態で40代中盤まで所属していた。経歴を聞けば聞くほど、どれほどの努力があれば、そこに辿り着けるのかイメージがつかないレベル。仕事のスタイルは普通の日本人の目指すべきものとは違いを感じる。通常のサラリーマンであれば、早く出世をして、管理職になって、マネジメントをすることで対価を増やしていくことを希望するひとがほとんどのなか、藤原さんは出世をすることを途中から放棄するようになった。理由は、出世は仕事の老化現象であるからだ。ピーターの法則でもこう言われています。
 
時が経つにしたがって、階層社会のすべてのポストは、その責任を全うしない得ない従業員によって占められるようになる傾向がある。
 
言われている意味は分からなくもない。自分の組織を見ても、有能だと肌で感じれるひとは確率的に非常に少ない。実際、現場であるほうが、活力を与えられることも多い気がする。センスも努力もない部下を抱えてマネジメントをすることで会社に貢献するよりも、個としての力を最大限発揮して、自らの力を上げていくほうが実感もあるし、ストレスも少ないと思う。ただ、これは力がある人間だけができることで、すべての人間には当てはまらない。でも、管理職になることが良いことだという画一的な価値観は成長社会が生んだものであり、現代社会においてもこの考えがベストであるかは懐疑的な目を持つ必要がある。アメリカではマネージャーから先に解雇されていくことが少なくないと言う。
 
さきほどのピーターの法則は、階層組織が昇進をインセンティブにして社員の動機付けを行う限り、会社であっても、官僚組織であっても、すべてにあてはまるとしています。昇進は個人にとっても、組織にとっても怖いものである。だから、自分が何を追いかけたいのかが問われてくる。自分が何をしたいのか。それが重要だということ。会社から与えられるインセンティブで動くだけでは、自分のためになっていないだけでなく、組織のためにも結果なっていないということになる。

 

これからは組織にいながら自営的な考えを持つ組織内自営業者という意識を持てる人間が強くなる。実際に藤原さんは40歳で、組織内自営業のようなフェローという雇用形態に変えた。一番危ういのは、会社のなすがままにされることであることに気づかなければならない。自衛のための、自営業を意識する。会社と自分のベクトルの和を最大化したうえで、会社という建物のなかに、どんな店を出し、会社を利用して、スキルを磨く。会社の資産を使って、サラリーマンとして自らを鍛え上げ、個人をブランド化し、それが結果的に組織への貢献ともつながる。熟練したスキルを持つには1万時間あればいいと言っています。それは日本の義務教育と同じだけの期間だ。
 
 
成熟社会であるフランスにはこのような人生観が横たわっていると言われていました。
 
人は生を受け、死を迎えるまで、結局他人と完全にわかり合うことはできない。
 
この前提を踏まえて、いかに分かり合えないもの同士が、ともに幸せに生きていくことができるかを考えている。これまでの高度成長社会の日本では、みんな一緒にあることが正しいという社会で生きてきた。みんなと同じ時間に働き、同じ時期に休み、同じように大学に行き、卒業すればそのタイミングで就職して、みんな同じレールの上で進むことが正しいことかのように。成熟を迎えた今、個々人が多様な価値観を持ち、それぞれの生き方を求める社会となってきていることを理解し、次世代へとつなぐことが必要だ。みんな一緒から、それぞれ一人一人が生活を楽しみ、人生を豊かに生きる。そのためには、自分の価値観を柔らかく多様にし、価値観が違うものを認め合い、リスペクトすることを忘れず、そのうえで自分なりの幸福論を自分自身で編集し続けることが重要だ。

 

 

日常に飛び込んでくるニュースで誰しもが感じているとは思うが、人間が頭を使わなくていいように、機械のほうがインテリジェンスを高めている。この便利と表裏一体の、このヤバさにも気づく必要がある。そのためにも、藤原さんが説くような哲学が必要となってくるし、このようなスペシャルな方の哲学を自分なりに編集し、自分の哲学を磨かなければ、子供を育てるということは難しいと改めて感じた。

 

藤原さんの哲学を手軽に早く感じるにはこんなものもあります。通勤途中や、運転中とか、音だけでも聞き応え十分です。

 

「LIFE SHIFT ライフシフト」100年時代の人生戦略をまじめに考えないと結構ヤバいことを今さら気づく

まー、当たり前と言えば、当たり前なんですが、僕らの世代は100歳生きて当たり前という時代に入っているわけです。僕は今年37歳です。所謂、松坂世代です。それはなんとなく、感じますよね、日常生活においても。これだけ世間が超高齢化社会がすぐそこに!と言っているわけですから。

 

平均寿命が伸び続けている理由は、子供の死亡率が下がっていることが一番大きな要因だったりしますが、これも日常的に感じるところではありますが、医療が革新的に日々発達している。すると、寿命が延びて、今37歳の僕らの世代は100歳生きるのが普通で、僕らの子供たちの世代は107歳も生きていくことになると言われている。

 

ゆっくり世界が動いているので、日常で感じるような感じないような日々が流れますが、確実にその流れは早まって、着々と行政も準備が進んでいる。年金は少し違うと思いますが。

 

長く生きれるようになるということは、何が一番大きく変わるかというと、働く期間(年数)が長くなるということ。そうなるから、夜中まで仕事するんじゃなくて、心身ともに健康でいられるぐらいの時間内で仕事ができるように国が動いている。それにより、収入が減る人もいる。それは副業でカバーできるように整備が始まっている。能力によって、更に収入格差が広がることになる。

 

いまは60歳とかで定年退職となり、大企業や手厚い会社で、その人のスキルに希少性があれば、再雇用というかたちで、それでも65歳とかで引退というのが一般的だと思う。

 

でも、僕らの時代は違うんです。

 

70歳ぐらいまでは普通に働く社会がやってくるんですよ。経営者じゃなくても、僕のような普通の会社員でも。

 

というのを約400ページぐらいをかけて、丁寧に、時には何度も同じ言葉で説明をしてくれているのがこちらの本です。 

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

 

 

そんなに働かなきゃならんのか、、と思うのか、そう思わないのか。

 

最近はちょっと前からポッドキャストを凄い聞くようになって、初めは高城未来ラジオを聞いて、7回分しかリリースされていなかったんで、すぐに全て聴いてしまって、そのあとはコレにハマりました。

Dream HEART

Dream HEART

 

ビジネスマンや学者やアスリートなど、世界で活躍するひとたちの、成功談が聞けます。これを休みなく、気になるひとの話を聞くと、めちゃめちゃポジティブになることができます。ほとんどの方が言われるのです、みなさん特別な人間ではなく、大小関係なく夢、というかビジョンを持って、それに向かって突き進んでいる。やる前から諦めないし、自分にはできないとかそういうネガティブな思考はないし、失敗を数多くしてきた。生存バイアスではあると思いますが、自分で自分の可能性を否定するのはやめたようがいいなって気持ちが高まってきました。

 

という背景もあって、さっきの70歳まで働くということに対しても、ポジティブにとらえました。そんなに働く必要があるなら、このままじゃあかんなと。これ読んだからでもないですが、会社でプレゼンスを高めるためには、アドラー的には良くないかもですが、他人にない付加価値をつけていく必要がある。

 

もう、今の社長や役員などなどのオッさんが生きてきた時代、高度成長でイケイケドンドンで、がんばればそれが報酬となって返ってくるなんてのはもうなくて、昔のロールモデルなんて使いもんにならない。親の世代とは違う選択をしていかなければならない。未来はこれまでの過去の延長線上にないから。

 

マイホームだって持たないほうがいいかもしれない。それは必ず足かせになる。時代の先を行っているひとたちはホテル住まいが多いですよね。どこでも仕事ができるからって。いま普通の僕たちは、どこでも仕事ができる時代が来てるとか言われても、そんなの無理って思いますよね。でも、スマホがこれだけ普及して、それが今度はウェアラブルが普通になってきたぐらいの時代には、自分も家で仕事してるのかもって思ったり。

 

作者の言葉すごく印象深い言葉がこちらです。

 

消費としてのレクリエーションから、投資としてのリ・クリエーション 

  

みんなそれぞれ自分が選んだライフスタイルがあるかと思います。それに伴い、余暇時間は変わってくるけど、仕事、育児、家事などやるべきことをやって残った時間をレクリエーションに使ってばっかじゃなくて、70歳、80歳になっても働けるだけのスキルを磨き、新たな自分を創るために投資しろよってこと。これも特に今だからっていうわけでもなく、別に働ける期間が長くなったからってわけでもない気がするけど。

 

やっぱり生きるうえで、金銭的なことという意味ではなく、仕事は大事だと痛感することがサラリーマン人生まだ14年ほどである。

 

仕事でハッピーなことがあれば、家帰ってもハッピーで、逆なら逆だし。でも、そこでハッピーと感じる時っては、報酬ではないことが多い。自分がやってきたことが社会的に認められたり、自分が企画したことをプレゼンして同意が得られたり、やっとのことで新規取引にこぎつくことができたり、そういうことでハッピーを感じる。

 

存在意義ってやつですかね。組織は属人化しないようにするけど、自分がいなくても回る体制ってあんま好きにはなれません。自分から別の担当に変われば、売上が下がって欲しいとさえ思います。小さい人間です。

 

長い人生を貫く柱になるのは、やっぱり仕事。

 

これから仕事は私生活ともっとブレンドされていくと言われてました。

 

よく最近人間の敵なんじゃないかと言われるAI。これによって、いろんな職種はなくなるだろうと言われている。これは悲観する話ではなく、歓迎するべき話。人間がやりたがらない仕事をAIがやってくれると思ったらいい。人間はもっと本能のままに自分のやりたいことをやればいい。AIのおかげ様々な仕事が、もっと効率化されてくる。すると、これまで週休2日と言われてのが、週休3日とか、定時という考えかたとかもなくなってくるかもしれない。ランサーズやクラウドスクエアみたいな技術の切り売りみたいなことをうまく使って企業は機能していくかもしれない。誰もが同じスケジュールで長時間働くのは産業革命の産物で、現代にはもう必要のないシステムなのかもしれない。

 

マイクロモーメントもうまく活用できるか否かが凄く重要だとも感じる。これまではただの待ち時間だったものが、スマホのおかげでヒマだと感じる時間は劇的に少なくなった。この時間に、SNSに夢中になるのか、オンラインゲームで遊ぶのか、どーでもいい芸能ニュースを見るのか、それぞれのライフスタイルで重要度は変わるけど、そこに心奪われると、格差社会の底辺に置いていかれることになる。


仕事をする時間が減れば、余暇が増える。これからは個人レベルで自己改善への投資活動に力を入れるレジャー産業が発展すると言ってました。具体的にどんなものなのかには触れられておりませんでしたが、こういうものとかですかね。

 

manabiz.jp

 

これからは手持ちのスキルに磨きをかけるだけでは生きてはいけない。ひとつのことに固執するのではなく、マルチステージで活躍するために、生涯にいくつかのキャリアを持つ。自分のアイデンティティを変えるための投資を意識的に行い、なにも考えずに、その組織の流れにそって、ただ定年まで退職金がもらえるまで働くのではなく、100年時代の人生戦略をまじめに考えていかないと、結構ヤバいなって感じさせれる本でした。

 

 

【Podcast】高城未来ラジオはめちゃめちゃおもしろい

instagramで相互フォローさせていただいている方から、こちらのポッドキャストの情報をいただきました。

 

高城未来ラジオ

高城未来ラジオ

  • 高城未来研究所
  • 個人ジャーナル
  • ¥0

 

情報をくれた方は 飲食店を経営されているようで、個人的に興味があって、よく有益な情報をいただいております。お互い立場は違えど、インスパイアされる人種は似通っており(勝手にそう解釈させていただいてます、、)、よく高城剛さんや、堀江貴文さんのお話が出てきます。こないだは小橋賢児さんも出てきました。ベンチマークする対象が似てます。

 

高城 

Takashiro.com

 

やっぱり世界を廻って活動されている方は、言葉の重みが全然違います。話を聞くことで、どれだけ実行に移せるか、非常に難しいお話が多いですが、こどもを育てる上で、今後の未来を語れる方のお話は頭に入れておく必要があると思ってます。

 

大学入学前までの学校教育では、国語や数学など、受験に向けての勉強が中心であり、人生においてどんな目標を持ったり、これからの世界がどうなっていくかの未来については、各々の生活次第。生かすも殺すも、親の接しかた次第。

 

自分自身、時代のせいなのか、父親から、人生論や未来の話など、ほとんどしてこなかった経緯があります。今の自分においては、幸せな生活を送ることができていて、親には感謝しかありませんが、自分の子供の世代においては、同じ育て方では、全く違う結果になると思います。

 

高度成長期に育てられた自分と、これから世界のなかで衰退していくかもしれない可能性が高く、これまで類を見ないほどの超高齢化社会の中で生きていく子供たち。

 

自分の価値観だけで育ててしまうのは非常に危険だと思う。

 

それ故、世界を知っているひとたちの話を自分の中にインプットすることは非常に大切なこと。

 

高城未来ラジオ

高城未来ラジオ

  • 高城未来研究所
  • 個人ジャーナル
  • ¥0

 

さっそくすぐに聞いてみて、すでに7回分がアップされてましたが、すべて聴きました。ゲストも様々で、かつ個性の強い方たちばかり。自分の生活では接することのない情報を得ることができます。めちゃめちゃおもしろいです。本当に無料でいいのかってぐらい。

 

これまでポッドキャストは使ったことありませんでしたが、高城未来ラジオを中心に、これからは積極的に活用して、未来に備えた人間力を少しでも高める努力をしていきたい。

 

こちらは以前読んだものの書評です。ご興味沸きましたら、ご一読を。

win-river-stand.hatenablog.com

 

 

ベーシックインカムは日本でも実現される日が来るのか

ベーシックインカムフィンランドで始まった。額としては決して大きなものではないが、小さいわけでもない。初めてその名を聞いて、調べてみたとき、なんでそんなもの必要なのか、全く意味が分からなかった。なぜ、収入の有無や大小に関わらず、国民全員一律の給付金を授けることで、社会が良くなるのか。

 

日本で言えば昨年秋頃から、世界でも一流の域に入る日本が誇る広告代理店の過労による問題があって、そういったところでもBIは有効だと言う。

 

なぜ?

 

日本人は勤勉で真面目という国民性がある。石の上にも三年という言葉があるように、何かに耐え忍ぶということに対して、世界でも類を見ないほど、それに対しての美学を尊重する傾向強い。それ故、ブラック企業などと言われる組織が生まれてしまうことにも繋がっている。

 

やめたきゃ、やめればいいのに。

 

やめられない理由は、何となくやめれないとか、やめたら周りの目が気になるとか、いろんなケースがあるかとは思うが、多くはそもそも他の会社でもやっていけるのだろうかという心配なんじゃないかと思う。

 

日本人は、挑戦をするということに対しても、二の足を踏むひとの割合が多いとも言われる。それもBIによって、改善されることが期待できる。BIがあって、これまでと同様の金額を得るためのベースがあれば、これまで安定や現状維持を求めてきた部分は軽減され、また、ストレスを金銭というインセンティブで解決する必要性も薄れることで、本当に自分が興味のあること、やりたいことに向けて、金銭という条件で仕事を選ぶ必要性がなくなるからだ。それが結果的にイノベーティブな人材を育てることにつながり、国力が増す。だから、国として取り組むべきだと主張されている。

 

挑戦できないことを、結婚したから、子供がいるからなど、自分以外の理由かのように言う人が多数いる。個人的にそういう人間は、その条件の有無に関係なく動くことができないと思う。自分以外の理由にすることによって、自分の中の幻である向上心を保護して生きていたんだろう。BIに関しても、同じようなケースが出てくる可能性は否定できないように個人的には感じる。

 

個人的に’働く’ということに対して、最近いろいろと思うところがある。

 

このところ、未来を占うようなニュースの多くはAIが中心で、現在ある多くの仕事が失われると言われている。それも、遠い話ではなく、10年ほどで。

 

ただ、これは昔からある話で、働き口が無くなるということとは違う。わかりやすく言えば、農家。昔は現代のような技術がなく、すべての作業が人を介して行われていたものが、農業用機械の発展や、不良品を減らすための農薬であったり、そういったものがきっかけで農家を営むための最低必要人員は減少していき、昔はごく僅かだったデスクワークをする職種が現在は一番多くなっていった。効率化によって、人間がいらなくなるのはいつの時代もあった。イノベーションによって、職業はアップデートされ続けれれており、今になって始まった話ではなく、どの時代も、ずっと同じ割合を保ち続けられている仕事は少ない。だから、あまり悲観する必要などないと思ったりしている。

 

先を見据えているひとたちは遊びがこれから仕事になると言っていることは、子供たちに伝えてあげたいが、むしろ、今の子供たちの方が強く感じているのかもしれない。これまで、認知度を上げるためのメディアが一極集中だったものが、いまはインターネットを中心に、拡散することが可能。そこで、これまでテレビを使える限られた人種でしか表現できなかったことが、いまは誰だってできる環境が整った。ユーチューバーを懐疑的に見る大人ほど、遊びが仕事になるということを理解できていない。

 

ただ、何も考えずに、ただただ、組織のために存在するようなひとは、必要なくなると思う。もちろん給与を与えてくれる組織に尽くすことは言うまでもないが、自分自身がなんのために、なにを実現するためにその仕事をしているのかが重要。

 

これから社会保障制度は、変化していく。年金がなくなってしまうかもしれないから、ちゃんと国民はそれに備えるように、というような情報操作もされながら。一流企業も、当たり前に存在している終身雇用も途中でなくなってしまうかもしれない。個人的には無くしてしまったほうが、組織のためになるような気もする。組織は国じゃない。だから組織は必要な人材だけを適材適所に配置できるようにして、当然だと思う。人を大切にするとか言って、リストラもしないようでは、結果的に能力のある人間の負担が増えるだけで、それが本当に組織のためになっているとは到底思えない。はっきり言って、組織に必要のない人間は、大勢存在していると日常的に感じる。

 

これからもっとBIに関して議論が深まっていくと思うが、今後益々進んでいく超高齢化社会においては、実現が難しくなっていくとも言われいる。

 

ベーシックインカムなんて、実現することないでしょ、って今は思ったりするが、なんでも最初はそんな感じだったりもする。

 

自分の子供が生きている間になってたりするのかな。