勝川STAND

勝川STANDは、個人事業主様・フリーランス・小規模店舗経営者様に、無料ツールを使って、撮影から制作までリーズナブルにクリエイティブを提供します。

伊藤穣一「教養としてのテクノロジー」で『いま』に生きる意味を見つける

昨年、「9プリンシプルズ」が書店に並んでいるのを見て、伊藤穣一さんという存在を知った。以前、茂木健一郎さんのラジオに出演されていたとき、日本人は特に権威に弱く、それによって突然態度を変えるということが多い人種であると言っていたが、まさに自分もその類で、MITメディアラボの所長であると聞き、一気に興味が湧いた。

 

日本人がMITメディアラボの所長であるという事実に、日本人ということに誇りを感じたが、経歴を聞くと、確かに日本人ではあるが、キャリアのほとんどをアメリカで過ごしてきている。アスリートにも多いが、今結果を出している日本人のなかで、日本人と言いながら、日本で生まれながら海外で過ごし、海外の空気に触れることで、良い意味で日本人らしさを失った成功者は多い。やはり、多様性のなかで生活をするということで磨かれるものは大きいと感じる。

 

 

テクノロジーの進化に対して、まだ自分たちには関係ないと思っている人が多いが、それは誤り。また、技術そのものではなく、その背景にある考え方、フィロソフィーを理解する必要があり、本書では、経済、社会、日本の3つのパートに分けて語られている。

 

シリコンバレーのIT企業は「スケール・イズ・エブリシング(規模こそ全て)」という思考から始まることが多く、それ故、巨大になりすぎたことで競争が失われた。たくさんの組織やサービスに分散させた方が、レジリエンスは高いはずだが、一つに集中させてしまっている実情がある。コンピュータの性能が18ヶ月ごとに2倍になっていくと言われるムーアの法則。これによって僕たちの環境は大きく変わり、働くということを改めて再定義する必要がある。働くことイコールお金では無いように、世の中にはお金ではないが価値のあるものや、お金では決して買えないものも存在する。人間が働くこと全てお金の価値に還元して、例えばGDPのように、経済の指標にするという発想があるが、今後の社会で不必要な指標になるかもしれない。また、UBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)でお金のためだけに働かないミーニング・オブ・ライフが重要になる。生活のためにお金を稼ぐ経済効率のためというロジックは自己目的化しやすく、それ自体にあまり考えるという必要はない。自分の生き方の価値を高めるには、どう働けばいいかというセンシビリティを考えるに面白い時期に入ってきた。

 

未来を語るうえでは、仮想通貨にも触れる必要がある。伊藤穣一さんは1990年代から仮想通貨に対して取り組んできた歴史上の証人である。仮想通貨は、国家を信用しない暗号化された電子取引であり、リバタリアンの理想が生み出したもの。インターネットが生まれたことも、ディセントラリゼーション(脱中心)が起源であり、経済や通貨もそこに向かい始めたということ。経済を有機体として見たとき、一つの金融装置、一つの基準のままでは、どこかで経済がクラッシュし、機能しなくなるリスクがある。そもそも、紙幣も仮想的な通貨である。その国がその紙きれに価値があると認定し、それをみんなが信じているだけ。仮想通貨は、ただデジタルなだけで、いま流通している円やドルもバーチャル。今後は、ブロックチェーンによって自然界のものも管理され、やがて自然通貨として、今よりも価値を持つものが出てくる。

 

お金持ちは、お金で買うことのできない「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」をいま以上に考える必要があり、お金は持ってないけど、ある特定の価値観やコミュニティを持っている人については、どんな価値をお金に交換して生活していくかを真剣に検討していかなければならない。ダニエル・カーネマンの研究によれば、お金によって得られる幸せは、年収850円までという結果がある。無限にお金を稼いでも幸せにならなく、必要以上にお金を得ても幸せになれないのであれば、何のためにお金は存在するのか。お金に換算できないからこそ価値があるものもある。人間関係も同じで、すべてバランシートに落とし込むようなことは無意味。

 

テクノロジーの発展によって、人間拡張、人間と機械が融合され、人間の果たす役割や意味が変わる。トランスヒューマニズムは、科学技術を使って人間の身体や認知能力を進化させ、人間を前例のない状態まで向上させる思想。テクノロジーの進化によって、やがてパラリンピックが、障害者の競技から、拡張者の競技に変わり、新しい倫理が作られていく。

 

日本の教育システムは、ロボットのような人間を育てている。高度成長期のなかで、画一的な教育で国力を上げてきたのかもしれないが、この不確実な未来を生きていくなかでは、改めて考え直す必要がある。これ以上ロボットを育てても意味がない。アメリカでは、学校教育に頼らず、学校そのものが存在しないかのように育てる「アンスクーリング」というムーブメントがある。「セルフディレクティット・ラーニング(自発的な学習)」という哲学がベースになっており、自分が何を学びたいか全て自分で決めて、どのように学ぶかも決める。競争に勝つことではなく、人とテクノロジーを使って、どうやってコラボレーションしながら知識を得られるのか、疑問やアイデアを解決するには知識が必要と感じるところからスタートする。違いを持つコミュニティで自分と他者との違いを感じ、自分のことを知り、どうやって人と繋がれば良いのかを自分で考え、学ぶ。日本の教育は、’今’ではなく、’未来’を生きることを目的としたものが多いが、子どもが経済を支える人間ではなく、自分の中にどのように幸せを見つけられるかのメソッドを知ることのほうが重要。イノベーションは、いま身の回りで起きていることに心を開き注意を払うことから始まるため、フューチャーリスト(未来志向者)ではなく、ナウイスト(現在志向者)になるべき。そして、大人は子どもたちが持つ知恵を知る必要があって、大人と子どもがお互いから学べるものがあることも理解すべきだ。

 

パンクムーブメントが起こった1970年代は「ノーフューチャー・ジェネレーション(未来のない世代)」と言われていた。インターネットという場は、年々ネガテイブなものになっており、ネガテイブな方が繋がりやすくなった。#metooがその例。本来、ムーブメントにはハッピーが必要で、やりたいことをいきいきとやるということが重要。この先の未来、何かを閉ざしたまま、ベルトコンベアに乗っていればいいという思考では生き抜くことはできない。ムーブメントは1人で引っ張って起こすのではなく、起きようとしている兆しに気づく事が大事で、繋がっていない波を、繋げるにはどうしたらいいかを考え、『いま』に生きる意味を見つけよう。何かに迷って停滞している時間はない。