勝川STAND

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田中元子さん『マイパブリックとグランドレベル』で受動機会に飽きた人たちのまちづくりを学ぶ

なぜか明確にわからないけど、コミュニティという文脈に昔から興味があった。自分自身、まちづくりとか建築とか、そのようなことの見識はまったくなく、ただ漠然と、一人では生きていけないというか、人と一緒にいることが楽しく感じる機会が多くあったからなのか。とにかく、コミュニティには興味がある。

 

そのため、以前からコミュニティ絡みの本を読むことはあったわけですが、今回読んだ本が一番同意できる部分が多く、それゆえ、自分のなかに無かった思考に対して、このひとが言うのだからと腹落ちしながら読み進めることができました。

 

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

 

 

「マイパブリック」と「グランドレベル」。聞いたことあるようで、聞いたことのない言葉。著者である田中元子さんの造語で思考を一言で表したような。まずは本書に出会う前に、田中元子さんのお店に行きました。

 

喫茶ランドリー

https://www.instagram.com/p/BlevhvvhF10/

半地下と小上がりとコンセプトがすごくいい感じだった😍🍺『マイパブリックとグランドレベル』を読み進めよう📕#喫茶ランドリー #喫茶 #ランドリー #コミュニティ #マイパブリックとグランドレベル

 

kissalaundry.com

 

別に自分を褒めるわけじゃないけど、感度の高いひとはご存知かと思います。最近特にメディア露出も多くなってます。でも、たまたま見たテレビ番組では、お店の雰囲気は掴めても、このお店のバックグランドについては一切触れられてなく、その側面は確かにあるのですが、あくまでオシャレなカフェ、みたいな取り上げ方だけに感じました。バエるよ、みたいな。

 

取り上げるモノコトは同じでも、接続するメディアによって得られる情報は全く異なるなと改めて感じた。僕は、この記事をきっかけに興味が深くなり、出張を兼ねてではありますが、名古屋からお店のある両国まで行きました。

 

kurashicom.jp

 

それが普通なのかもしれないけど、ご本人が普通にお店にいらっしゃったので、自分にとってはびっくりで萎縮してしまい、本書を買って、サインください、と言うのがギリギリでした。

 

今後のために、読んだことを忘れないように、自分なりに本書について以下にまとめてみます。

 

「マイパブリック」とは、自分で作る公共。公共は、みんなのものであるがために、個性のない、つまらないものになってしまう。それはもう仕方がないことで、これに文句を言ってるだけでは何も変わらない。自分が理想とするパブリックがあるのであれば、それは誰かに期待するのではなく、自分で作っちゃう。やりたいからやる。

 

誰かをもてなすことにワクワクするタイプなのであれば、なおさらやってしまえばいい。他者が存在することでスイッチがオンになることもあるから、誰かを巻き込んでしまってもいい。

 

コトを始めるにあたっては、収益に固執するのではなく、やりたいことをやるというモチベーションで始める。お金をとらないから得られるものもあるということを理解したほうがいい。お金をとらないことで、堂々と素人でいられる。これによってコミュニケーションは円滑になる。お金の姿を見ないことで得られる解放感は計り知れず、そもそも自分が何かを提供する場合、対価で精算しなければならないことはない。それがコミュケーションでも、モノの交換でも、相手がお金を使わずに提供できるサービスでもいい。お金をもらうということで、体温が少し下がる。

 

個人で、ダイレクトに街にコミットしてしまおう。自分の好きなことを外に出てやれば、趣味と社会との交点を探すことができる。会う、話すなどのダイレクトなコミュニケーションが無くても、そこに誰かいるという可能性のある箱に人々は吸い込まれるもの。高級感や物質的なものではなく、自分が自分のままでそこにいてもいい、そして、その状態を他人と許容しあうという、ゆるくてやさしい居心地が現代社会には求められている。

 

社会貢献は、貧しい人、かわいそうな人に、お金や労働で何らかを施すことではない。能動的に行動することが、自分自身を幸せにする。欲しいものがないは、決して幸せとは言い切れない。現代に生きるひとたちは、決してモノに飽きたのでなく、モノとコトの二項対立でもなく、受動機会に飽きた。人は、受動がうまくなるように飼い慣らされてきて、それがだんだん嫌になってきた。

 

都会にはパブリックが足りてない。それは、誰かのクレームが出ないように配慮されているから。いつか自分が好ましいと思える社会というものに出会うために、そこで得られると想像される幸せの感触を得るために、人は必死になってお金を稼いでいるけど、稼ぐだけでは、向こうからやって来ない。だから、自分で作るしかない。社会のため、まちのため、人のためじゃなく、自分がやりたいこと楽しめることを作る。

 

まず、振る舞うものを用意して第三者との接点を自分からつくる。高額なことや、高尚なことではなく、目の前のグランドレベルを良くしていけばいい。まちに暮らしながら、私たちとまちの間には、いつのまにか結構な距離ができた。インターネットで注文すれば、何でもすぐに送られくる時代でも、生活基盤となるまちのグランドレベルから逃れて生きることはできない。

 

一階は、プライベートとパブリックの交差点という特殊領域であり、まちの一部。開かれたグランドレベルが続く分だけ、まちの活力が続く。グランドレベルの充実度で幸福度が変わるのはデンマークポートランド台北が証明している。デンマークは、禁止主導ではなく、自由主導というルールでまちをつくっている。

 

グランドレベルの視点を持つことは、社会そのものを串刺しにする視点を持つのと同義。少子高齢化や貧困など、さまざまな問題が集積する日本社会の再生は、グランドレベルから変えることが必要で、以下の3つ要素を持つと、多様な人で溢れ、ずっといたくなるような美しい風景をつくる。

①人とグランドレベルが出会う「からまりしろ」

②人とまちが一体化する「かかわりしろ」

③画的な一体感をつくる「つながりしろ」

 

人は、真っ白なキャンバスをもらっても書き方が分からない。でも、綿密に計算されたうっすら下絵や補助線があると一気に活性化する。例えば、ベンチ。ベンチはある地点に人を滞留させる魔法の装置。このような仕組みを考えて、設計していく。

 

喫茶ランドリーは食べ物と飲み物を売ってはいるけど、持ち込みもOKにしている。それは食べ物や飲み物だけでなく、あらゆるものが許容されている。まさに公共施設のような、誰にでもフラットな環境になっている。そこでセミナーも開催されるし、なんとか教室とか、髪を切るひとが登場したり、その幅はものすごく広い。これは、いずれも受動機会に飽きた人々から自発的に行われているもの。このような場所を必要としているひとは、多いと思う。すごく参考になった。ただ、どうやってマネタイズするのか。本書を読むと、田中元子さんの収益源は喫茶ランドリーではなく、別でお金を調達して生活ができていると感じる。喫茶ランドリーは、オフィスとしてがメインで、それを開放しているような感覚。このようなお店を持つことを目指すのであれば、パラレルキャリアというワークスタイルを築く必要もあると改めて強く感じた。

 

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり